日本人は練習しすぎ? 活動と休養のバランス崩壊が起こすオーバートレーニング症候群とは?
8月4日、清水エスパルスはケガで離脱中のGK六反勇治が「オーバートレーニング症候群と診断された」と発表した。過去には、日本代表GKの権田修一、元日本代表DFの市川大祐氏(現・清水ジュニアユース U-13監督)らも発症し、治療に長い時間を要している。
オーバートレーニング症候群を研究している第一人者、早稲田大学スポーツ科学部の鳥居俊教授によると、その原因は「体への過度な負荷、精神的なストレスが長く続いて発症するケースが多い」という。
昨今、夏の気温はどんどん上昇し、体への負担が大きくなっているのにもかかわらず、スポーツの全国大会などもレギュレーションが見直されるケースは少ない。
本記事をきっかけに、現在のスポーツ活動のあり方が引き起こしている弊害に一度目を向けてもらえたらと思う。
(インタビュー・構成=木之下潤、写真=Getty Images)
オーバートレーニング症候群の原因は練習のしすぎだけではない
昨今は気温がどんどん上昇し、夏のスポーツ活動も体への負担が大きくなっていると思います。それなのに数多くの全国大会が開催され、さまざまなスポーツでたくさんの合宿が行われています。そういう状況を垣間見ていると、夏のスポーツ選手はオーバートレーニングの傾向にあるのではないかと心配になってしまいます。鳥居先生は以前から、オーバートレーニング症候群は大学生・社会人アスリートが発症するものだとおっしゃっていますね。
鳥居 高校生でもオーバートレーニング症候群を発症しなくはありません。でも、多くは大学生や社会人のアスリートに起こっている病気です。それは競技の結果で進路を切り開いたり収入を得ていたりしていて、大きな責任を背負っていることが一つの要因として挙げられると思います。疲れて休みたいけど、今は休めない。
大きな期待があるから、ここまでの結果は達成しないとダメだ。そういうノルマを自分に課し、その状態を引きずって休養不足が続いてしまうと、疲れやだるさが抜けず、結果的にパフォーマンスの低下を引き起こしてしまいます。最近では、睡眠障害も多く見られます。眠りが浅くなったり、寝つきが悪かったり、朝起きてもスッキリしなかったり。
なるほど。だから、結果で大きな責任を負わない小学生、中学生、高校生は少ないわけですね。
鳥居 高校生でも上級生になるとオーバートレーニング症候群になる可能性が出てくるでしょう。小学生や中学生は、まだ大丈夫です。なぜなら練習や試合で疲れを感じたら「疲れた」という感覚が大きな割合を占め、純粋に休むからです。
でも、年齢を重ねるほど「疲れた」という感情を自らで抑圧し、トレーニングを優先させがちです。オーバートレーニング症候群はそうやって休むことを後回しにして、心身の疲れが慢性的に蓄積された時に発症する病気です。
なんだか、一般社会においても言えることですよね。例えば、仕事を優先させすぎて体のだるさが抜けないだとか。
鳥居 オーバートレーニング症候群はスポーツ選手の「慢性疲労症候群」だと考えていいと思います。社会とスポーツは無関係ではありませんから、少なからず、日本社会のあり方、日本人の働き方と通じるものがあるのではないでしょうか。
原因は肉体的な疲労はもちろん、精神的な疲労の蓄積も大きいと聞きます。
鳥居 血液検査をすると、性ホルモンの減少が数値として出てきます。男性ホルモンの低下、女性ホルモンの低下です。最近、相談に来たのは瞬発系の選手ですが、問診すると「力が入らず、体の感覚がおかしい」と。「もしかしたらオーバートレーニング症候群かもしれない」と思ったので検査してみたら、やはり男性ホルモンが低下していました。
その選手は問診1〜2カ月前にケガをして、そこまで激しい練習はしていませんでした。でも、そういう症状と検査結果が出ていたので詳しく話を聞くと、競技以外のところで大きなストレスを感じていました。
それはどういうことですか?
