「金メダルだけが目的ではない」井上康生が日本代表に説く『いだてん』嘉納治五郎の教え
ロンドンオリンピックでまさかの金メダル0個という屈辱を受けた日本柔道は、リオオリンピックで52年ぶりに全階級メダル獲得という偉業を成し遂げ、“復権”を果たした。その立役者となった全日本男子監督の井上康生氏はこう言う。
「柔道で活躍する、金メダルを取るだけではなく、柔道を通じて社会貢献していくことを学んでほしい」
なぜアスリートが社会貢献なのか? 自らも積極的に社会貢献活動を続けている井上氏に、その真意を語ってもらった――。
(インタビュー・構成=野口学[REAL SPORTS副編集長]、撮影=たかはしじゅんいち)
あらためて考えるべき「アスリートの価値」
アスリートの価値とは何か――?
競技で結果を残すこと、見る者に感動を与えること。確かにそれは、アスリートだけが持つ力であり、揺るぎのない価値だ。
だが、それだけではない。
アスリートがその力を発揮できる場所は、フィールドの外にもある。キャリアの中で培ってきた力を、社会のために使う、社会のために役立てる。そうすることで、アスリート、スポーツの社会的地位が向上することにつながり、その価値はさらに高まっていく。
スポーツの力を活用して社会貢献活動を促進すること、社会課題の解決を加速させてソーシャルイノベーションの輪を広げていくことを目的に、2017年、日本財団によって「HEROs」が創設された。12月には「HEROs AWARD 2019」を開催し、その活動内容が特に顕著な5組のプロジェクトを表彰した。
HEROs創設時からアンバサダーを務める井上康生氏は、「アスリートの価値」「アスリートの社会貢献」をどのように考えているのだろうか?
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――井上さんは、HEROsの創設から3年間アンバサダーを続けていますが、HEROsにはどんな意義があると感じていますか?
井上:スポーツの究極の目的は、そこで学んだものをいかに社会に生かしていくか、社会に貢献するかということが圧倒的に重要だと思っています。HEROsではそうした理念を一番に掲げていることに共感を持っています。世の中には多くのアスリートがさまざまな社会貢献活動をしているにもかかわらず、どうしても競技面の活動の方ばかりに注目が集まりがちです。スポーツを通じて、さまざまな分野で活躍している方に注目して、スポーツの価値を幅広く見てもらえることは素晴らしいことだと感じています。
これまではそれぞれ活動していたと思いますが、HEROsができたことで、社会貢献活動をしている方々がこうして一つの場所に集まることができる。まるで『アベンジャーズ』のように、スーパーヒーローたちが結集したときには、個々での活動がより一層、2倍にも3倍にも10倍にも大きくなるのではないかと実感しています。そういう意義がHEROsにあるのではないかと僕自身も非常に魅力を感じていて、アンバサダーを務めさせていただいております。
しかしながら、まだまだこれからやれることもあると思いますし、時代が移りゆく中で我々が力を注いでいけることを新たに発見していけるんじゃないかなと思っています。そういう面では、引き続き、どんな影響をどれだけ出していけるかわかりませんが、全力で頑張っていきたいと感じています。
リサイクルした柔道衣を途上国へ 井上が実践する社会貢献
――この3年間、井上さんの中で自分自身の変化はありましたか?
