日陰に咲く川崎フロンターレGK・安藤駿介。20代で経験した転機、辿り着いた「等身大の自分」
今年でプロキャリア15年目を迎えた川崎フロンターレの安藤駿介。2012年にはロンドン五輪のU-23日本代表にも選出されるなど国際経験も持つベテランGKだ。2016年以来、公式戦の舞台には立てていないものの、フロンターレにとって不可欠な選手の一人としてチーム内で絶大な信頼を寄せられている。20代の頃は虚勢を張って強気な自分を演出し、2013年には出場機会を求めて湘南ベルマーレに期限付き移籍を経験。そこで安藤は大きな転機を経験する。
(文=いしかわごう、写真=©️川崎フロンターレ)
当時の安藤駿介は強気な性格。虚勢を張るぐらいのほうが…
2009年に川崎フロンターレU-18からトップチームに昇格し、安藤駿介のプロキャリアは始まった。3年目の2011年にはJ1初出場を果たし、カップ戦も含め公式戦5試合に出場している。
185cmの体躯を生かした俊敏なセービングと、強肩を生かしたロングスロー。そして、物怖じしない冷静さ。その能力は年代別代表で高く評価され、2012年にはロンドン五輪代表に選ばれている。
ただ本大会での正GKは権田修一で、出場機会は得られなかった。翌2013年、クラブでの出場機会を求めて、湘南ベルマーレに期限付き移籍をしている。
「僕自身、オリンピックが終わってからなかなか燃えてこないところがありました。自分を引き締めないとプロで長くやっていくのは不可能だと感じて、一回厳しい環境に行こうと思いました」
プロ5年目。自分の中で何かを変えたいという思いからの行動だった。
GKはゴールマウスを一人で守っているわけではない。だが最後尾に構えている以上、失点に関するほとんどの責任を背負う孤独なポジションだ。ミスをすれば失点に直結し、否応なくそうした現実とも向き合い続ける生き物でもある。
当時の安藤駿介は、強気な性格だった。
たとえ自分がミスをしても、ピッチでは常に堂々としていた。ミスをミスだと思わせないのも技術であり、虚勢を張るぐらいのほうがプロとしてはいいとすら思っていた。高校生の頃からGKとはそうあるべきだと思ってやっていて、移籍先の湘南でもその信念は貫いていた。
「なんかお前だけ少し浮いているぞ」曺貴裁から受けた金言
ある時の練習試合で、相手にロングシュートを決められた。はたから見ると、自分のポジショニングミスが招いた失点だった。それでも安藤は気丈に振る舞っていた。チームメートの間には戸惑いの空気が流れていたが、彼は意に介さなかった。自分の弱さを見せないスタンスで、空気なんて読まなかった。
試合後、当時の曺貴裁監督にみんながいないところで呼ばれて、こう言われた。
「なんかお前だけ少し浮いているぞ」
叱られたわけではない。どこか諭すような言い方だった。
言われて初めて、これまでの自分の振る舞いにハッとさせられた。GKは着飾っていないといけないと思い続けていた安藤の本心を見抜くように、指揮官は言葉を続けた。
「もっと、自分らしくでいいんじゃないか?」
その言葉を反芻しているうちに、「確かに、そうだな」と妙に腑に落ちた。
無理に背伸びなんてする必要はなかったんじゃないか。だったら自分を強く、大きく見せることを一度やめてみようと思った。そう思ってから、肩の荷がスーッと下りていった。
そして、この日が安藤駿介にとっての一つの転機となる。
1年間在籍した湘南ではリーグ戦10試合、カップ戦5試合に出場するなど、十分な出場機会をつかんだ。そして翌年、期限付き移籍を終えて川崎フロンターレに復帰した。
同僚たちからは、寛容になっている自分の変わりように驚かれた。ロッカールームで先輩たちからいじられたら、すぐにツッコミをすることで、その場の空気が和らいだ。彼らは「◯◯じゃねぇよ」というパターンのスピードツッコミを安藤からもらうことが日課になり、中村憲剛はこのやりとりを、「一日一安藤」と呼んで楽しんでいた。チームメートと円滑にコミュニケーションを取れるようになった空間に、安藤自身も居心地の良さを感じるようになった。
チームを支え続けている貢献度は計り知れない
自然体のままキャリアを重ねて30代となり、ベテランと呼ばれる年齢になってきた。試合に出られずに腐りかけた若手には、さりげなく声をかけるようになった。
「あらたまって話をするのはあまり好きではないので、脱衣所とか筋トレルームのふとした時に、話すようにしています。『集中できないっしょ?』と話しかけ、『そうっすね』と返事が返ってくると、『だからといって、やらないのは無駄になる。目的を変えてでもいいから、集中してやったほうがいいんじゃない? 集中しないと、大ケガにもつながるし』と、そういう入り方をします。ちょっと寄り添うイメージですね」
長く試合に出ていない安藤だからこそ、説得力のある言葉でもあるのだろう。そうやってチームを支え続けている貢献度は計り知れないものがある。
