92年ぶりメダル獲得の“初老ジャパン”が巻き起こした愛称論争。平均年齢41.5歳の4人と愛馬が紡いだ物語
パリ五輪で馬術代表・通称“初老ジャパン”が、92年ぶりとなるメダル獲得の快挙を成し遂げた。平均年齢41.5歳で、なぜ「初老」なのか? 世間でちょっとした論争を巻き起こしたその愛称の由来とともに、大逆転で獲得した銅メダルの背景をひも解く。
(文=藤江直人、写真=エンリコ/アフロスポーツ)
自称“初老ジャパン”の由来とは?
ネットなどで「初老」という言葉の定義を調べると、ほとんどで次のように記されている。
「かつては40歳くらいの人を指していました。ただ、寿命が長くなった現代では、初老が当てはまるのは60歳くらいからと考える人が非常に多くなっています」
この傾向に則れば、パリ五輪の総合馬術団体で銅メダルを獲得し、団体で史上初、個人を含めれば92年ぶりとなるメダルを馬術にもたらす快挙を達成した日本チームが、愛称「初老ジャパン」とともに華やかな脚光を浴びた状況が、ちょっとした論争を巻き起こした理由もうなずける。
パリ五輪に出場した日本は48歳の大岩義明を最年長に、41歳の戸本一真、39歳の田中利幸、38歳の北島隆三の4人で構成された。平均年齢がちょうど41.5歳なのに初老。違和感の有無を問われた大岩は、銅メダル獲得から一夜明けた7月30日の会見で笑顔を浮かべながらこう答えている。
「大変光栄に思っています。初老ジャパンのなかで私は長老ですが、マイナースポーツの私たちにとって、まずは認知していただくのがすごく大事なんですね。そのネーミングでみなさんの話題になれたのは私たちにとってすごくいい状況なので、ぜひとも引き続きよろしくお願いします」
実は「初老――」は自称だった。パリ五輪を目前に控えたイギリス合宿。他の競技の多くで「〇〇ジャパン」という愛称をつけられている状況に倣って、馬術でもあれこれ考えてみた。
真っ先に思い浮かんだのが、鳥の翼を羽ばたかせて空を飛ぶ、ギリシャ神話に登場する馬の名前をとった「ペガサスジャパン」だった。しかし、どうもしっくりこない。4人が生まれた元号から「昭和ジャパン」も候補にあがったなかで、飛び出したのが「初老ジャパン」だった。
愛称をつけようと提案し、一緒に考えた根岸淳監督も47歳。世代がほぼ同じチームのざっくばらんな話し合いは、一度は「昭和――」に傾きかけた直後に一変した。微笑ましいほど自虐的で、なおかつ洒落ていて、それでいてキャッチーでもある「初老ジャパン」が全員の腑に落ちた。
以心伝心のコミュニケーションが生み出す「人馬一体」の魅力
そして、銅メダル獲得の快挙とともに、X(旧ツイッター)で「初老ジャパン」はトレンド入りするほど大きな注目を集めた。3年前の東京五輪の総合馬術個人決勝で、銅メダルにわずかに届かない4位に入賞している戸本は、夢にまで見たメダルを手にしながらこんな言葉を残している。
「僕のパートナーはフランス人なんですけど……」
これだけを聞くと、戸本がフランス人と国際結婚していると思われるかもしれない。しかし、馬術におけるパートナーとは選手たちの愛馬をさす。そして、ヴィンシーJRAと名づけられている戸本の愛馬が、乗馬や馬術競走馬として世界的にも評価が高いフランス産のセルフランセ種だった。
東京五輪でも一緒に競技に臨んだヴィンシーの性格を、戸本は目を細めながらこう語る。
「僕の馬は大きな舞台でようやく本気を出すというか、自分の仕事をしっかりと理解しています。今回も大きな会場に来て、やっと俺の出番がきたね、と言いたげな感じで頑張ってくれました」
さらにヴィンシーとの絆の深さを、馬術競技の特性や奥深さをまじえながら明かしている。
「このスポーツは乗っている人間以上に、馬がアスリートとなるスポーツなので、馬の体調管理はもちろん、怪我の心配といったものを常日頃からしています。自分以外の意思をもっているパートナーと同じゴールを目指すところに、僕はこのスポーツの魅力を感じています。同じゴールを共有できるように、普段から馬の首の部分などを触りながら『いまの動きはよかったよ』といった具合に話しかけています。僕はフランス語をしゃべれないので、日本語になりますけど」
