なぜドイツは名監督を輩出しながら「危機感」? トップと育成を両輪で成功へ導く指導者育成の改革とは
“メイド・イン・ドイツ”の指導者が注目を集めている。昨シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・ベスト8では4クラブでドイツ人指導者の名前があった。現ドイツ代表監督のハンジ・フリック(当時バイエルン)、エディン・テルジッチ(ドルトムント)、ユルゲン・クロップ(リバプール)、そしてその後優勝を果たしたトーマス・トゥヘル(チェルシー)。さらに一昨シーズンでもベスト4に残ったクラブのうちフリック、トゥヘル(当時パリSG)、そして34歳で名門バイエルンの監督に抜擢されたユリアン・ナーゲルスマン(当時ライプツィヒ)の3監督がドイツ人。まさに世界がうらやむ陣容だ。だがドイツサッカー連盟(DFB)は指導者育成のあり方について危機感を抱き、指導者育成改革を行おうとしているという。
(文=中野吉之伴、写真=Getty Images)
ハンシィ・フリックは「家族のような雰囲気」をつくり出す
ドイツサッカー連盟(DFB)は現在、新しいライセンス制度とともに指導者育成の構造改革を行う準備を進めている。
ドイツ世代別代表指導者主任ヨティ・シャツィアレショウは「現在一流クラブを率いているドイツ人監督たちはドイツの指導者育成において大きな意味と価値をもたらしてくれている。これからも優れた指導者が育っていけるように取り組むのは自分たちの仕事だ」とメイド・イン・ドイツの指導者の活躍を最大限に評価したうえで、「ただこうした結果が指導者育成の成果を正しく反映しているわけではないことを忘れてはいけない」と警鐘を鳴らしていた。
特にここ最近までは細かい科学的なデータや戦術的な分析が注目され、指導者育成の現場においても力を入れられていた。そうした専門的な知識は間違いなく大切だ。だが、そこへの傾向が強くなりすぎると大事なものを見失ってしまう。
シャツィアレショウは実際によく知る3人の優れた指導者について以下のように解説した。
「ハンジ・フリックとはDFBでアシスタントコーチやスポーツディレクターを務めていた時に非常に密に一緒に仕事をしていた。人との関わりに関してはとても多くのことを彼から学んだ。彼がつくり出す家族のような雰囲気は、周りの人を彼の持つ思考の中に導き、オープンなフィードバックをする。彼とともに働く人は、もし自分に困ったことがあったら、例え深夜2時や3時でもフリックは助けにきてくれるという信頼さえ抱いているはずだ。また、どんなサッカーをしたいかに対して明確なイメージを持っている。
トーマス・トゥヘルとはフランクフルトの育成アカデミーで意見の食い違いでやり合ったこともある。考えの強力な指導者だ。非常に高いプロフェッショナルさを備えている。でもうまくいかないことがあってもしっかりと受け止めることができる。
ユルゲン・クロップは間違いなくドイツにおけるすべての指導者にとって理想像だろう。メイド・イン・ドイツの指導者の広告塔で、若い世代に向けてのロールモデルと見ているんだ。彼の放つオーラ、情熱、野心は本当に素晴らしい。それでいて落ち着きとリラックスさとユーモアを忘れない。非常に高い専門的な能力があるうえで、だ」
「私は一度もベストな指導者でありたいと思ったことはない。そうではなく…」
第一線で活躍している指導者には確かな共通点がある。それは優れた“人との関わり方”だ。今日の指導者業は非常に総合的な能力が求められるフィールドだ。特にプロの世界では監督一人でワンマンショーができる時代は終わった。一流クラブではそれこそ30〜40人の専門家がクラブで仕事をしている。そんななか監督にはそれぞれのスタッフが自分の力を発揮し、クラブの目標のためにともに戦えるようにコーディネートしていく力が欠かせない。そして最後のところで自身が一番前に立ち、正しい決断を下せなければならない。
DFBアカデミーで主任を務めるトビアス・ハウプトは次のように指摘していた。
「フリックやトゥヘルやクロップ。彼らに共通することは専門的なクオリティのほかに、非常に優れた信ぴょう性、人間性、エンパティを備えていることだ。指導者育成で重要なのはまさにそこだ。戦術盤であれこれやる前に、膝を突き合せた話し合いこそ大事なんだ。
クロップが言っていたことがある。
『私は一度もベストな指導者でありたいと思ったことはない。そうではなく、ベストなチームさえも倒せる指導者チームを自分のそばに持ちたいんだ』」
エンパティというのは「自分と違う価値観や理念を持っている人が何を考えるのかを想像する力」のこと。自分の信念を押し付けるのではなく、相手に寄り添い、ともに考え、必要なタイミングでヒントを授けるということが真摯(しんし)にできるかどうかというのは、人を信頼するうえで欠かせない大事な要素なのだ。
育成指導者が抱える大きな問題
