40歳・長友佑都はなぜ現役を続けるのか。W杯後に一度は傾いた「引退」と「FC東京で優勝」の情熱

Career
2026.09.18

40歳の誕生日を迎えた9月12日、FC東京の長友佑都はガンバ大阪戦で今季初先発を果たした。25年前、中学3年生だった長友がガンバ大阪ジュニアユースとの力の差を突きつけられ、帰りのフェリーで悔し涙を流した大阪の地で、節目の一戦を迎えたのは不思議な巡り合わせだった。FIFAワールドカップ北中米大会後には引退へ気持ちが傾き、一時は無所属となった。それでも再び青と赤のユニフォームをまとい、40歳以上では唯一、J1のピッチに立つフィールドプレーヤーとして走り続けている。日本代表への思い、家族の後押し、そして「FC東京で優勝して、シャーレを掲げたい」という新たな情熱。長友が歩む現在地を追った。

(文=藤江直人、写真=スポーツ報知/アフロ)

25年前、大阪で流した悔し涙

瀬戸内海を愛媛県へと向かうフェリーで人目をはばからずに大粒の涙を流し、絶対にビッグになってみせる、と誓いを立てた夏から四半世紀。当時は西条市立西条北中学校の3年生だった少年はいま、日本サッカー界の歴史に残る鉄人としてJリーグのピッチで戦い続けている。

40回目の誕生日を迎えた9月12日。敵地・パナソニックスタジアム吹田で行われたガンバ大阪とのJ1リーグ第7節で、長友佑都は秋春制に移行した今シーズンで初めて先発に名を連ねた。

場所が大阪という点に不思議な縁を感じさせる。2001年の夏休み。長友が所属していた西条北中学サッカー部は大阪への遠征を実施し、同じ1986年生まれで、怪物と畏怖されていた家長昭博らを擁するガンバ大阪ジュニアユースとの練習試合で大敗。帰りのフェリーで長友は号泣した。

サッカー部顧問で、長友がいまも恩師と慕う井上博教諭から、当時の状況をこう聞いた。

「他の部員たちは『あれが家長か』と対戦できたのを喜んでいたんですけど、佑都は違いました。相手の試合ぶりに『あいつら、手を抜いていた』と一人だけ悔しがっていました」

生来の負けん気に火がついたのか。長友は愛媛県内の高校ではなく、当時の高校サッカー界の絶対的王者、東福岡への越境入学を決意。プロになると公言して15歳で親元を離れた。

残念ながら卒業時にプロから声がかからず、スポーツ推薦も得られなかった長友は指定校推薦で明治大学政治経済学部へ進学。ボランチからサイドバックへの転向を介して一気に頭角を現し、3年生となった2007シーズンにJFA・Jリーグ特別指定選手としてFC東京に認定された。

翌2008シーズンには卒業を待たずしてサッカー部を退部。FC東京とプロ契約を結び、岡田武史監督に率いられる日本代表にも初選出され、いま現在に至る第一歩を踏み出している。

今季初先発、勝利の後に流した涙

迎えた今シーズン。J1の20クラブのなかで、40歳以上の選手は長友をはじめとして6人を数える。全員が1986年生まれであり、25年前に長友に悔し涙を流させた家長は川崎フロンターレで、同じくガンバのジュニアユースに所属していたGK東口順昭はガンバで現役を続けている。

しかし、長友以外でリーグ戦に出場しているのは浦和レッズの西川周作、横浜F・マリノスの飯倉大樹の両GKしかいない。家長と東口、アビスパ福岡のFW城後寿もまだ出場を果たせていない。長友は今シーズンでただ一人、ピッチに立った40歳以上のフィールドプレイヤーとなった。

ガンバ戦で先発した長友は1点リードで迎えたハーフタイムに、DFバングーナガンデ佳史扶との交代でベンチへ下がった。そして、さらに1点を追加したFC東京はガンバを無失点に抑えて快勝。第2節以降の6試合で4勝2分けと無敗をキープして、順位を5位に上げた。

さらにFC東京によれば、長友は試合後のロッカールームで思わず涙ぐんだという。

「40歳になって、またこの青と赤のユニフォームを着てピッチに立てて、しかも勝利で祝えて40歳の節目を素晴らしい形でスタートできた。本当にみなさんに、チームメイトもそうだし、ファン・サポーターのみなさんにも感謝したいと思っています」

ちょっぴり感極まった理由を、長友はこんな言葉を介して説明している。誕生日に試合ができて、勝利で花を添えられる選手はそう多くはいない。試合後にはゴール裏に陣取ったファン・サポーターからバースデーソングの大合唱も贈られた。笑顔で応えた長友はさらにこう続けている。

「自分も持っていましたし、チームメイトに持たされた、という部分も大きいのかな、と」

再び背負った「5番」と新たな船出

FIFAワールドカップ北中米大会後に一時的に無所属となっていた長友は、FC町田ゼルビアをホームの味の素スタジアムに迎えた8月8日の今シーズン開幕戦に来場。キックオフ前のセレモニーで、ファン・サポーターの前で現役続行を明言してチームに追加登録された。

そして再び「5番」を背負った長友は、「持っている」という言葉を多用するようになった。

例えば62分から橋本健人に代わって雨中の味の素スタジアムのピッチに立ち、リーグ戦で今シーズン初出場を果たした9月6日の第6節・京都サンガF.C.戦。自身が投入された直後の連続ゴール快勝した試合後に、長友は「持っていましたね」と自らの存在に言及して周囲を笑わせた。

「別に自分がゴールに絡んだわけじゃないんですけどね。それでもこういうリーグ戦での新たな船出というか、自分がワールドカップを終えて再び現役を続けると決めた後の船出としては、自分が出場した後にゴールも決まって、さらに結果も出たのは非常によかったと思っています」

