紀平梨花はいかにロシア勢と戦うのか?「一日でも休むと危ない」胸に抱く切実な危機感
NHK杯で2位となり、12月5日からイタリア・トリノで開幕するISUグランプリファイナルへの進出を決めた紀平梨花。大会連覇を目指す彼女に立ちはだかるのは、近年その強さをさらに際立たせているロシア勢だ。4回転で世界に衝撃を与えたアレクサンドラ・トゥルソワ、アンナ・シェルバコワ、NHK杯で紀平を破ったアリョーナ・コストルナヤ、平昌五輪金メダリストのアリーナ・ザギトワ。女子シングルに急激に訪れた変化と進化に、紀平梨花はどう立ち向かっていくのか。そこには、切実なまでの危機感がある――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
NHK杯で紀平を破ったコストルナヤと、“4回転”トゥルソワの強さ
女子の世界最高得点(合計)241.02の保持者は、フリーで3種類4本の4回転を跳ぶアレクサンドラ・トゥルソワだ。しかし、4回転は跳ばないがショートプログラムとフリーで合計3本のトリプルアクセルを跳ぶアリョーナ・コストルナヤがNHK杯で出した合計点が240.00と、トゥルソワの得点との差はわずか1.02。どちらもエテリ・トゥトベリーゼ コーチの教え子である二人だが、トゥルソワは男子顔負けの高難度ジャンプを複数投入し、コストルナヤは高さのあるトリプルアクセルとスケーティング・表現など演技全体の美しさで魅せるという、違う戦略に出ている。その結果、対照的な個性を持つ二人は、1.02の僅差で目下世界の先頭を走っているのだ。
トゥルソワ、コストルナヤと同様エテリコーチ門下のアンナ・シェルバコワ、アリーナ・ザギトワという顔ぶれのロシア勢に加え、アメリカのブレイディ・テネルが出場するグランプリファイナルに、日本選手ではただ一人出場するのが紀平梨花だ。紀平はスケートカナダでトゥルソワと、NHK杯でコストルナヤと戦い、いずれも2位に甘んじる結果となった。しかし、紀平がロシア勢と競り合える世界でも数少ないスケーターであることもまた、このグランプリシリーズではっきりしたといえる。
紀平は、演技構成点でも高い評価を得るオールラウンダーであり、また練習では4回転サルコウを成功させている。ただ9月に左足首をひねる怪我をしており、その影響で4回転サルコウの練習を十分に積むことができず、また3回転ルッツを構成に組み込めないままNHK杯までの試合を戦ってきた。
NHK杯のコストルナヤと紀平の合計点での点差は8.16。紀平が左足首の痛みのため回避している3回転ルッツを除けば構成に入れているジャンプの種類はほぼ同じだが、シニア1年目とは思えないほど完成度の高いコストルナヤが、出来栄え点などで少しずつ紀平を上回った蓄積が8.16という点差になった。
NHK杯のメダリスト会見で、コストルナヤの印象を問われた紀平は次のように語っている。
「コストルナヤ選手はトリプルアクセルを跳べることももちろんすごいんですけど、加点がつくような素晴らしいコンビネーションジャンプが跳べて、あと安定感もすごくある。私もどのジャンプでも加点がつくようにしないといけないと思うし、あとはスピンでもまだまだ足りないところがあると思っています。たくさん比較した時に、まだまだ(自分の)伸ばしたいところがすごく出てきた選手です」
「一日でも休むと危ない」紀平梨花が口にした現状と本音
紀平は、ポイントランキング上ではコストルナヤ、トゥルソワ、シェルバコワに次ぐ4位でファイナル進出を決めている。上位3人はすべて今季シニアデビューしており、グランプリシリーズ6戦でそれぞれ2勝を挙げ、結果的に3人で全勝したかたちとなった恐るべきロシアの少女たちだ。グランプリ2戦で昨季より成長した滑りを見せたにもかかわらず2位に終わった紀平は、ディフェンディングチャンピオンとして臨むファイナルでの厳しい戦いを覚悟している。
「ファイナルでは昨年の(自分の)演技をしても、優勝には届かないくらい難しいと思う。それでも今回の自分の演技に満足せず、1位をこれから狙っていけるようにしたいと強く思っている。4回転(を入れること)や、ショートプログラム・フリーともにすべてのジャンプで加点がつくようにできたらと思うし、スピンやスケーティングもまだまだ足りない。体力をしっかりつけて、もっと点数をロシアの方にも近づけるように、ファイナルではその点数を狙っていけるようにしたいなと思っています」(NHK杯メダリスト会見でのコメント)
紀平の得点を伸ばす要因として、まず考えられるのは左足首の負傷以来構成から外している3回転ルッツを戻すことだが、そのことについて紀平はNHK杯の一夜明け会見で次のように話している。
「正直、ルッツをしない構成には満足はいっていない。本当は『もっと攻めた構成にしないと』と常に感じているシーズンでもあるので、ここでルッツがなかなか出せないのはすごくもったいない。自分の中で『本当にやりたいのにやれない、嫌だな』というところがあった。世界選手権までには持っていきたい。徐々に回復していけばとは思うのですが、まだ一番初めに痛めてから2カ月なので、焦らず、ケアを毎日慎重にやって、直していかないといけない」