指導者に求められる要素は時代の流れとともに変わってくる。それはトップレベルのプロでもそうだし、グラスルーツの世界でもそうだ。それなのに指導者育成のあり方はこれまで通りでいいのだろうか。指導者には前述したような能力が必要だというのが一つの視点。そしてもう一つは現場でいま実際にどんな指導が行われているかという結果からの視点が大切になる。
DFBはさまざまな地域のさまざまなカテゴリーで、指導者の振る舞いについて視察や分析を繰り返した。その結果、いろんな傾向が見つかったという。例えば育成現場。特にブンデスリーガの育成アカデミーやトレセンの現場では、若い指導者が自身のキャリアへ気持ちが行き過ぎている様子がかなり強い。子どもたちを成長させたいと思っていないわけではないが、ここで結果を出し、「自分がいい指導者だということを認めてもらい、さらに上の年代や上のレベルのクラブへ移りたい」という思いがどこかで勝ってしまう。でもそうなると選手は指導者が名声を高め、周囲に認知されるためのオブジェクトでしかない。プレーヤーズファーストとは程遠くなってしまう。
これには育成指導者がそこまでいい稼ぎを得ることができないという全体的なシステムの問題でもあり、ここにも改善の余地がある。そして育成というフィールドそのものに対する考え方を整理していくことも大切だ。
「指導者が育成現場での取り組みにおいて個々のやるべきことを正しく理解して、育成指導者としての成長にフォーカスすることができたら、選手の成長こそが大事だという視点がもっと出てくるはずだ」とハウプトは指摘をしていた。
Aプラスライセンスを新設する理由
ハウプトは前述したことを考慮に入れたうえで、今回の指導者育成改革に関する大きな変更点として3つを挙げている。
「3つの柱を考えている。1つ目は人間的要素、社会的要素、指導者的要素をより高めることができる内容。2つ目はデジタルの積極的な活用。オンラインキャンパスを開設し、家にいても学べる環境をつくり上げている。3つ目が新しいライセンス制度だ」
DFBではこれまでにもUEFA EUROやFIFAワールドカップといった国際ビックトーナメント後には詳細な分析を行い、それを指導者育成へも反映させてきている。2015年には欧州サッカー連盟(UEFA)との共通作業のために各ライセンスとUEFAライセンスの相互性を調整。
今回はこれまで「エリートユーゲント」という名前でB級とA級の間にあったライセンスを「Bプラスライセンス」という名称に変更。そしてA級ライセンスはこれまで2カ月だったコースを6カ月に変更。そしてA級とプロコーチライセンスの間に「Aプラスライセンス」が新しく加わる。これはプロコーチライセンスで学ぶ内容を特にブンデスリーガの育成アカデミーで活動する指導者用に落とし込まれたものと考えられている。
Aプラスライセンスを新設する理由は、ドイツにおいてプロコーチライセンスを獲得した指導者のうち50%が成人サッカーの舞台ではなく、育成アカデミーで活動しているという事実があるからだ。
彼らにとって必要なのはプロサッカーの世界でどのように指導すべきかということよりも、「育成においてより選手個々のポテンシャルを引き出し、世界に通用する選手が生まれてくる土壌をつくり上げるにはどうしたらいいのだろうか」という大テーマに取り組むことに違いない。それならば彼らに即した形で、そしてより最適で、よりレベルの高い指導者ライセンス制度を整理することが必要だという考えから誕生した。
歩みを止めないドイツの指導者育成改革
現場のブンデスリーガクラブでも各年代ごとのスペシャリストの重要性を感じている。ヴォルフスブルクのスポーツディレクターであるマルセル・シェーファーは「それぞれの年代において間違いなくスペシャリストが必要になってきている。U-10とU-15、U-19とU-23はそれぞれやるべきことも気をつけるべきことも違う」と今回の指導者育成改革に好意的な反応を示した。
ハウプトはさらに指導者ライセンス所得後の対応とサポートの充実も課題に挙げた。
「クロップは15年前から世界レベルの監督だったわけではない。マインツというクラブで成長するための時間と環境があったことが重要だ。例えばイングランドでは100人の“指導者の指導者”が動いている。今後ドイツがインターナショナルのトップレベルを手にするためには、そうしたところもわれわれはもっと取り組んでいかなければならない。だからこそ、この2年半をかけて指導者育成すべてにメスを入れ、これからに必要なリフォームへと動き出したのだ」
34歳で名門バイエルンの監督に就任したナーゲルスマンのような若く素晴らしい監督が出てきていても、安心できる理由にはならない。歩みを止めてはダメなのだ。ライセンスも、指導者育成も、なぜ、なにを、なんのために、という指針が正しく整理されていないと、本当の効果は発揮されない。今回の指導者育成改革がどのような変化をもたらすのか、今後もドイツの現場において肌で感じていきたい。
<了>
10-0の試合に勝者なし。育成年代の難題「大差の試合」、ドイツで進む子供に適した対策とは?