もちろん、自身のGKとしてのバージョンアップも欠かさない。
昨年からGKコーチが高桑大二朗になり、下半身を中心としたフィジカルトレーニングに力を入れ始めている。GKはお尻の筋肉が重要だと言われ、そこの筋トレを定期的にやるようになった。しばらくは臀部の筋肉痛が取れなかったが、次第にキックの安定感が増し、飛距離も伸びるなど目に見えて成果が出始めた。
セービングの精度も高いレベルで安定してきた。
GKはピッチに倒れることが多いポジションだが、お尻の筋肉を強化したことで、これまでよりも踏ん張りが効くセービングができるようになったという。自分の体が落ちる位置が遠くなっている感覚を説明してくれた。
周りの人には理解されないほんのわずかな変化なのかもしれない。それでも、自分の中では確かな手応えと成長を感じている。
「よく自分の欲望を抑えているんじゃないかと言われるけど…」
技術の改良に余念がないのはプロのアスリートとして当然のことだ。
だがGKとしての考え方やゴールを守るための理論が固まってくると、そんなに肩の力を入れ続けなくていいことにも気づいた。それよりも味方に落ち着きを与えるような存在でありたいというのが、今のスタンスだ。
「フィールドプレーヤーから、止めてくれて助かったと思われるようなシュートを止めたいです。例えば相手が折り返したクロスが味方の足に当たって入りそうになる場面ってありますよね。そういうシュートを防げた時がビッグプレーだと思っています。ミスをしてしまった味方の気持ちを救えるので。人がやるスポーツなので、心が大事だと思っています。誰かが試合中に気持ち的に沈むと良くないし、そういう瞬間を助けた時って試合中なのに自然と笑ってしまうんです」
例えば、今年のある練習試合での出来事。ディフレクションと呼ばれる、選手に当たってボールのコースが変わる場面をうまく防いだシーンがあった。すると次の練習試合で、再び味方の足に当たったボールが飛んできて、それもなんとか防いだ。
味方からは「アンちゃん、ごめん」と謝られたが、そこで叱咤するのではなく、「俺は多いな、こういうの」と笑い飛ばした。近くにいた山村和也からは「ディフレクションの安藤じゃん」とネーミングされ、ピンチだったはずのその場が少し和らいだ。自分に余裕が生まれたことでできるようになった、おおらかな振る舞いだった。
若い頃、自分がミスをしても虚勢を張る強さを見せていたGKは、今では笑顔のほうが多くなっている。その所作には気負いもなければ、背伸びしているわけでもない。それが等身大の自分だからだ。
「よく自分の欲望を抑えているんじゃないかと言われるけど、抑えてもいないです。素を出しているだけ。別に着飾っているわけでもないし、全然気も使っていない。むしろ後輩はもっと気を使えよと思います(笑)」
そう言って、また笑った。
日陰に咲くGK不在のチームは、決して勝ち続けることはできない
2016年のヤマザキナビスコカップ(現在のJリーグYBCルヴァンカップ)出場以降、もう7シーズン、陽の当たる公式戦のピッチに立っていないことになる。
だが年齢を重ねながら試合に出られない時間と真摯に向き合い、チームを支え続ける彼に対して周囲の信頼が揺らぐことはない。
クラブのバンディエラとして現役生活を全うした中村憲剛が、登里享平と安藤駿介の同期組2人について、こう評してくれたことがある。
「自分とは違う独自路線でフロンターレの中で生きている。ノボリと安藤の価値は、このチームでは高いと思うよ。安藤はこのチームの錨(いかり)。彼が抜けると栓から水が抜けてしまうぐらい存在は大きい。いじられつつ、選手会長しつつ、GKとしてもやり続けて、それで信頼を得る選手だから。ノボリと安藤の2人がいることで、チームには安堵感がある」
中村憲剛は知っているのだろう。日陰に咲くGKのいないチームは、決して勝ち続けることができないということを。
自然体でクラブを根底から支え続けている男は、ピッチの数字には表れない貢献をし続けているのだ。
<了>
【前編はこちら】7シーズン公式戦出場なし。それでもフロンターレGK・安藤駿介が手にした成長。「どっしりとゴール前に立てた」
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[PROFILE]
安藤駿介(あんどう・しゅんすけ)
1990年8月10日生まれ、東京都出身。J1・川崎フロンターレ所属。ポジションはゴールキーパー。小学生からサッカーを始め、川崎フロンターレU-15、U-18を経て、2009年にトップチームに昇格。2011年に公式戦初出場。2012年にはロンドン五輪に出場するU-23日本代表に選出。2013年に1年間、湘南ベルマーレへ期限付き移籍を経て、2014年に復帰。チームの後輩たちから慕われ、良き手本となってチームを支える存在。
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