戸本の言葉には、馬術競技が「人馬一体」と言われる理由のすべてが凝縮されている。公式記録などには選手の名前だけでなく、それぞれの愛馬の名前も必ず記される。パリ五輪を含めて表彰式には選手と愛馬がペアで登場し、選手だけでなく愛馬たちにもメダルが授与される。
理想的な馬と出会い、その性格を把握し、長い時間をかけて以心伝心のコミュニケーションを築いていく。濃密な経験も求められるだけに、必然的にベテランと呼ばれる選手も多くなる。
パリ五輪に臨む総勢409人の日本選手団のうち、最年長は7度目のオリンピックとなる障害馬術団体の杉谷泰造の48歳となっている。杉谷の22日後に生まれた岩も、パリ五輪が連続で5大会目の出場。そして、悲願を成就させた後に更新した自身のXで、こんな言葉を投稿している。
<感謝しかない。気をつけてイギリスへ戻るんだぞ。一緒にやりきったな。君はすごいパートナーだ。 たまに言うこと聞かないけど…帰ったら休養と人参が待ってるよ!>
貼りつけられた動画には、移動用のトラックに乗り込む愛馬、MGHグラフトンストリートが映っていた。銅メダルを獲得した数時間後には、拠点とするイギリスの厩舎へ愛馬たちが戻る予定がすでに入っていて、快挙を祝う食事会を催す前に愛馬たちを送り出す作業に追われたという。
ともに戦った愛馬を称え、感謝の思いをあらためて伝えながら、大岩はこう語っている。
「頑張った姿を思い出すだけでも、涙が込み上げてくるものがあります。しばらくは本来の馬へ戻ってもらうというか、放牧など自然に帰すような形で、のんびりと休養を取ってもらう予定です」
障害馬術で起きたアクシデント。逆境からの3位フィニッシュの背景
人馬一体ゆえのアクシデントもあった。総合馬術は馬のステップの正確さや美しさを競う馬場馬術、さまざまな障害物が設置されたコースを走るクロスカントリー、障害物をあらかじめ決められた順番通りにクリアする障害馬術を3人馬が3日間で実施。減点の少なさを競い合う。
日本は初日の馬場馬術で5位発進し、2日目のクロスカントリーを終えた時点で3位に浮上した。しかし、最終日の障害馬術を前に実施されたホースインスペクション、いわゆる馬体検査を、大岩のグラフトンストリート、そして北島のセカティンカJRAがクリアできなかった。
グラフトンストリートは再検査をクリアしたものの、北島はセカティンカの再検査そのものを辞退する決断をくだす。競技会場のベルサイユ宮殿を取り囲む森のなかに設置された、全長5キロあまりのクロスカントリーコースを走破した際に愛馬が怪我をしてしまったと北島は明かす。
「ごめんね、という気持ちがやはり大きかったですね。もちろんイギリスに帰ってからしっかりとケアをして、足を治してあげてから、また一から踏み出していきたいと思っています」
北島とセカティンカの代わりに、リザーブとして待機していた田中とジェファーソンJRAが出場する。しかし、交代する場合は規定で20点を減点される。日本は5位に後退してスタートしたが、田中、戸本、大岩が安定した走行を披露。上位にいたスイスとベルギーを追い抜いた。
いつ訪れるかわからない出番に備えて、田中が愛馬ジェファーソンのコンディションを完璧に整えていたからこその3位フィニッシュ。大役を終えた田中は晴れ舞台をこう振り返る。
「ジャンプが本当に得意な馬なので信頼していましたし、最後まで楽しく走行できました」
金メダルのイギリス、銀メダルの開催国フランスとともに、人馬一体で登場した表彰式。愛馬セカティンカとの登場がかなわなかった北島だけが単身で、大岩とグラフトンストリート、戸本とヴィンシー、田中とジェファーソンの前を必死に走る微笑ましい光景も生まれていた。
パリ五輪メダルの要因。4人が欧州を拠点にする理由
一方で、4人馬で手にした銅メダルは、戦前の偉業も再びクローズアップさせている。日本の馬術がオリンピックでメダルを獲得するのは、1932年ロサンゼルス五輪の障害飛越をイタリアで購入した愛馬ウラヌスとのコンビで制し、金メダルを獲得した西竹一さん以来、実に92年ぶり2度目だった。