井上:より一層、社会貢献に対する思いが強くなりました。私の高校の先輩であり、大学の先輩であり、柔道の先輩でもあり、恩師でもあり、また子どものときからの憧れの先生、選手でもあった山下泰裕先生が表彰(※)されていましたが、社会貢献、国際交流に関する活動はこれまでにも身近で見させてもらってきました。選手のときには自分のことしか、どうやったら自分自身を高められるかということばかりを考えていて、その活動の意義の全てを本当に理解していたわけではありません。
でも今、監督という立場になって、指導者という立場になって、それプラスα、どうしたら選手たちを、組織を大きくしていけるのかを考えるようになり、その延長上で、スポーツを生かして世界中の人々にどんな影響を及ぼしていけるのかという考えを持つようになりました。そういう意識というのはここ3年で、松坂大輔さんの言葉じゃないですけど、「自信が確信に変わった」といいますか、より一層こういうことをやってみたい、ああいうことをやってみたいという発想が生まれたりといった変化は間違いなく起きていると思います。
(※「HEROs AWARD 2019」において、山下氏が理事長を務め2006年4月から2019年6月まで活動していた認定NPO法人 柔道教育ソリダリティーが受賞した。柔道による文化交流を推進し、国際紛争や貧困問題に取り組んできた)
――井上さんは今年(2019年)4月にNPO法人JUDOsを設立して、発展途上国への指導者派遣やコーチングセミナーの開催、リサイクルした柔道衣や柔道畳を送ったりする活動も精力的にやられていますね。
井上:そうですね、そうした事業は山下先生がやられていたNPOを引き継ぎながらやらせてもらっているのですが、近年、世界中からの求める声がものすごく大きくなってきています。それはやっぱりSNSによる影響が非常に強いのかなとは思っています。いろいろな方たちに協力してもらいながら途上国であったり恵まれない方たちに対してサポートができているのは、それを目指してやってきたこともありますので、非常にうれしいことですし、これからも続けていきたいです。
それとプラスα、新たな事業として、世界中の子どもたちに対して、まだまだやれることはたくさんある。例えば柔道は非常にけがの多い競技ではありますので、けがによって悩んだり苦しんだりしている人たちに対してのサポートなど、本当にまだまだいろいろとできることはあるんじゃないのかなと思います。2020年の東京オリンピックまでは、全日本の監督としてやらなければならないことがありますから、そこをまず第一に考えつつ、しかしそれが終わった以降においては、もっともっと幅広く活動ができるように準備をしていきたいと思っています。

井上を衝き動かす、柔道創始者・嘉納治五郎の言葉
――井上さんは全日本の監督として、選手たちに常々、「柔道を通じて社会を生きる力を身に付けてほしい」「柔道を通じて社会貢献していくことを学んでほしい」と訴えかけていますね。
井上:選手が持っている力というのは、柔道で活躍する、金メダルを取るというものだけではなく、もっともっと幅広く生かしていける力を持っていると思っています。柔道の創始者である嘉納治五郎先生が説いた言葉として、いかにわれわれは柔道で培ったものを、養ったことを社会に還元できるか、社会に貢献できる人間になっていくか、これが一番重要な目的なんだ、というものがあります。まさしくその通りなんじゃないかなと思っています。
競技をしている中では、その競技を全うすることによって本当にたくさんの人々に感動を与えてくれる。それはやっぱり、自らの身体をもって、自らの限界、可能性にチャレンジした上で、達成していく、このドラマというのは本当に素晴らしいものだと思いますので、それが選手としてはまず一番できること。
それプラスα、例えば柔道教室を開催することによって、どれだけの子どもたちが、選手を見ることができた、選手と組むことができた、サインをもらったということで、どれだけのエネルギーが日本柔道界の力に、もっというならば日本の力に変わっていくか。さらにはより一層、世界との結びつきが深まり、世界に与える力があるか。そういう選手としての持っている力を存分に生かしていきながら、自分自身の価値を高めていく、柔道界の価値を高めていく、スポーツ界の価値観を高めていってもらいたいなと思っています。
井上氏はこれまでに数多くの国々に訪れ、柔道指導、柔道交流を行ってきた。数百人の子ども、大人たちが、一斉に笑顔になる、そんな光景をいくつも目にした。時には言葉が通じなかったり、国籍、人種、宗教が違うにもかかわらず、柔道を通じて心が通じ合ったり、絆や友情が育まれる力を、身をもって経験してきた。
アスリートの価値とは何か――?
今、世界中ではさまざまな問題が起きている。その全てがスポーツで解決できるものではないかもしれない。だがそれでも、そうした社会課題に少しでも寄与できる力、可能性を、スポーツ、アスリートは持っている。
アスリートは何をすべきか。アスリートには何ができるのか。井上康生の言葉、そしてHEROsには、スポーツ界のあるべき未来のヒントが映し出されている。
<了>
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PROFILE
井上康生(いのうえ・こうせい)
1978年5月15日生まれ、宮崎県出身。2000年、シドニー五輪・柔道男子100kg級で金メダル獲得。世界柔道選手権で、1999年、2001年、2003年と3連覇を達成。2008年、現役引退。
2012年、全日本柔道男子監督に就任。2016年、リオデジャネイロ五輪で金メダル2個を含む全階級メダル獲得を達成、1964年東京五輪以来52年ぶりの快挙で日本柔道を復権に導く。2020年、東京五輪では全階級での金メダル獲得を目標に掲げる。
国際柔道連盟殿堂入り(2013年)。東海大学体育学部武道学科准教授。HEROsアンバサダー。著書に『改革』(ポプラ社)など。
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