「10年後にスタジアムで乾杯を」ONE TOKYO背負う大学生、本田圭佑と交わした約束
今年1月、Twitterで本田圭佑選手がサッカークラブ「ONE TOKYO」を立ち上げ、東京都社会人サッカーリーグ4部(実質10部相当)に参入することを発表し、大きな話題となった。このクラブの運営責任者として抜擢されたのが、発表の2週間前にTwitter上で出会ったという、現役大学生の奥山大だ。これまでにない、まったく新しいサッカークラブとして注目を集めるONE TOKYOをつくっていくメンバーとなった経緯、そして、この挑戦にかける想いを渦中の本人が語り尽くす。
(※本インタビューは、2020年2月26 日に行われました)
(インタビュー=岩本義弘[『REAL SPORTS』編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=大木雄介)
人を巻き込み自分ゴト化させるリーダーシップを強みに、ONE TOKYOへ
――まず、奥山さんがONE TOKYOに関わることになったきっかけについてお聞かせください。
奥山:きっかけは、2019年12月末に僕が本田(圭佑)さんにTwitterでダイレクトメッセージを送りました。内容としては、僕は今大学4年生なんですけど、就職活動をせずに自分でどうキャリアを切り開いていくか迷っていて、その中で絶対にかなえたいことの一つが「サッカークラブを持つこと」です。とはいえ、今の自分自身の力やお金、仲間だけで実現することは難しい。でも、自分の力不足を理由に後回しにするのって違うんじゃないかという葛藤を、相談のような形で送りました。すると返事があり、「直接会いましょう」ということになりました。そして実際会った時に、僕のこれまでやってきたことや、どういうクラブをつくりたいのかということを全部資料にまとめて伝えて、本田さんと話しながら考えを深めていく中で、「じゃあ、一緒にやろう」と言ってくださって、やることになりました。
――資料には、どんなことを書いたのですか?
奥山:これまで僕がやってきた自分年表みたいなものです。自分年表は2枚あって、片方は自分の年表で、サッカーをやってきたことなどを書き、もう一方には、自分がつくりたいクラブ像と自分の強みを書いています。
――奥山さんのキャリアについて、簡単に教えてください。
奥山:僕は青森県八戸市で育って、高校までずっとサッカーを続けてきました。
――それは部活で?
奥山:はい。小学校から高校まで部活でやっていました。中学生の時に地元の強豪校に行こうかどうか迷ったんですけど、やっぱり地元で、(青森)山田を倒したいなという“ジャイアントキリング”への憧れがあったので、地元の進学校である八戸高校へ進みました。ところが、高校生の時に足首をケガしてしまって……。ケガと向き合いながらやってはいたんですけど、プレーヤーとしての成長に自分自身限界を感じて。大学に入る時に、新しい道としてマネジメントを学ぼうと思い、慶應義塾体育会ソッカー部のマネージャーを4年間やって、今に至ります。
――プレーヤーからマネージャーに転身されたのですね?
奥山:そうです。慶應ソッカー部でマネージャーをやりながら、「ユニサカ」という一般社団法人を立ち上げました。そのユニサカとマネージャーと二足のわらじで、いろいろなアクションを起こしてきたという感じです。
――ユニサカについても詳しく教えてもらえますか?
奥山:「ユニーク・ユニバーシティ・ユナイト×サッカー」を略してユニサカなんですけど、自分たちが大学サッカーを変えていくというフィロソフィを掲げた一般社団法人です。早稲田大学と慶應大学による早慶サッカー定期戦を、早慶クラシコというふうにリブランディングして、この早慶クラシコを起爆剤にしながら、大学サッカーを人気向上させるチャレンジを続けてきました。
――そのような経験を踏まえて、どのような強みをアピールしたのですか?
奥山:僕はずっとサッカーしかやってこなかったので、プログラミングを書けますとか、マーケティングがうまいです、という武器はありません。だからこそ、ユニサカの時もそうですし、マネージャーの時も自分より優れた人をうまく巻き込みながら、自分一人ではできないことをやってきました。その「いろいろな人を巻き込んで自分ゴト化させるリーダーシップというのは、僕の強みだと思っています」というような説明をしました。
――奥山さんの強みの部分が、本田選手が考えているクラブづくりとマッチしたと。
奥山:そうですね。僕自身も、クラブづくりをする上で自分ゴト化させたい、仲間を増やしたいということをずっと思っていたので、そこがマッチしたという感じですね。
――クラブチームをつくりたいと思ったきっかけというのは?