金メダル獲得を契機に、特に海外において畏敬の念とともに「バロン(男爵)西」と呼ばれるようになった西さんは日本陸軍の戦車連隊長として、太平洋戦争中の1944年に硫黄島へ赴任するも翌年3月に無念の死を遂げる。胸ポケットにはウラヌスと一緒に収まる写真があったという。
2006年に公開された映画『硫黄島からの手紙』にも登場する、西さんの活躍が思い出されるのと同時に、素朴な疑問も頭をもたげてくる。馬術の本場ヨーロッパ勢を中心とする世界の壁に、1世紀近くもはね返され続けた日本の馬術が、なぜパリ五輪で銅メダルを獲得できたのか。
馬術部のキャプテンを務めた明治大学卒業後に一度は馬術から離れるも、テレビ観戦した2000年のシドニー五輪に刺激を受け、翌年に活動拠点を求めてイギリスに渡った大岩が言う。
「まずは東京五輪へ向けて、東京五輪の前から強化されてきた点があります。パリ五輪まで、かなり長い年月がかけられてきました。さらにその間、今回の4人がヨーロッパに滞在したままトレーニングを続けられました。普通はそれぞれが所属している会社の事情などもあって、早めにメンバーが交代するケースもありますけど、今回に限っては同じメンバーが10年近くもヨーロッパに滞在して、もっともいい環境でトレーニングを続けられた。これが一番の要因だと思っています」
馬術が身近にあるヨーロッパでは、レベルの高い国際大会も数多く開催される。日本を拠点にスポット参戦するのも可能だが、渡航するたびに愛馬の検疫が繰り返されれば、過度なストレスを与えかねない。愛馬を最優先で考えれば、全員がヨーロッパを拠点にするのがベストだった。
一時はドイツを拠点にした大岩を含めて、近年は4人ともイギリスを拠点にしてきた。それぞれが所属している厩舎からは馬の餌の管理や健康維持に努め、パリ五輪本番へ向けて馬のコンディションを仕上げながら選手たちもサポートする、グルームと呼ばれるスタッフも派遣されていた。
集大成となったパリ五輪。「初老ジャパン」のもう一つの夢とは
4人は2018年からチームを結成し、同年の世界選手権の総合馬術団体で史上最高位となる4位に入った。しかし、コロナ禍で1年延期された東京五輪は、メダルにまったく手が届かない11位。悔しさを糧に挑戦を継続させ、ヨーロッパで開催されるパリ五輪を最大の目標にすえてきた。
だからなのか。2028年のロサンゼルス五輪を含めた今後に関して、4人は異口同音に「所属先と相談したい」と語った。大岩は日本企業のnittoh、戸本は日本中央競馬会、田中と北島はともに乗馬クラブクレインに所属している。日本への帰国も選択肢に加わってくる可能性もある。
さらに大岩は、愛馬グラフトンストリートに関してこんな事情もつけ加えている。
「今回のパートナーを組んだ馬は16歳なので、4年後だと20歳になります。このパートナーシップで次のオリンピックに向かっていく、という形はおそらくないと思っています。どういった形で続けるのかを含めて、いろいろと相談したうえで決めていきたい」
もしかすると、知名度が一気に高まった「初老ジャパン」として大きな国際大会に臨むのは、パリ五輪が最初で最後になるかもしれない。それでも舞台となったベルサイユ宮殿を愛馬とともに駆け抜け、イギリスのアン王女からメダルを授与された表彰式での勇姿は日本中に新鮮な驚きを与え、五輪のなかで唯一、男女が同じ舞台で競う馬術という競技の存在を強烈に印象づけた。
団体に続いて行われた総合馬術個人決勝で、5位に入賞した戸本はこう語っている。
「僕が海外で経験したことを次の世代に伝えていって、もっと若い選手たちがロサンゼルス五輪やその次を目指していく手助けをすることも、僕の使命だといまは感じています」
日本代表の愛称が「〇〇ジャパン」へ変わるとすれば、それは競技人口の広がりを意味する。愛してやまない馬術競技の発展は、メダル獲りに続く「初老ジャパン」のもう一つの夢でもある。
<了>
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