「フランスW杯初出場で3位」当事者が語る伝説のクロアチア代表の内実と、日本との絆
2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会で準優勝という結果を残したクロアチア代表。その年から遡ること20年前のフランス大会ではタレント軍団を擁して3位に輝いたことを覚えている人もいるのではないだろうか。1998年当時のクロアチア代表を追ったドキュメンタリー映画『ヴァトレニ クロアチアの炎』のプロデューサーとして来日したミロスラヴ・ブラジェヴィッチ氏がクロアチアを率いた名将と選手たちの当時と現在について、そしてクロアチアと日本をつなぐある絆について語る。
(文・写真=宇都宮徹壱、通訳・写真=長束恭行)

ワールドカップ3位に輝いたヴァトレニを率い、支えた親子
「美しい、あなたの、国に来られて、とても、うれしいです」
インタビュー開始前、手にしたメモを頼りに日本語で読み上げる、その律儀な姿勢にまず心を打たれた。1月25日と26日、横浜市開港記念会館で開催された、ヨコハマ・フットボール映画祭(YFFF)2020。初日に上映された、1998年FIFAワールドカップ・フランス大会でのクロアチア代表のドキュメンタリー『ヴァトレニ クロアチアの炎』のプロデューサー、ミロスラヴ・ブラジェヴィッチ氏が今回の語り手である。
この名を聞いて、ピンと来るサッカーファンも多いだろう。彼の父親は、FIFAワールドカップ・フランス大会で、ヴァトレニ(クロアチア代表の愛称で「炎」の意味)を3位に導いた、ミロスラヴ・ブラジェヴィッチ氏。親子とも同じ名前なので、本稿ではそれぞれの愛称である「チーロ(父)」「ミロ(子)」と呼ぶことにする。
ミロ氏は1972年生まれの47歳。チーロ氏の仕事の都合でスイスのシオンに生まれ、フランスのナントでセカンドチームの一員となったものの、20歳で早々にプレーヤーとしてのキャリアを終えている。その後、ボルドーの大学で経済学を修め、ディナモ・ザグレブに広報スタッフとして迎えられる。
「私がディナモで働いていたのは、1993年から1996年まで。ちょうど父が監督をしていた時に、私は広報の仕事をしながら、クラブの新しいインフラ作りに没頭していた。当時のディナモからは、多くの選手がビッグクラブに羽ばたき、1998年のヴァトレニに加わった。マリオ・スタニッチ、ゴラン・ヴラオヴィッチ、ダリオ・シミッチ、ズヴォニミル・ソルド。私が来る2年前には、ダヴォール・シューケルとズボニミール・ボバンもいたね」
もっとも、当時のクラブ名は『クロアチア・ザグレブ』だった。これはクロアチア初代大統領のフラニョ・トゥジマンが「クロアチアの名を世界に示すために」無理やり改名。これにはサポーターが大反発し、トゥジマンが死去した翌年の2001年、ようやくディナモの名を取り戻している。「トゥジマン自身も1998年の成功により、クロアチアの名を知らしめるのはクラブチームではなく代表チームであることを理解できたと思う」というのがミロ氏の意見である。

2018年と1998年のクロアチア代表は何が違う?
作品が完成したのは2018年。この年にロシアで開催されたワールドカップで、クロアチアが決勝戦に進出したことは周知のとおり。結果として2-4でフランスに敗れたものの、人口約410万人の小国が世界2位となったインパクトは大きかった。20年前に3位に輝いた時のヴァトレニと、何かと比較されることも多かったと思われるが、ミロ氏は「2つのクロアチア代表はまったく違う」と強調する。
「まず、確認しておこう。2018年のロシア大会で準優勝するまで、1998年の3位という成績は、クロアチアサッカー界において最大の快挙だった。そして同じクロアチア代表でも、2018年と1998年とではまったく異なる。2018年のチームは、ルカ・モドリッチという名の宇宙人のようなタレントがいて、一人の賢い監督(ズラトコ・ダリッチ)がいた。ダリッチは、決して特別なことをしたわけではない。選手を型にはめないやり方で、チームを正しい方向に導くことに成功した」
2018年のメンバーはモドリッチ以外にも、イヴァン・ラキティッチ、イヴァン・ペリシッチ、マリオ・マンジュキッチといったタレントは揃っていた。ここは意見が分かれるところだろうが、個人的には大会得点王になったシューケルやキャプテンのボバン、さらにはロベルト・プロシネチキやスラベン・ビリッチやロベルト・ヤルニを擁する当時のクロアチア代表のほうがタレント軍団であったように感じられる。ミロ氏も同意見だった。
「2018年と比べると、1998年のヴァトレニはスター選手が揃っていて、それぞれのキャラクターも強烈だった。そんな彼らがなぜ、ファミリーのように団結することができたのか。それはやはり、チームを率いていた私の父の力量に負うところが大きかった。チーロは偉大な心理学者であり、常にファンタスティックに物事を解決できる指導者だった。そして私自身、あの代表チームのスタッフとして働く幸運に恵まれた」
チーロ氏が、代表でも息子をスタッフに取り立てたのは、単なるコネ人事ではなかった。開催国であるフランスの事情に通じ、フランス語も堪能だったミロ氏は、これ以上ない適任者であったからだ。代表のキャンプ地に、ミネラルウォーターで知られるヴィッテルをアテンドしたのもミロ氏。当人も「あのチョイスが素晴らしい効果をもたらした」と胸を張る。もっとも大会期間中は、さまざまなプレッシャーやジレンマもあったという。
「毎日のように解決すべき課題があった。ジャーナリストへの対応はもちろん、政治家がキャンプ地を訪問することもあったし、選手からの要望やチケットのリクエストにも応えなければならなかった。とにかく、監督である父が試合に集中できることを、私は何よりも最優先で考えていた。そしてチーム内で起こったことは、そのほとんどに私は立ち会っている。だからこそ、今回の映画を製作する適任者だったと言えるだろうね」