鳥居 最近の選手は引退後の生活も考えて、大学院に通ったり、資格取得の勉強をしたりなどレーニング以外の活動をしている場合が増えました。特にプロ契約の選手は複数の会社とのやりとりやマスコミとの応対も求められます。そういう要望に応えながらトレーニングの日々を送りますが、やはり競技以外のこととの折り合いをつけていくのが難しいようです。つまり、精神的に大きなストレスを抱えているのです。
精神的なストレスが積み重なれば、睡眠障害にもなりますよね。
鳥居 脳の視床下部という部分に高いストレスが加わると、その下の脳下垂体を刺激するホルモンが抑えられてしまうんです。それが結果として性ホルモンの低下に表れるというわけです。結局、性ホルモンの低下は男性、女性それぞれの体を守る働きが低下することを意味します。それがどういうことかと言えば、例えば「疲れがとれない」「筋肉痛が治らない」などという症状として出てくるわけです。
ストレスは脳からの指令系統のパフォーマンスも落とす、と。
鳥居 視床下部から自律神経への抑制がかかると、心拍数が変わってきたり、内臓の働きが落ちてしまったり……いろいろな症状になって体に現れます。それは人によって症状が違うんです。
性ホルモンの低下は一つの指針にすぎないわけですね。鳥居先生は以前、ホルモンの低下は自律神経のバランスを悪くするとも言っていました。
鳥居 内分泌と自律神経系は別物ですが、それぞれ情報伝達をしたり、体のコントロールをしたりとどちらにも影響を及ぼしています。だから、それらの低下を引き起こすと、体のいろんなところに不具合が生じていきます。「寝られない」「だるさが解消されない」「筋トレしているのに筋肉がつかない」もその一例です。それに単純に筋肉の修復力が落ちればパフォーマンは落ちますよね。
成長障害、ケガ、骨格の成長を妨げる可能性もある
オーバートレーニング症候群にならないためにはどうしたらいいのでしょうか?
鳥居 オーバートレーニング症候群は、スポーツ活動と心身の休養のバランスが悪くなるのが主な原因です。だから、私は特に休養へのアドバイスに力を入れています。
ということは、食事や睡眠が大事だということですね。夏休みの時期は小学生から大学生までスポーツに関わっている選手はハードな日々を送っています。あるいは、受験生にも当てはまるかもしれません。
鳥居 より高い目標を目指そうとすると、オーバートレーニングになってしまうことは自然なことです。大事なことは、トレーニングの量が増えたり、強度が高くなったりしたらその分しっかりと休む時間を取るということです。
トレーニングで体に大きな負荷がかかったら当たり前のことですよね。トレーニングと栄養補給を含む休養とのシーソーがあるとしたら、トレーニングに傾いた状態がずっと続いたらどこかでトラブルが起きるのは当然のことです。トレーニングが増えたら栄養と休養もしっかり増やさないとバランスが取れません。それは仕事でも同じことです。
確かに、心身ともにフレッシュであるほうがパフォーマンスが上がるのは、スポーツでも仕事でも変わらないことです。
鳥居 心も体もフレッシュな状態じゃないと、闘争心もなくなります。
現実問題、日本のスポーツ選手たちは練習のしすぎです。小学生もクラブに入れば週2〜3回くらいの活動に加えて、週末は試合があります、中には、「うまくなるために」と同じ競技なのにスクールにまで通わせていたりします。そうなると、週1くらいしか休む暇がありません。
鳥居 最近の子どもたちは、スポーツ活動以外に習い事もしています。だから、いつ休んでいるのかと心配になります。運動によって生じた筋肉の疲労、運動器に起きる疲労現象が解消できる時間があるのかどうか。しっかりとした休養をとらないと、オーバーユース障害につながる可能性もありますから。
もしかすると、成長障害になることだってあります。単なるケガではなく、骨格の成長を妨げる可能性もあります。そもそも子どもたちに対してオーバートレーニングの状態を作ることは、その子が大きくなろうとするキャパシティを抑圧していることです。コーチも親も、そういう責任を感じてトレーニングスケジュールを一度見つめてほしいと思います。
最近、サッカー界で言われているのは、ヨーロッパのコーチたちが「どうして日本の子どもたちは成長痛が多いのか」ということです。スペインやドイツなどで指導している日本人コーチたちに話を聞いても、向こうでは成長痛というのがほとんど見られないそうです。
鳥居 その答えは単純で、練習が多いからです。クラブでの練習以外に個人練習をしていたり、クラブとスクールを掛け持ちしていたりと日本の子どもたちは、欧米に比べると圧倒的に運動時間が多いと思います。そして、そこで重要なのは「誰の意思でそうなっているのか」ということです。本人がやりたいのか、親がやらせたいのかはどちらもあるでしょうし、競争をあおるような環境を作り出していることもあるでしょう。
コーチや親の過度な期待を含めて、日本のスポーツ選手たちにはストレス因子として外的要因が大きいように感じます。
鳥居 誰々がレギュラーになったからお前も頑張れよ。そう言われたら必要以上に頑張ってしまうのは自然なことです。
小中高とそういう環境下でトレーニングをしてきているから、大学生、社会人になってスポーツを行う時も「とにかく練習あるのみ」となってしまうのは自然なことです。
鳥居 選手たちは質より量を求められることに疑問を感じませんよね。どこかでケガをしたり体調不良を起こしたりすると、自らを振り返る機会があるのでしょうが。個人的な意見ですが、きちんとトレーニングと休養のバランスを取れば、実は結果が出たという選手もいたのではないかと思うんです。きっとオーバートレーニングによって結果が出ない選手たちも潜んでいるはずなので、もったいないですよね。
<了>
部活動も「量から質」の時代へ “社会で生き抜く土台”を作る短時間練習の極意とは?