奥山:高校3年生の時に、最後の大会に負けて引退したあと、僕自身があまりサッカーを見なくなり、全然興味がなくなってしまったんです。その時に、何かを自分でしている、していないということが、人のモチベーションにおいてポイントになるということに、サッカーを離れてやっと気づきました。例えば僕の両親も、僕がサッカーをやっているから試合を見に来てくれていました。実際に、大学でもいろいろな集客活動をしてきましたが、結局すべては「自分ゴト化できるか、できないか」で変わってくるという自分なりの仮説があって。これをクラブづくりに落とし込んでいきたいと考えたのが、原体験としてあります。
――それが、発起人の本田選手をはじめ、メンバーの思いとつながったということですね。ところでTwitterのDMは、フォローされていない相手にも送れるのでしたっけ?
奥山:本田さんのTwitterで「NowDo(プロを目指す選手をオンライン指導で育成し、本田選手からも直接指導が受けられるサービス)のサービスを受けたい人、DM開放するので募集します」という時間があったんです。その時、これはもしかしたら何か起こるチャンスかもしれないと思って。「サッカークラブをつくりたいんです」という内容のDMをお送りしたという経緯です。その返事があったのが、ちょうど昨年のクリスマスイブでした。
本田選手との初対面は「学ラン」
――実際に本田選手に会えることになった際、どんな感覚でしたか?
奥山:本当に返事が返ってきて、実際に会えるとなった瞬間は感動でした。「これはたぶん人生最大のチャンスだ!」と興奮しました。実際に本田さんと会った時はめちゃくちゃ緊張してめっちゃ汗をかいて、「汗、大丈夫?」と何度も言われて(笑)。
――DMでのやりとりのあと、いつ会ったのですか?
奥山:3、4日後くらいに会いました。
――会った時のことも詳しく聞かせてください。
奥山:まず僕、学ランを着ていったんですよ。サッカー部の正装が学ランだったので、何かインパクトを残さないとダメだなと思って。僕より優秀な人や、話すのがうまい人はたくさんいるので、自分のキャラクターを前面に押し出す必要があるなと思い、学ランを着ていきました。待ち合わせ場所が、この格好で入っていいのかというようなラウンジだったので、まずそこで緊張して、本田選手に会ったら、単純に「でかい!」という印象でした。身長的にはもちろん、感じるオーラという意味でも。でも当時は、これから先の未来をいったいどうしようという状況だったので、やるしかないという思いでプレゼンをしました。そこでは自分の持っている精一杯を伝えられたかなと思っています。
――就職活動はしていたのですか?
奥山:就活は一切せずに、ユニサカで企画書を書いて営業に行く、という感じの生活をずっとしていました。
――そうだったのですね。その時本田選手から受けた、印象的な言葉はありますか?
奥山:その時は、1時間半~2時間くらいの間、90%くらいはずっと僕が本田さんに聞かれたことに答える形で、ひたすら本田さんが僕の話を聞いてくれました。最後の最後になって、「ONE TOKYOというのをやろうと思っていて、一緒にやろう」というお話をいただきました。「(東京都社会人サッカーリーグ4部は)J1から数えて10個目なので、10年後にスタジアムで乾杯できるように頑張ろう」と言ってくださって。そこからのスタートという感じですね。
――その場で決まったのですか?
奥山:そうです。その場で決まりました。
――周りの人への報告は?
奥山:ちゃんと報告をしたのは両親くらいで、他の人は皆ニュースというか、Twitterで知る感じでしたね。
――両親のリアクションはどうでしたか?
奥山:僕はもともと両親にはすごく迷惑をかけて生きてきたんですけど、「いよいよ、こいつは狂った」みたいなリアクションをされて(笑)。大学を休学したんですけど、その時も「休学すると言い出して、就職活動もしないなんて。お前は東京に行ってから手をつけられなくなった。もう好きにしろ」みたいな感じでした。でも、うちの両親はもともと「結局は自分の人生だから自分でどうにかしなさい」という教育方針なので。でも父親から、結局最後に「俺はお前の親父だけど、別の人間だし、お前の後悔のないようにやるしかないから」と後押しがあったのは、本当にありがたかったです。
「550人から24人に」選手選考から始まった、運営責任者としてのミッション
――ONE TOKYOの運営責任者になって、まず最初に何から始めたのですか?