なぜシューケルとボバンは登場しなかったのか?
実はミロ氏は、生粋の映画人というわけではない。YFFFの舞台挨拶でも「この作品は、私が最初にプロデュースしたものであり、おそらく唯一の作品になるでしょう」とコメントしている。では、なぜ映画製作を思い立ったのか。当人いわく「メキシコ人が天から降ってきたんだ(笑)」。ザグレブでの映画祭で、たまたまメキシコの映画関係者と出会い、そこで「一緒に映画を作ろう!」と意気投合。彼らはクロアチア代表のファンであり、1998年のインパクトをよく覚えていた。一方でミロ氏は、当時のメンバーとは今も家族ぐるみの付き合い。そこでまずは、一人ひとりにコンタクトを取るところからスタートした。
「連絡すること自体、何ら問題はなかった。問題は、彼らの居場所がバラバラだったこと。(撮影当時)プロシネチキはアゼルバイジャン代表の監督、ビリッチはウェストハムの監督、ヤルニはスペインで話が聞けた。ヨーロッパのあちこちを飛び回らなければならなかったので、完成までに2年半かかってしまった。それでも全員が、20年前のことを喜んで語ってくれたよ。彼らは1998年の経験を通して、キャリアの価値を高めることができたし、それ以上に自分たちが歴史の証人であるという強い自覚もあったからね」
一方で気になったのが、シューケルとボバンの証言がなかったことだ。ミロ氏によれば、シューケルはクロアチアサッカー協会の会長職が多忙で「捕まらなかった」。ボバンについては「彼はFIFAの役員だったので、規定によりインタビュー取材ができなかった」。それでも、彼らの不在に不満を感じることはない。むしろ個人的には、政治的にもサッカー観でも相容れない関係にあるビリッチとイゴール・シュティマッツが、歴史を乗り越えて未来を前向きに捉える必要性を揃って説いていたことに感動を覚えた。
「ビリッチもシュティマッツも『人々はお互いに寛容にならないといけない』というコメントを残している。彼らはこの映画で、クロアチアの未来について語ってくれた。第二次世界大戦後の日本人もそうだったと思うが、われわれも未来に向けて歩みを進めなければならなかった。今の若者たちは、戦争もユーゴスラビアも知らない。1998年の快挙も、歴史として知っているだけだ。それでもこの作品を通して、2018年のクロアチアがどれだけの偉業を成し遂げたのか、あらためて理解できたのではないかと確信しているよ」

クロアチアと日本とを結ぶ「サッカーの縁」
ところで父親のチーロ氏は、この映画をどう見たのだろうか。ミロ氏によれば「最初は『お前に映画なんか作れるのか?』と懐疑的だった」が、実際に映画を見て「感極まって涙を流していた」そうだ。今年で85歳となったが、今もザグレブで健在で、大学や企業でモチベーションに関する講義を続けているという。作品に登場する元ヴァトレニたちも、それぞれ年齢を重ねたが、いずれも当時の面影を確認できたのはうれしかった。と同時に、20年という時の移ろいを感じずにはいられない。
「1998年のクロアチアは、戦争が終わったばかりで、国民もまだまだ貧しかった。ワールドカップに挑むヴァトレニを応援するために、最後の貯金をはたいてフランスの渡航費に費やした人がほとんどだった。それだけじゃない。お金もチケットも持たずに現地に行った人もたくさんいたよ(笑)。彼らにあるのは、大きな夢、それだけだったよ。2018年のクロアチア人は、20年前と比べると間違いなく豊かになった。そして何より、すでにサッカー大国として認識されていた。そこが一番の違いだったかもしれない」
最後に、クロアチアと日本とを結ぶ「サッカーの縁」についても聞いてみた。ワールドカップの本大会では1998年と2006年に対戦。また2002年の日韓大会では、クロアチア代表は新潟県の十日町をキャンプ地に選び、両者の交流は18年を経た今も続いている。2年前のワールドカップでは、街を挙げてクロアチアを応援していたことが本国でも伝えられ、それがきっかけで十日町での特別上映も決まった。
「われわれの国の歴史を、海外の人たちが理解するのは難しい。映画に出てくるヴァトレニたちの言葉が、理解の大きな助けになると思う。その意味で、この作品が遠く離れた日本でも上映されることは極めて重要だ。そして今回、十日町の皆さんにも作品を見ていただけることを光栄に思う。われわれの友情が、今も続いているのは実にファンタスティックだ」
もう一つ、両国の「サッカーの縁」で忘れてならないのが「キングカズ」こと三浦知良の存在である。カズは1998年、当時のクロアチア・ザグレブで1シーズンプレー。12試合に出場して得点なしという結果に終わっている。しかし、ミロ氏のカズに対する評価は、思いのほかポジティブなものであった。そのコメントをもって、本稿を締めくくろう。
「ミウラが来た時、私はすでにクラブを離れていたが、彼のことはよく知っているよ。何しろクロアチアで初めてプレーした日本人選手だったからね。しかも試合はもちろん、トレーニングでも常に100%の力を発揮する選手だった。今も現役でプレーを続けていることも、もちろん知っている。なかなか信じ難いことだけれど。彼こそが真のプロフェッショナルだと私は思っているよ」
<了>
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