怪我をしている左足首は、ルッツを踏み切る瞬間に外側に傾けると痛いのだという。痛めているのは靱帯か腱かはっきりしないが、診察した医師の見立ては「症状が長引いていることから、腱の可能性が高い」というもの。そして怪我をしている箇所は、アクセルなど他のジャンプでも少し使ってしまう部位なのだと語る。
「本当は休めば治るんですけど、しっかり練習しないと……。今はやっぱりどの試合でもノーミスを狙うためには、一日でも休むと危ない状況なので、少しは長引かせてしまって“ルッツなし”でも、毎日練習する方がいいかなと。まだ痛みが残るのであれば、シーズンが終わってから少し休んでみようかなと思っています」
「痛めた時は(アクセルを跳んでも)痛かったんですけれども、今のところアクセルは痛みがなくて、ダブルルッツをしたら『やっぱりダメだな』って。最近も試合がずっとあるので、ダブルルッツをしてみて『今回もやめておこう』という積み重ねになってきています」
ルッツを戻すためには練習を休むことが必要だが、他のジャンプの精度が落ちるため休めない、というのが紀平の現状だ。「一日でも休むと危ない」という紀平の言葉には、危機感に近い切実なものがあった。
4回転サルコウの投入はあるか? 紀平が目指す先
そして注目が集まるのは、4回転サルコウの投入だ。NHK杯・フリーの紀平の予定構成表には最初のジャンプとして4回転サルコウが記入されていたが、実際の演技では3回転サルコウを跳んでいる。紀平は一夜明けの囲み取材で、この判断についても言及している。
「自分の予定では(4回転サルコウを)やるつもりだったんですけれども、昔無理をして失敗した試合もいろいろあったので、『そういうふうにはなりたくない』という思いで……。やりたかったんですけれども、冷静に考えて『もうミスだけはしたくない』と思った。4回転を入れることですごく衝撃があったり体力もきつくなったりするので、その他のジャンプをミスなくできる自信があるかというと『まだ4回転を入れての通し練習が少ないな』と思った。練習不足の内容をするより、しっかり練習してきたことをする方がノーミスできるんじゃないかと思ったので、やる予定ではあったんですけど、しっかり今の自分を見つめ直して『やめておこう』という判断を最後の最後にしました」
過去にトリプルアクセルをなかなか試合で安定して跳ぶことができなかった経験を持つ紀平は、大技の投入に伴うリスクを熟知しているのだ。
ただNHK杯で、実際には3回転にしたとはいえ冒頭に4回転サルコウを跳ぶ前提の構成で試合に臨んだことには大きな意味がある。シーズン開幕前の6月に行われたアイスショー『ドリーム・オン・アイス』で「フリーは4回転サルコウを冒頭に持ってくる構成か」と問われた紀平は「そういう予定です」と話している。
「4回転サルコウ、トリプルアクセル-ダブルトウループ、トリプルルッツを挟んでトリプルアクセル(という構成)。(基礎点が)1.1倍になる後半にはならないですが、結構後半気味の場所にトリプルアクセルがあるので、そこもすごく難しいと思います」(紀平)
今までも紀平はフリーで2本のトリプルアクセルを成功させてきたが、いずれも冒頭に2本続けて跳ぶ構成だった。NHK杯という大きな試合で、前半最後のジャンプとしてトリプルアクセルを跳び、2.51の加点がつく出来栄えで成功させたことは、4回転サルコウの投入に向け大きな一歩だったといえる。
一夜明け会見の最後に、ファイナルで4回転を入れるか問われた紀平は「頑張りたい」と答えた後に「『明日から新しい靴で』と言われたので、ちょっと迷っていて」と付け加えた。靴に対するこだわりが強い紀平だけに、もし本当に靴を替えるのであればそれもファイナルでの成績を左右する鍵となりそうだ。
紀平がファイナルを連覇するためには、やはり4回転サルコウが必要なのかもしれない。ただ、昨季の世界選手権では4位だった紀平が今季の目標として挙げているのは、世界選手権の表彰台に上がること。そしてもっと長い目で見るのであれば、紀平の一番の目標は北京五輪(2022年)の金メダルだ。今季のファイナルで最強のロシア勢に挑む紀平の戦いを、北京への道程の一部として見守りたい。
<了>
ザギトワが大人になる過程を見続けたいと願う。短命すぎる女子フィギュアの残酷な現実
15歳・佐藤駿は、なぜ大舞台で世界新を出せたのか? 4回転ルッツの苦い経験と飽くなき挑戦
ジュニア世界最高を上回った16歳・鍵山優真はいかに育まれた?「父の愛」と「踊りの火種」の魅惑
羽生結弦、「至高のライバル」ネイサン・チェンの存在。自分の演技貫き「奪還したい」
羽生、紀平が見せる進化の過程。フィギュア4回転時代に求められる「理想」のスケートとは?