リフティングできないと試合に出さないは愚策? 元ドイツ代表指導者が明言する「出場機会の平等」の重要性
なぜバイエルンはU-10以下のチームを持たないのか? 子供の健全な心身を蝕む3つの問題
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
沖縄、金沢、広島…魅力的なスタジアム・アリーナが続々完成。新展開に専門家も目を見張る「民間活力導入」とは?
2024.04.26Technology -
なぜ横浜F・マリノスは「10人でも強い」のか? ACL決勝進出を手繰り寄せた、豊富な経験値と一体感
2024.04.26Opinion -
ラグビー姫野和樹が味わう苦境「各々違う方向へ努力してもチームは機能しない」。リーグワン4強の共通点とは?
2024.04.26Opinion -
バレー・髙橋藍が挑む世界最高峰での偉業。日本代表指揮官も最大級評価する、トップレベルでの経験と急成長
2024.04.25Career -
子供の野球チーム選びに「正解」はあるのか? メジャーリーガーの少年時代に見る“最適の環境”とは
2024.04.24Opinion -
子育て中に始めてラグビー歴20年。「50代、60代も参加し続けられるように」グラスルーツの“エンジョイラグビー”とは?
2024.04.23Career -
シャビ・アロンソは降格圏クラブに何を植え付けたのか? 脆いチームを無敗優勝に導いた、レバークーゼン躍進の理由
2024.04.19Training -
堂安律、復調支えたシュトライヒ監督との物語と迎える終焉。「機能するかはわからなかったが、試してみようと思った」
2024.04.17Training -
8年ぶりのW杯予選に挑む“全く文脈の違う代表チーム”フットサル日本代表「Fリーグや下部組織の組織力を証明したい」
2024.04.17Opinion -
育成型クラブが求める選手の基準は? 将来性ある子供達を集め、プロに育て上げる大宮アカデミーの育成方法
2024.04.16Training -
ハンドボール、母、仕事。3足のわらじを履く高木エレナが伝えたい“続ける”ために大切なこと
2024.04.16Career -
14歳から本場ヨーロッパを転戦。女性初のフォーミュラカーレーサー、野田Jujuの急成長を支えた家族の絆
2024.04.15Education
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
14歳から本場ヨーロッパを転戦。女性初のフォーミュラカーレーサー、野田Jujuの急成長を支えた家族の絆
2024.04.15Education -
モータースポーツ界の革命児、野田樹潤の才能を伸ばした子育てとは? 「教えたわけではなく“経験”させた」
2024.04.08Education -
スーパーフォーミュラに史上最年少・初の日本人女性レーサーが誕生。野田Jujuが初レースで残したインパクト
2024.04.01Education -
「全力疾走は誰にでもできる」「人前で注意するのは3回目」日本野球界の変革目指す阪長友仁の育成哲学
2024.03.22Education -
レスリング・パリ五輪選手輩出の育英大学はなぜ強い? 「勝手に底上げされて全体が伸びる」集団のつくり方
2024.03.04Education -
読書家ランナー・田中希実の思考力とケニア合宿で見つけた原点。父・健智さんが期待する「想像もつかない結末」
2024.02.08Education -
田中希実がトラック種目の先に見据えるマラソン出場。父と積み上げた逆算の発想「まだマラソンをやるのは早い」
2024.02.01Education -
女子陸上界のエース・田中希実を支えたランナー一家の絆。娘の才能を見守った父と歩んだ独自路線
2024.01.25Education -
神村学園・有村圭一郎監督が気づいた“高校サッカーの勝ち方” 「最初の3年間は『足りない』ばかり言っていた」
2023.12.29Education -
帝京長岡・谷口哲朗総監督が語る“中高一貫指導”誕生秘話。「誰でもやっていることだと思っていました」
2023.12.28Education -
「これはもう“心”以外にない」指導辞退を経て全国制覇。明秀日立・萬場努監督が大切にする「挑戦」するマインド
2023.12.27Education -
静岡学園・川口修監督がブレずに貫く指導哲学「結果だけを追い求めると魅力のあるチームにはならない」
2023.12.26Education