京都戦の後半34分には、高宇洋から長倉幹樹とつながった横パスを受けてペナルティーエリア内へ進入。ゴールか、と思われた直後にトラップが大きく流れてしまった。場内のため息を誘った長友は「あれを決めたら今日のニュースになっていましたね」と笑いながらこう続けた。

「そういった意味ではちょっと持っていなかったかな。まだまだ持っている、というところをしっかりと見せられるように、リーグ屈指のサイドバックになれるように頑張っていきたい」

ワールドカップ後に揺れた現役への思い

この京都戦が30歳代で臨んだ最後の一戦となった。「そうか、もうちょっとですね」と思い出したかのように年齢に言及した長友は、40歳の誕生日と重なるガンバ戦へこんな言葉を残している。

「感慨深いな、というところもありますね。サッカー選手としてはいい大台というか、40歳でJ1の舞台でバリバリ活躍できる選手というのも、そんなに多くはいないと思うので。40歳でもまだまだ動ける、J1の舞台でバリバリやれる、というところを自分自身が示していきたい」

一方で今シーズンに入ってあまり口にしなくなった言葉もある。「日本代表」の四文字だ。

後半終了間際に勝ち越しゴールを喫し、無念の敗退を喫したブラジル代表とのワールドカップ北中米大会ラウンド32が行われた日本時間6月30日に長友とFC東京の契約も満了を迎えた。

チームからは契約延長の打診を受けていた。しかし、5大会連続5度目のワールドカップ出場となる北中米大会にすべてを懸けていた長友は、揺れ動いた胸中をこう語っていた。

「正直に言えば、4年間懸けてきた想いがとても強かったので、敗戦を受けて引退の方向に気持ちが傾いていました。心を打ち抜かれたかのような放心状態で穴が空いたような感覚でしたが、身体はワールドカップを不完全燃焼で終えてもまだ『戦いたい』とうずいている。自分のビジョンがなかなか見えず、身体と心のギャップがあって正直、苦しい時間をすごしました」

「FC東京で優勝したい」。家族が後押しした現役続行

日本が敗退した後のワールドカップを観戦する気にもなれなかった日々に転機をもたらしたのは、長友をして「ともに戦う家族のような存在」と言わしめるFC東京の存在だった。

ワールドカップの舞台に初めて立った2010年の南アフリカ大会直後にヨーロッパへ旅立った長友はチェゼーナ、インテル・ミラノ、ガラタサライ、オリンピック・マルセイユの4クラブでプレー。古巣へ復帰した2021年9月に、こんな言葉をファン・サポーターへ届けている。

「僕は本気ですから。優勝しましょうよ、みんな!」

しかし、現時点で目標は達成できていない。リーグ戦だけでなく、カップ戦でも頂点に手が届いていない。FC東京の現在地を直視した長友のなかで、心が身体に追いついたとこう語る。

「情けなく、悔しい思いがどんどん湧いてきたなかで『FC東京で優勝して、シャーレを掲げたい』という情熱が心の底から湧きあがってきた。だからこそ、このチームで現役を続行したい、と」

家族の存在も長友の背中を力強く後押しした。40歳の誕生日に合わせて更新した自身のインスタグラムで、長友は「宇宙一の妻と愛おしい4人の子どもたちに出会えて幸せなオヤジです」と綴って感謝の思いを捧げている。そして夫人の愛梨さんこそが現役続行を強く望んだ一人だった。

「なぜかと理由を聞いたら『まだ身体がバリバリ動いているし、どこのケガもなく元気な状態でやめるのはもったいないんじゃないか』と。さらに子どもたちへ『ピッチで戦う背中をまだまだ見せてほしい』とも言われました。子どもたちからは『どうしてワールドカップで負けたんだ』と責められ、けっこうプレッシャーがすごかったけど、それを乗り越えてここに立っています」

「自分から引退しない」変わらない日本代表への思い

FC東京のタイトル獲得をさらに強く望み、新たな戦いをスタートさせた矢先の17日。日本サッカー協会は9月および10月の国際Aマッチ4連戦に臨む日本代表メンバー31人を発表した。しかし、半年間限定で続投する森保一監督が選んだメンバーのなかに長友の名前は見当たらなかった。

日本代表という言葉はほとんど口にしなくなったものの、日の丸に注ぐ愛情はこれまでも、そしてこれからも変わらない。長友は「自分から代表を引退する、ということはない」とこう語る。

「日本代表(の選手)というものは、監督が必要か必要としないかを決める。そのなかで僕自身は、選手である以上は常に日本代表を目指してやっていこうと思っています」

FC東京にタイトルをもたらすために、勝利への貢献を続けていく過程でタイミングとそのときの調子のよさが合えば、おのずとまた巡り会える。長友のなかで日本代表の立ち位置が変わった。

話を誕生日のガンバ戦に戻せば、松橋力蔵監督は長友に加えてMF本間至恩、さらにDFアレクサンダー・ショルツもハーフタイムに交代させている。その理由にこう言及した。

「少し体に異変を感じた選手がいたので、できるだけ早いタイミングでと判断しました」

長友にコンディション不良が生じたのか、あるいはケガを負ったのか。指揮官が続ける。

「いま報告できるものとして何か大きな問題がある、というような状態ではありません。年齢を感じさせないような、本当に素晴らしい活躍をしてくれたと思っています」

先発出場したガンバ戦で、長友のJ1リーグ通算出場記録は199試合に達した。もっとも、節目となる大台への到達も長友にとっては通過点だろう。誰よりもタイトルに飢え、心をギラギラさせている不惑のサイドバックが、周囲のチームメイトたちをも熱くさせながらピッチで戦い続けていく。

<了>

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