「練習、練習って…」は誤解だ。NBA伝説アレン・アイバーソンが初めて明かす“あの会見”の真実
NBA史上、最も有名な記者会見のひとつと言われるアレン・アイバーソンの「Practice(練習)」発言。何度も切り取られ、ミームとして消費されてきたあの言葉には、多くの人が知らない背景があった。トレード騒動、恩師ラリー・ブラウンとの確執、そして親友の突然の死――。本稿では書籍『アレン・アイバーソン自伝 THE ANSWER』の抜粋を通して、世界中が誤解した「あの日」を、本人が初めて詳細に語る。
(文=アレン・アイバーソン、訳=岩崎晋也、写真=ロイター/アフロ)
「どこにも行かない」幸せな気持ちで会見へ向かった
あの記者会見、みんなもたぶん知っているあの会見をしたのは、久しぶりにいい気分だったからだ。2002年5月7日。NBAでの6シーズン目が不本意な結果に終わったばかりだった。オレはそれまでにオールスターに2度選ばれ、MVPを獲っていた。NBAチャンピオンにもあと一歩に迫った。ところが、ラリー・ブラウン・ヘッドコーチと不仲で、フィラデルフィア・セブンティシクサーズからトレードに出されるという噂が流れていた。愛する街、はじめから温かく迎え入れてくれた街、地元の街から、オレは放出されるだろうと。誰もがどうなるのかを知りたがっていた。来シーズンここにいるのはブラウン・コーチか、それともオレか。
その噂は、1年間ずっと耳に入ってきていた。「アレン・アイバーソンのトレード先はどこだ?」「セブンティシクサーズには、アレン・アイバーソンはもう必要ない」「ラリー・ブラウン・ヘッドコーチともうまくいっていない」。子どもまで学校で質問攻めにあっていた。先生たちからは「きみのパパは移籍しないよね」と言われ、クラスメイトからは「行かないでってお父さんに伝えて」と。家族もオレにこう言うんだ。
「チャック(アイバーソンの愛称)、行かないで」
こんな状況にイライラしていた。それで、オレとブラウン・コーチ、ビリー・キングGMで話し合いをすることになった。このゴタゴタに片をつけよう、と。この先どうなるにしても、この日で決着をつけよう。
そこで、あっさり言われた。「きみはどこへも行かない。ブラウン・コーチもどこへも行かない。きみはここに残る。ブラウン・コーチもここに残る」。それから腹を割って話して、オレたちは愛する家族同士に戻った。わだかまりを解いて、全部水に流した。それまではたしかにギスギスしていた。オレはもう要らないんだなと思ってた。シーズンは長かった。最悪のことも頭をよぎった。オレは何より忠誠心を大事にしてる。それがすべてなんだ。だから、「きみはどこへも行かない。わたしたちはこれからも家族だ」と言われて、そう、たしかにオレは幸せだった。
そのあとの話し合いは、揉めてたガールフレンドとの仲直りみたいなものだった。たがいにつらい思いを我慢してきたことはわかってるし、あんなことやこんなことはもう起こらない、ってことも見えてくる。もとの鞘(さや)に収まるだけだ。オレは自分なりに語る。ブラウン・コーチはあの保守的な口調で語りはじめる。で、みんなでハグした。だから最初に言ったように、いい気分だった。
いったんそう決まると、記者会見を開こうということになった。街のみんなに知らせよう。全世界に知らせよう。オレは残る。全員ここに残るんだ。いい知らせだからみんな聞いてくれ。
“練習”だけが切り取られた、あの日の記者会見
会見場に入った。テーブルについているのはオレだけ。マイクが設置され、カメラが向けられ、記者たちはこっちを見つめている。フィラデルフィアのマスコミ全部が駆けつけた。正直に言おう。マスコミとは、いつもいい関係というわけじゃなかった。というか、そんなこと一度もなかった。あのクソったれどもは、子どものころからオレがどんなデタラメな人間であるかを全世界に向けて発信してきた。そんな奴らが会見場に勢揃いしていた。チームが負けて、彼らはがっかりしてた。オレが自分の期待どおりになれなかったことにがっかりしてた。がっかり――クソっ、あいつらががっかりしてた理由すべてなんて、わかるはずない。
とはいえ、オレはいい気分だった。いい知らせだと思っていた。それに、オレにとってはいい知らせだった。オレは残留する。ここに残ることを伝えるために来た。それだけだよ。街のみんなはもう心配しなくていい。チームメイトも、家族も心配しなくていい。オレも心配しなくていい。
ところがそのとき、マイクをつけた邪悪な存在がそこに紛れこんできた。「練習についてはどうですか?」。練習と来た。しかも最初のほうの質問だった。それに対して、世界じゅうのみんなが知ってるように、オレは“練習”という言葉を繰りかえした。延々と再生されている部分はここだ。
オレは生え抜きの主力選手だろ? なのにここでは練習の話になる。いいか、聞いてくれ。練習の話だぜ。試合じゃなく。試合じゃなく。試合じゃなく。練習だ。試合じゃなくて。オレが命がけで臨んで、毎回これが最後かもしれないと思ってプレーしてる試合のことじゃなくて。試合じゃない。ここでしてるのは練習の話だ。そんなの馬鹿げてないか?