この記事をシェア
KEYWORD
#COLUMNRANKING
ランキング
まだデータがありません。
まだデータがありません。
LATEST
最新の記事
-
鈴木優磨が体現した「新しい鹿島」。自ら背負った“重圧”と“40番”、呪縛を解いた指揮官の言葉
2025.12.15Career -
中国に1-8完敗の日本卓球、決勝で何が起きたのか? 混合団体W杯決勝の“分岐点”
2025.12.10Opinion -
サッカー選手が19〜21歳で身につけるべき能力とは? “人材の宝庫”英国で活躍する日本人アナリストの考察
2025.12.10Training -
なぜプレミアリーグは優秀な若手選手が育つ? エバートン分析官が語る、個別育成プラン「IDP」の本質
2025.12.10Training -
ラグビー界の名門消滅の瀬戸際に立つGR東葛。渦中の社会人1年目・内川朝陽は何を思う
2025.12.05Career -
SVリーグ女子の課題「集客」をどう突破する? エアリービーズが挑む“地域密着”のリアル
2025.12.05Business -
女子バレー強豪が東北に移転した理由。デンソーエアリービーズが福島にもたらす新しい風景
2025.12.03Business -
個人競技と団体競技の向き・不向き。ラグビー未経験から3年で代表入り、吉田菜美の成長曲線
2025.12.01Career -
監督が口を出さない“考えるチームづくり”。慶應義塾高校野球部が実践する「選手だけのミーティング」
2025.12.01Education -
『下を向くな、威厳を保て』黒田剛と昌子源が導いた悲願。町田ゼルビア初タイトルの舞台裏
2025.11.28Opinion -
柔道14年のキャリアを経てラグビーへ。競技横断アスリート・吉田菜美が拓いた新しい道
2025.11.28Career -
デュプランティス世界新の陰に「音」の仕掛け人? 東京2025世界陸上の成功を支えたDJ
2025.11.28Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
鈴木優磨が体現した「新しい鹿島」。自ら背負った“重圧”と“40番”、呪縛を解いた指揮官の言葉
2025.12.15Career -
ラグビー界の名門消滅の瀬戸際に立つGR東葛。渦中の社会人1年目・内川朝陽は何を思う
2025.12.05Career -
個人競技と団体競技の向き・不向き。ラグビー未経験から3年で代表入り、吉田菜美の成長曲線
2025.12.01Career -
柔道14年のキャリアを経てラグビーへ。競技横断アスリート・吉田菜美が拓いた新しい道
2025.11.28Career -
原口元気が語る「優れた監督の条件」。現役と指導者の二刀流へ、欧州で始まる第二のキャリア
2025.11.21Career -
鈴木淳之介が示す成長曲線。リーグ戦出場ゼロの挫折を経て、日本代表3バック左で輝く救世主へ
2025.11.21Career -
なぜ原口元気はベルギー2部へ移籍したのか? 欧州復帰の34歳が語る「自分の実力」と「新しい挑戦」
2025.11.20Career -
異色のランナー小林香菜が直談判で掴んだ未来。実業団で進化遂げ、目指すロス五輪の舞台
2025.11.20Career -
官僚志望から実業団ランナーへ。世界陸上7位・小林香菜が「走る道」を選んだ理由
2025.11.19Career -
マラソンサークル出身ランナーの快挙。小林香菜が掴んだ「世界陸上7位」と“走る楽しさ”
2025.11.18Career -
“亀岡の悲劇”を越えて。京都サンガ、齊藤未月がJ1優勝戦線でつないだ希望の言葉
2025.11.07Career -
リバプールが直面する「サラー問題」。その居場所は先発かベンチか? スロット監督が導く“特別な存在”
2025.11.07Career