奥山:最初は、2月リリースのオンラインサロンの準備を進めながら、トライアウトで選手を集めました。1月11日くらいにリリースして、3、4日間くらい募集をして、トライアウトを1月24日に実施しました。
――550人もの応募があったそうですね?
奥山:はい。そこから110人に絞り、24人となりました。
――550人から110人に絞るまでの最初の選考は、どのように行ったのですか?
奥山:僕が全員分を見て、まずは経歴と年齢でジャッジしていきました。
――トライアウトで110人から24人に絞ったところは?
奥山:僕と、本田選手と代表の鈴木(良介)さんも一緒に見ながら絞っていきました。
――24人に絞る時は、どのような方針で決めたのですか?
奥山:本田選手が常に最も重要視しているのが、「簡単に倒れない」とか、「最後まで全力でプレーする」といったサッカーに対するスタンスなので、そこの部分で僕らの目指す方向性に合う選手を選びました。面談もしましたが、僕らがやりたいことへの理解度や、一緒にやれる仲間であるかというパーソナリティの部分を見させてもらいました。
――面談は何人くらい行ったのですか?
奥山:本田選手も同席されて25人と面談しました。
――約2カ月、本田選手の活動を間近で見てきて、本田選手のキャラクターをどのように捉えていますか?
奥山:メディアなどを通して目にする姿と大きな差はないんですけど、やっぱり情熱家というか、夢に向かってずっと走り続けられる人だなと。なおかつ、すごく魅力的な人たちを巻き込める力を持っていて、実際に今のサロンのメンバーや選手もそうですし、そこにいろいろな価値がついてくると感じています。
――オンラインサロンの参加者数の伸びについては、自分たちがイメージしていたものと比べていかがですか?
奥山:サロンメンバーは現在約230人ですが(編集部注:2月26日の取材時点)、目標は1000人なので、まだまだです。もっともっと伸ばしていきたいなと思っています。
――1000人になると、収益としては最低毎月1000万円入るということですね?
奥山:そうです、最低でも。オンラインサロンの会費は月額1万円のベーシック会員と、5万円のプレミアム会員があるので。あとは継続率が大事だと考えています。
さまざまな人の力を借りて、ONE TOKYOの旗を振り続けるのが自分の仕事
――サロンメンバーによる選挙や投票を通して、クラブ経営に必要なものごとを決めていくということですが、例えば、ユニフォームはどのようにして決まったのですか?
奥山:選挙です。まず、運営のキックオフミーティングを行った際に、皆さんに案出しをしていただきました。その案をもとにつくったデザインの中で人気が高かったものを、オンラインサロンの選挙に移行させて、実際にオンラインサロンで投票を行いました。
――監督やGM、選手、ロゴ決めまで、さまざまなことをこの方法で決定してきて感じた可能性、そして課題は?
奥山:可能性としては、誰でも立候補、投票ができて意思決定に関われるというのは、すごく魅力だと考えています。一方で、Facebook上だと投票数を1人1票と言いながら、実は複数投票ができてしまうなど、機能的な面での課題はあるかなと感じています。
――確かに、メンバーが1000人になったら、なかなか一人ひとり細かくチェックするのは難しくなりますよね?
