世界を驚かせたトゥルソワ電撃移籍は、必然だった。プルシェンコが人生を捧げた4回転の誇り

Career
2020.09.26

フィギュアスケート界の勢力図が大きく変わろうとしている。昨季グランプリファイナル女王のアリョーナ・コストルナヤをはじめとしたロシアのトップスケーターたちが次々と“皇帝”エフゲニー・プルシェンコの門下に入っている。その皮切りとなったのは、昨季わずか15歳にして4種類の4回転ジャンプを操り世界を驚かせたアレクサンドラ・トゥルソワだった。必然ともいえる2人の邂逅(かいこう)は、“4回転”にスケート人生をささげ続けた男の信念が導いたのかもしれない――。

(文=沢田聡子、写真=Getty Images)

女子“4回転”の先駆者トゥルソワが見せた、さらなる進化

16歳のアレクサンドラ・トゥルソワが3本の4回転に挑むのを、37歳のエフゲニー・プルシェンコはリンクサイドで見守っていた。

ロシアのシニア代表選手が出場するフィギュアスケート・ロシアテスト大会(モスクワ)の最終日となる9月13日、女子フリーでトゥルソワは「ロミオとジュリエット」を披露した。冒頭4回転ルッツを跳ぶも転倒、しかし続く4回転トウループ―3回転トウループはきれいに決め、単発の4回転トウループでは手を着いたものの着氷した。演技を終えたトゥルソワに拍手を送ったプルシェンコは、リンクサイドでトゥルソワとコーチ陣をねぎらうように抱きかかえた。

シニアデビューした昨季まではロシア女子のトップスケーターを数多く育てるエテリ・トゥトベリーゼ コーチに師事していたトゥルソワが、今季“皇帝”プルシェンコの下に移籍したことは大きなニュースとなった。トゥルソワは、昨季までの国際大会で4種類の4回転(ルッツ・フリップ・サルコウ・トウループ)を成功させている。そしてロシアのメディアによれば、プルシェンコは7月17日、トゥルソワが練習で4回転ループとトリプルアクセルを習得したことを明らかにしたという。常に高難度ジャンプに挑み続けてきた“皇帝”の下で、トゥルソワはさらなる大技を身に付けつつあるようだ。

プルシェンコが4回転に懸けたスケート人生

2002年ソルトレイクシティ五輪銀メダルに始まり、2006年トリノ五輪金メダル、2010年バンクーバー五輪銀メダル、2014年ソチ五輪金メダル(団体)と続くプルシェンコの光り輝くキャリアは、常に4回転と共にあった。ソルトレイクシティ五輪では、ショートプログラムの4回転で転倒、4位発進となる。同国の好敵手アレクセイ・ヤグディンに後れを取って迎えたフリーでは、4回転―3回転―3回転(3つ目のジャンプはステップアウト)という超高難度のコンビネーションジャンプに挑み、銀メダルを取った。そしてトリノ五輪では4回転―3回転―2回転のコンビネーションジャンプを決め、2位に27.12の大差をつけて念願の金メダルを獲得している。

そして、バンクーバー五輪ではプルシェンコの4回転に懸ける思いが世界の注目を集めることになる。トリノ五輪後しばらく試合に出ていなかったプルシェンコだが、バンクーバー五輪シーズンに競技復帰し、連戦連勝して強さを見せた。トリノ五輪後は技の質が重視されるようになった反面、大技への挑戦にはリスクが伴うようになり、2008、09年の世界選手権・男子シングルは4回転を跳ばないスケーターが制している。そんな中、4回転をひっさげて再び勝負の世界に戻ってきたプルシェンコは、連覇が懸かるバンクーバー大会に優勝候補として臨んだ。

バンクーバー五輪のショート、4回転―3回転を決めて首位に立ったプルシェンコと、4回転は組み込まない構成をクリーンに滑り切って2位につけたエヴァン・ライサチェク(アメリカ)の差は、わずか0.55。フリー最終グループでの滑走順はライサチェクが1番、プルシェンコは最終の6番だった。ライサチェクはショート同様、4回転を入れない構成を確実に完遂した。

「タンゴ・アモーレ」に乗ってフリーの演技を開始したプルシェンコは、冒頭でショートに続き4回転―3回転を決めた。プログラムを通して軸が曲がるジャンプが多かったが、それでも強引に着氷する持ち前の強さを発揮して転倒は一つもなく、4回転に加えトリプルアクセル2本も組み込む高難度の構成を滑り切った。