その規制は誰のため? 高校野球「大人が口を出しすぎる」風潮への疑問
いつまで日本は炎天下での激しいアップを続けるのか? バルサもこだわる体温調節の重要性
いつまで高校球児に美談を求めるのか? 甲子園“秋”開催を推奨するこれだけの理由 高校野球改造論
「夏の公式戦中止」は本当に正しい判断か? 子どもの命を守る「対策」とは
PROFILE
鳥居俊(とりい・すぐる)
1958年生まれ、愛知県出身。東京大学医学部卒業後、同大学整形外科学教室に入る。静岡厚生病院、都立豊島病院、虎の門病院での勤務を経て東京大学病院助手、東芝林間病院整形外科部長を歴任。1998年に早稲田大学人間科学部スポーツ学科助教授に就任し、2003年より現職。専攻はスポーツ整形外科、発育発達学で、運動器の発育発達、運動器障害の予防、身体活動と骨代謝、身体活動による健康増進などをテーマに研究指導を行う。日本体育協会公認スポーツドクター、日本陸上連盟医事委員会副委員長。
この記事をシェア
KEYWORD
#COLUMNRANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
なぜ大谷翔平はDH専念でもMVP満票選出を果たせたのか? ハードヒット率、バレル率が示す「結果」と「クオリティ」
2024.11.22Opinion -
大谷翔平のリーグMVP受賞は確実? 「史上初」「○年ぶり」金字塔多数の異次元のシーズンを振り返る
2024.11.21Opinion -
いじめを克服した三刀流サーファー・井上鷹「嫌だったけど、伝えて誰かの未来が開くなら」
2024.11.20Career -
2部降格、ケガでの出遅れ…それでも再び輝き始めた橋岡大樹。ルートン、日本代表で見せつける3−4−2−1への自信
2024.11.12Career -
J2最年長、GK本間幸司が水戸と歩んだ唯一無二のプロ人生。縁がなかったJ1への思い。伝え続けた歴史とクラブ愛
2024.11.08Career -
なぜ日本女子卓球の躍進が止まらないのか? 若き新星が続出する背景と、世界を揺るがした用具の仕様変更
2024.11.08Opinion -
海外での成功はそんなに甘くない。岡崎慎司がプロ目指す若者達に伝える処世術「トップレベルとの距離がわかってない」
2024.11.06Career -
なぜイングランド女子サッカーは観客が増えているのか? スタジアム、ファン、グルメ…フットボール熱の舞台裏
2024.11.05Business -
「レッズとブライトンが試合したらどっちが勝つ?とよく想像する」清家貴子が海外挑戦で驚いた最前線の環境と心の支え
2024.11.05Career -
WSL史上初のデビュー戦ハットトリック。清家貴子がブライトンで目指す即戦力「ゴールを取り続けたい」
2024.11.01Career -
女子サッカー過去最高額を牽引するWSL。長谷川、宮澤、山下、清家…市場価値高める日本人選手の現在地
2024.11.01Opinion -
日本女子テニス界のエース候補、石井さやかと齋藤咲良が繰り広げた激闘。「目指すのは富士山ではなくエベレスト」
2024.10.28Career
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
指導者育成に新たに導入された「コーチデベロッパー」の役割。スイスで実践されるコーチに寄り添う存在
2024.10.16Training -
海外ビッグクラブを目指す10代に求められる“備え”とは? バルサへ逸材輩出した羽毛勇斗監督が語る「世界で戦えるマインド」
2024.10.09Training -
バルサのカンテラ加入・西山芯太を育てたFC PORTAの育成哲学。学校で教えられない「楽しさ」の本質と世界基準
2024.10.07Training -
佐伯夕利子がビジャレアルの指導改革で気づいた“自分を疑う力”。選手が「何を感じ、何を求めているのか」
2024.10.04Training -
高圧的に怒鳴る、命令する指導者は時代遅れ? ビジャレアルが取り組む、新時代の民主的チーム作りと選手育成法
2024.09.27Training -
「サイコロジスト」は何をする人? 欧州スポーツ界で重要性増し、ビジャレアルが10人採用する指導改革の要的存在の役割
2024.09.20Training -
サッカー界に悪い指導者など存在しない。「4-3-3の話は卒業しよう」から始まったビジャレアルの指導改革
2024.09.13Training -
名門ビジャレアル、歴史の勉強から始まった「指導改革」。育成型クラブがぶち壊した“古くからの指導”
2024.09.06Training -
バレーボール界に一石投じたエド・クラインの指導美学。「自由か、コントロールされた状態かの二択ではなく、常にその間」
2024.08.27Training -
エド・クラインHCがヴォレアス北海道に植え付けた最短昇格への道。SVリーグは「世界でもトップ3のリーグになる」
2024.08.26Training -
指導者の言いなりサッカーに未来はあるのか?「ミスしたから交代」なんて言語道断。育成年代において重要な子供との向き合い方
2024.07.26Training -
ポステコグルーの進化に不可欠だった、日本サッカーが果たした役割。「望んでいたのは、一番であること」
2024.07.05Training