奥山:はい、機能的な部分の課題はあると思います。僕らが最終的に目指している世界観としては、サロンを通じて新しい民主主義というか、コミュニティ、意思決定の形をつくっていきたいと考えているので。もちろん、まだまだ課題だらけではありますが、従来の価値観をひっくり返すような、新しい形を模索していければいいかなと思っています。
――価値観も職業も違う、さまざまな想いを持った人たちがたくさんいる中で、それぞれが思い思いに関わっているカオスな状態でもあると思います。
奥山:そこはすごく難しいです。やっぱり、「トップダウンとボトムアップのバランス」という言い回しに逃げるのはとても簡単ですけど、やってみないとわからないものってすごくあると思うんです。メンバーの皆さんのリアクションを見ながら、それぞれに対し、いかに迅速に柔軟に対応していけるかというのが僕の役割だと思っていて。本当にいろいろな葛藤を抱えながら向き合うことになりますが、向き合わなくなったら、成長というか、コミュニティとして終わってしまうので。そこは本当に難しいところです。
――逆に今のカオス状態が、参加メンバーにとっては“自分ゴト感”があり、継続率の高さにつながっているのではないかとも思います。
奥山:そうですね。今のオンラインサロンをパッと見た時に、どこで何が動いているのか完璧に理解できないじゃないですか。これが結構ポイントだと思っていて。「まだここに何かあるのではないか?」と感じてもらえるような、魅力的な余白づくりみたいなものは、すごく意識しているところです。
――毎日更新されている「今日の奥山」という投稿は、誰のアイデアなのですか?
奥山:僕自身、今いろいろなオンラインサロンに参加しながら勉強しているのですが、いくつかのサロンで運営者の方が毎日投稿しているのを見て、真似しました。
――いくつくらいのオンラインサロンに入っているのですか?
奥山:今は7つ入っています。どのサロンも、とても勉強になるし、参考にできるものは参考にしつつ、ONE TOKYOらしさを加えながらうまく落とし込めればと思っています。
――それらを全部見るのも、かなり大変ですよね?
奥山:スマートフォンを見ている時間が激増して、最近は1日15時間くらい見ています。
――ONE TOKYOのサロンの中でも、「これは回答してください」というような案件も多いですよね。
奥山:「奥山まだか」みたいなのが各スレッドでたびたびありますね。
――でも、完璧じゃない中でも突き進んでいくというのは、結果的には良い方向へつながっていくと思います。
奥山:僕にとっては、迷いが全然ないということが、とてもありがたい環境だと思っています。同世代の若者には、「今自分がやっていることが正しいのか?」とか、「自分の夢に一直線に進めているのか?」という葛藤があります。僕もずっとそうでした。それが、今の僕には一緒にいるメンバーや、いろいろアドバイスをくださる方々、応援してくれる方々がたくさんいて、なおかつ優秀な方ばかりなので。自分が突き進んでいる方向に対して、何の迷いもなくひたすら走るだけだと思えることは、本当にありがたい環境です。あとは、やるだけだなと。
――確かに、もし自分が走ってる方向や走り方がおかしかったら、周りのプロフェッショナルがアラートを出してくれるというのは、とても恵まれた環境ですね。
奥山:はい。僕はひたすら頑張るのが仕事です。とはいえ、自分の色はちゃんと出していかなきゃいけないと思いつつも、今は学ぶことのほうがすごく多いです。なので、そういう人たちの力を借りながら、ひたすらONE TOKYOの旗を振り続けるのが自分の仕事なのかなと思っています。
――本田選手と出会ってONE TOKYOを始めて約2カ月経ちましたけど、実際、今の手応えはいかがですか?
奥山:本当に一日一日が新鮮で、学びはもちろん、それ以上に新しい課題や問いが見えてくるので、毎日が充実しています。成長できる、好きなことを追求できる環境というのは自分一人でつくれるものではないので、本当に感謝しています。
――クラブとして「世界を意識する」と掲げている中で、奥山さんとして、このクラブと世界をどういうふうに結びつけたいと考えていますか?
奥山:僕もFCバルセロナやACミランなど海外のビッククラブに憧れて育ってきました。まだ日本には、世界的なビッグクラブと呼べるクラブはないじゃないですか。これからいろいろな人たちとクラブをつくっていく中で、東京を一つの街として、いろいろな方々と切磋琢磨しながら盛り上げていきたいと考えています。それから、オンラインのサロンなので、世界を巻き込める、国境を越えられるというのも、「世界」という視点で可能性を秘めていると思っています。
<了>
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PROFILE
奥山大(おくやま・まさる)
1997年4月29日生まれ、青森県出身。「ONE TOKYO」運営責任者。小学校時代からサッカー部に所属し、八戸高校を卒業後、慶應義塾大学体育会ソッカー部のマネージャー、また一般社団法人ユニサカを立ち上げ代表理事を務める。2019年12月、本田圭佑とTwitterで出会い、全員参加型のサッカークラブ「ONE TOKYO」運営責任者に現役大学生として就任。
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