4回転への挑戦は、アスリートとしてのプライドそのもの

ライサチェクとプルシェンコのフリーでの得点を比較すると、いわゆる芸術点に当たる演技構成点は、まったく同じスコア(82.80)だ。そして、4回転の有無で差がつきそうに思われる技術要素の基礎点を比べると、ライサチェクは74.93、プルシェンコは75.03と差はわずかだということが分かる。基礎点が1.1倍になる後半のジャンプをプルシェンコは3回しか入れていないのに対し、ライサチェクは5回組み込んでいることが効いているのだ。さらに、ジャンプの質などで上回ったライサチェクは出来栄えでの加点が多く、その結果プルシェンコの技術点82.71より1.86高い技術点84.57を獲得した。この1.86点差がそのままフリーの差になり、ライサチェクは逆転して金メダルを獲得、プルシェンコは銀メダルに終わった。

ショート・フリーの両方で4回転―3回転を成功させたものの銀メダルに終わったプルシェンコは、一度も4回転に挑戦しなかったライサチェクが金メダリストとなったことに疑問を呈している。
「オリンピックの覇者が4回転をやらないなんて、ちょっと分からない」(ロイター)

ここから始まったいわゆる“4回転論争”は、フィギュアスケートの在り方を問う論戦となって白熱し、その決着はいまだついていないともいえる。ただ一つはっきりしているのは、プルシェンコにとって4回転ジャンプは、アスリートとしてのプライドそのものだったということだろう。

そしてバンクーバー五輪後には、国際スケート連盟(ISU)により4回転に挑戦しやすくなるようなルール改正が行われている。それまでは4分の1回転以上回転不足になると1回転少ないジャンプ(例えば、4回転の回転不足は3回転扱いになる)の基礎点で計算されていたが、4分の1回転以上2分の1回転未満の回転不足の場合は、跳んだジャンプの基礎点のうち7割を与えるというルールになった。このルール変更が行われた理由の一つには、プルシェンコの問題提起もあったのではないだろうか。

必然だったトゥルソワと“皇帝”の邂逅

そして自国開催の2014年ソチ五輪を31歳で迎えたプルシェンコは、新種目である団体戦に出場する。ショート・フリーの両方で4回転を決め、ショートでは個人戦で金メダリストとなる羽生結弦に次ぐ2位、フリーでは1位の得点を獲得し、ロシアチームに金メダルをもたらした姿は“皇帝”の名にふさわしかった。

しかし団体戦から中3日で迎えた個人戦ショート、第2グループの1番滑走者として6分間練習に臨んだプルシェンコに異変が起こる。トリプルアクセルを1本跳んだもののステップアウトし、直後にかがみこむ仕草をしたプルシェンコは、再度アクセルに挑むが今度は回転がほどける。声援が客席から響く中、プルシェンコは時折腰を押さえる仕草をしながら6分間練習を終えた。さえない表情のままアレクセイ・ミーシン コーチと何事か話し、名前をコールされると、審判のところに向かう。そしてプルシェンコは演技を始めることなく客席に軽く手を上げてそのままリンクから上がり、観衆の前から姿を消した。プルシェンコは、ソチ五輪の個人戦を棄権したのだ。当時の報道によれば、プルシェンコはミックスゾーンで「神様に『エフゲニー、もう十分だ、もうスケートは十分だ』と言われた気がしたよ」と語ったという。

いったい何が起こっていたのか、プルシェンコは後に自らの言葉で次のように語っている。
「腰の骨を止めていたチタン製のボルトが、試合前の練習中に外れて……あんな痛み、感じたことない。演技は不可能だった」(NHK「アナザーストーリーズ」より)

プルシェンコの体内にはボルトだけではなく、人工椎間板も入っていた。12回の手術を経たといわれるプルシェンコの肉体は、長年にわたる競技生活で満身創痍(そうい)になっていたのだ。プルシェンコが時にはコメントで、そして何よりもその演技で強烈にアピールし続けた4回転は、文字通り身を削って跳び続けていたジャンプだったといえる。

4回転は、“皇帝”プルシェンコが競技人生を通じて保ち続けたプライドだった。女子の4回転における先駆者であるトゥルソワがプルシェンコの指導を仰ぐことになったのは、必然だったのかもしれない。

2018年、プルシェンコはロシアのメディアに対し、当時ジュニア選手として既に4回転を跳んでいたトゥルソワらについて、シニアにも4回転を持っていけるが、維持するのはより難しくなると語っている。選手として果敢に4回転に挑んできたプルシェンコは、コーチとなった今、どのようにトゥルソワの4回転に磨きをかけていくのだろうか。

<了>

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