この記者会見で自分のレガシーにケチがつくとは思わなかった。あのときまでは、拡散するとしたらコート上でのオレのムーブだった――もっとも、「拡散」なんて言葉もまだあまり知られてなかったころだ。ところがあの記者会見のあとは、クロスオーバーでもジャンプショットでもなく、それに優勝や手痛い敗戦でもなく、オレと言えば「練習」になった。
思い返せば、あの記者会見はほかにもたくさんおかしなことがあった。オレにとっては、重要なのは練習のことじゃなかった。シーズンの結果がさんざんだったし、オレの今後のことをみんなに知らせようとしてた。でもそれよりも大きなこともあった。繰りかえし再生されてない部分まで、記者会見全体を聞いてもらえば、それを説明しようとしているのがわかるはずだ。
「親友を亡くしたんだ」。そのことと不本意なシーズンとの関係を、記者たちに伝えてる。「オレの人生は何もかもうまくいってなかった。オレだって人間なんだ。あなたたちと何も変わらない。同じようにケガをすれば血を流すし、同じように泣く。同じように傷つく」。そう言ってるのに、記者たちは練習のことを質問しつづけた。
記者たちは知らなかった。親友を失った悲しみ
「親友を亡くした」。実際に、バージニア州で裁判が進行中だった。殺人者は起訴されていた。そいつがオレの親友、ラサーン・ラングフォード、仲間うちでの呼びかたでは「ラー」、または「ラー・ブギー」を殺した。オレとラーは兄弟みたいなものだった。ラーは7か月前、2001年10月14日に殺されていた。そのときシクサーズはトレーニングキャンプの最中だった。
当時は知らなかったが、裁判を振りかえると、検察官は9年前オレを監獄に入れたのと同じ検察局に所属していた。そして陪審員たちに、ラーとその友人たちはとても気にくわない奴らだとさんざん吹きこんでいたらしい。友人たちというのは、オレの友人、それにオレのことだ。「たとえ犠牲者やその友人たちが好ましいと思えなくても、殺人は殺人です」と検察官は言った。驚いたふりをしたってしょうがない。ほんとのところ、オレや友人たち、奴らの呼びかたではオレの「仲間」や「取り巻き」は、多くの人たちから嫌われていた。あの部屋にいたすべての記者だけじゃない。あの検察官だけじゃない。かなり多くの人が、オレが一緒に育った友達、昔の生活、かろうじて生き残ったストリートのことを嫌っていた。
オレの人生は、半分が地元や生い立ち、親しい人々でできていて、残り半分がバスケと、それに付随するあらゆるものでできてる。そのうち片方が押してくれば、片方がひっこむ。ただひとつオレが絶対にしなかったこと、拒絶したこと、それは地元を捨てることだ。みんなに捨てろと言われた。そこから離れろと百万回は言われた。でも、生まれたときから味方になってくれた人たちや場所を過去のものにするなんてありえない。いまの自分の基礎を築いてくれた人たちや場所を。
あの2001/02シーズンはずっと、地元が押してきてた。“親友を亡くしたんだ”。記者会見のあの場でもそう言った。そのことに打ちのめされてた。しかもラーを失ったあと、チームはひどい負けを喫した。命がけで臨んで、毎回これが最後かもしれないと思ってプレーしてる試合に負けた。“試合に負けた”。それにも打ちのめされた。前年の、MVPのシーズンにはNBAファイナルまで行ったのに、プレーオフの最初のラウンドで敗退した。試合はオレにとってすべてだ。だからあれは猛烈につらかった。
負けて、シーズンが終わったあとの最初のあの記者会見で、試合についての質問はひとつもなかった。
親友ラサーン・ラングフォードは、なぜ命を落としたのか
ラーの殺人事件について話そう。あの記者会見のことや練習のこと、オレのことを知りたいなら、それについて知る必要がある。
オレはラーが撃たれたとき、その場にいなかったが、そこに行くことになっていた。バージニア州ハンプトンの高級クラブでボクシングの試合、マイク・タイソン対ブライアン・ニールセン戦を観ることになっていた。でもオレはフィラデルフィアからバージニアへの飛行機に乗れなかった。理由さえ覚えていない。
あの晩あいつは、オレたちが「悪魔」と呼んでた若い奴を含めて数名でそこに行った。もちろん、全部あとから聞いたことだ。オレはフィラデルフィアにいたんだ。トレーニングキャンプ中だったが、ケガした肘の治療でプレーはしていない。聞いた話では、殺人者はクラブに入ってきた。そいつは弱視だった。だから、入ってくるとラーはジョークを飛ばした。「悪魔、おまえこのごろめくらとつるんでんのかよ?」。その男は怒り狂った。「まあ落ち着けって。悪気はなかったんだ」。ラーはそう言って、タイソンの試合を観つづけた。でもその男は、ひと晩じゅうラーをにらんでた。
ボクシングが終わった。ラーは悪魔と車に乗ったが、クラブを出たあとも、男はラーのあとについてきた。だからラーは振りかえって、そいつに笑顔を向けた。車が出た。道中、悪魔が車を停めて何かを買いに行った。ラーが車のなかで待っていたとき、男は近寄ってきて、車のドアを開けた。男はラーが外に出てくるのを見てた。そしてその場で撃った。それから逃げた。
銃声を聞いて、悪魔は店から駆けだしてきたが、ラーが地面に倒れているのを見ると、車に乗ってその場から逃げ去った。タイヤをきしませて。ラーはそこに残されて、ひとりで死んだ。そうとしか考えられない。地面にひとり転がって、コンクリートに血を滴らせて死んでいった。
ラーが死んだと知ったとき、心が張り裂けそうだった。オレはそこにいなきゃいけなかった。あいつはあの店に行っちゃいけなかった。そんな考えが浮かんでくる。ああしてれば、こうしてれば。ラーは地元の友達のなかでも最高に恐れ知らずな奴だった。子どものころは麻薬を売ってた。オレをトラブルから遠ざけてくれた。ストリートを抜けさせてくれた。「もうここには来るな。おまえはスポーツだけやってろ」と言ってくれた。
NBA選手になって余裕ができる前、オレが刑務所に入ったときは、ほかの地元の友達と一緒にオレの家族を助けてくれた。プロになったときはついてきてもらった。それ以来毎年一緒にいた。オレの結婚式にも出た。オレはあいつの結婚式に出た。あいつは音楽に情熱を燃やしてた。オレはそっちの方面であいつに力を貸してた。
そいつが死んでしまったんだ。葬儀もあったし、自分の悲しみのこともあった。それに新しくひと家族の世話をすることになった。ラーには子どもが3人いた。奥さんもいた。もちろんオレが世話をするつもりだった。家賃とか車、学校にかかる金を出した。そうしないなんて考えられなかった。それでオレが自分の金を無責任に使ってるってことになっても、知ったことじゃない。
一方、シーズンはあまり順調じゃなかった。オレがいないまま開幕し、最初は低調だった。戻ったらいくらかましになったが、まだ何か足りなかった。
“Practice”ではなく、本当は人生を語りたかった
1月になってようやく殺人者が捕まった。シーズンは進んでいき、裁判が近づいてきた。
プレーオフではセルティックスと当たった。ホームコートアドバンテージは向こうにあった。最終の5戦目まで戦って2勝3敗で敗退した。このシリーズ、オレは平均30ポイントだったが、勝利に結びつかなかった。もちろん攻撃したし、1試合12本以上のフリースローをもらった。全力を出しきった。試合でのオレの取り組みについては、誰も疑問視なんてできなかったろうし、実際そんな話は出なかった。でも何かが足りなかった。
それで、プレーオフやシーズンが終わり、トレードの噂があって、友人を失ったあと、はじめて記者たちの前に戻ってきたとき、彼らが話したがったのは練習のことだったんだ。オレが出なかった練習のこと。遅刻した練習のこと。たしかにいつだって集中できたわけじゃない練習のことだ。試合じゃなくて。彼らが話したがったのは練習のことだけだった。たしかにうまいこと煽られたって面もある。それは認めよう。
そんなわけで、会見ではああいう発言になった。それがあらゆることの元凶だった。オレの人生は全部そんなところだ。みんなはオレに、オレが理解できないものを求めてる。そして、オレのことを誤解する。出身地や経歴のせいで、オレが普通じゃないと思いこむ。本音を言えば、オレにとって、練習はそんなに重要じゃない。試合と比べれば。友達や家族と比べれば。
オレは、中学校さえまともに出ていない。それに、1試合もプレーしないまま、麻薬を売ってる最中に死んでたかもしれなかった。裁判官が下した刑期の15年間ずっと刑務所にいて、高校最後の学年も、刑務所の中庭でバスケをやって過ごすことになったかもしれなかった。どこからも大学進学を勧誘されず、諦めてしまっていたかもしれなかった。
でもオレはチームを州チャンピオンに導き、オールアメリカンに選ばれ、リーグMVPになった。セブンティシクサーズを偉大なるドクターJ、ジュリアス・アービングが在籍していたとき以来のファイナルまで連れていった。そしてあの記者会見では、コーチやゼネラルマネージャーと一緒にシクサーズに、フィラデルフィアの街にずっといると語った。
だが、メディアが求めたのは練習について語ることだけだった。いまでもオレには馬鹿げたことに思える。
誰がいつ何を言ったかなんてことよりも、いくつか出てない練習があったということよりも、すべてはオレの生い立ちに原因があるんだと思う。どんなふうに育ってきたか。オレが克服してきたもの、あるいは、克服できなかったもの。誰もが知ってるように、オレは普通以上にしくじってきた。オレは人間なんだ。あの記者会見で言ったように。それに、完璧な人間じゃない。
だからここで、最初から話をしよう。地元のこと。刑務所のこと。ジョージタウン大学でメンターとしてオレを導き、人生を救ってくれたジョン・トンプソン・コーチに出会ったこと。どんなふうにしてNBAに入ったか。そうすれば理解してもらえるかもしれない。
オレを――アレン・アイバーソンを、ババチャック(幼少期からの愛称)を、AIを、ジ・アンサーを――理解するには、最初から聞いてもらう必要がある。家族のことや友人のこと。ニューポートニューズやハンプトンでのこと。バージニアの七都市、バージニア半島で起こったことを。
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『アレン・アイバーソン自伝 THE ANSWER』から一部転載)
※次回連載は7月31日(金)に連載予定
<了>
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[PROFILE]
アレン・アイバーソン
1975年生まれ、アメリカ・バージニア州ハンプトン出身。ジョージタウン大学を経て1996年NBAドラフト1位でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団。新人王を皮切りに、2001年のシーズンMVP、得点王4回、オールスター選出11回など数々の金字塔を打ち立て、2013年に正式に引退。2016年には殿堂入りを果たす。2021年にはNBA75周年記念チームに選ばれたバスケットボール界最高の選手のひとり。攻撃的で速いプレースタイルに、ファッションと自己表現を統合した画期的な存在。アスリートが個性を打ち出す時代を先取りし、1990年代後半から2000年代はじめのアメリカ文化を牽引した。またリーボックと全キャリアにおよぶパートナーシップを結び、現在は同社のバスケットボール部門副社長を務めている。
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