羽生結弦の初代MVSは必然だった。「空気を支配し、声援を力に換えた」、歴史に遺る進化と真価
今季から新たに創設されたISUスケーティング・アワードで、羽生結弦が初代最優秀選手賞(MVS)に輝いた。男子シングルで66年ぶりとなるオリンピック連覇に、男子で初めてとなるジュニア&シニアの主要国際大会を完全制覇するスーパースラム達成……。名実ともに頂点に立ったこの男が初代MVSを手にしたのは、だが決して幾多の栄冠を勝ち取ってきたことだけが理由ではない。羽生には羽生にしか持ち合わせていない、唯一無二の力があるからだ――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
初代MVSを受賞した羽生結弦の、唯一無二の魅力
「このたびはこのような賞をいただけて大変光栄に思っているのと同時に、まさか賞をいただけると思わなかったので、とてもびっくりしています」
ISUスケーティング・アワードで初代最優秀選手賞に選ばれた羽生結弦は、日本スケート連盟のTwitter上の動画で驚きを語っている。しかし、羽生が最優秀選手賞に最もふさわしいスケーターであることは明らかだ。
新設されたISUスケーティング・アワードの授賞式は、当初は2020年世界選手権最終日に開催される予定だった。世界選手権が新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となったため、授賞式はオンラインで日本時間7月11日23時より開催。最後に発表された最優秀選手賞は、羽生に授与された。
ISU(国際スケート連盟)によれば、最優秀選手賞は「ファン・メディアの注目・スポンサーの評価により、フィギュアスケートの人気を高めた」スケーターに贈られる賞だ。圧倒的な実力と勝負強さでオリンピック連覇を果たし、優れた技術と美しい滑りを持つ羽生だが、見る者を魅了する要素はそれだけではない。個人的には、会場の空気を制する力が羽生の最大の魅力だと感じる。
まだ16歳の羽生が表現した、ロミオの怒り
最初に強い印象を受けた羽生の演技は、2011年7月16日、ダイドードリンコアイスアリーナで行われたプリンスアイスワールド2011東京公演で滑った『ロミオ+ジュリエット』だ。その約4カ月前となる3月11日、仙台のリンクでの練習時に東日本大震災に見舞われた羽生は練習拠点を失い、アイスショーで全国を転々としながら練習を積んでいた。前シーズンの四大陸選手権で2位となり、若い才能を開花させ始めた矢先に訪れた試練だった。
観客として会場にいた私は、16歳の羽生ならではの魅力が詰まった新プログラム『ロミオ+ジュリエット』を既にテレビで見ており、生で見ることを楽しみにしていた。柔軟性に富むしなやかな細身の羽生だが、ジュリエットを失ったロミオの怒りを表現する最後のステップからは、激しさがほとばしっていた。今であれば羽生が滑るには小さすぎる会場を、羽生が発する気迫が満たしていくような感覚が強烈に印象に残っている。シーズン開始を前に、試練を乗り越える心の強さを東京のリンクで感じさせた『ロミオ+ジュリエット』は、シーズンを締めくくる2012年世界選手権が行われたフランス・ニースの会場で、熱狂を起こすことになる。
17歳になった羽生にとって初出場の世界選手権となるニース大会のフリー。右足の捻挫を抱えて演技に臨んだ羽生には、「応援の力をそのまま自分の中に取り入れたい」(『蒼い炎Ⅱ-飛翔編-』(羽生結弦 著/扶桑社)より)という思いがあった。演技中盤のステップで転倒するも、その直後のトリプルアクセル―トリプルトウループを成功させ、転倒後に送られた声援は称賛に変わっていく。
「でもやっぱりあの時、一番感動したのは、お客さんの歓声でした。コケて、会場に来ていた全世界の方々に、もう本当に拍手をもらったじゃないですか。頑張れーって。4回転よりも盛り上がっていた(笑)。本当にあの拍手、歓声のおかげで、最後まで頑張れたんだと思います」(『蒼い炎Ⅱ』より)
会場の興奮が高まる中で最後のステップに入る直前、羽生は雄叫びを上げている。沸騰するような雰囲気を醸し出しながらステップを滑り切った羽生は、最後のジャンプとなる3回転サルコウの着氷で持ちこたえる。フィニッシュポーズを決めた後、右手を突き上げる羽生から、闘志が立ち上っているのが見えるようだ。
「演技が終わって観客の皆さんの歓声を聞いた時に、やっとパワーを全部受け止められたのかなという気がしました」(『蒼い炎Ⅱ』より)
銅メダルを獲得した羽生は、栄光への道を歩み出した。
会場を完全に支配した、2015年の『SEIMEI』
再び羽生の「場を制する力」を感じたのは、2015年11月28日、長野(ビッグハット)で行われたNHK杯のフリー『SEIMEI』だった。2014年ソチ五輪金メダリストとしてこの大会に臨んだ20歳の羽生は、前日のショートプログラムで完璧な演技を見せ、自身が持つ世界最高得点を更新するスコア、106.33を出している。この時の羽生には、神懸かり的な勢いがあった。
当時某誌の記者として取材していた私は、羽生の前に演技した選手のコメントをとる必要があった。ミックスゾーンから記者席に戻るには、階段をいくつも駆け上がらなくてはならない。囲み取材が終わると、羽生の演技開始に間に合うかどうか微妙なタイミングになっていた。ミックスゾーンにあるモニターで見ることもできたが、自然と記者席に向かって走り出していたのは、羽生のフリーは生で見た方がいいという予感があったからかもしれない。
記者席までたどり着くことができず、息を切らして会場内の階段に座り込んだのは、羽生が滑り始めた直後だった。3本の4回転、2本のトリプルアクセル、そしてその他のジャンプもすべて決めていく演技に、観衆のボルテージは上がっていく。最後のジャンプとなる3回転ルッツを決めた羽生がフェンスを背にして両手を開き、ステップを踏み始めると、羽生から発する熱気が渦を巻き、ビッグハットを満たしていくようだった。演技を終えて歓声が降り注ぐリンクであいさつをする羽生は、彼にしかつくり出せない空間の中心にいた。216.07という驚異的な高得点だけでは、会場を完全に支配していた羽生のすごみを表すことはできない。ミックスゾーンから無茶な移動をした判断は、間違っていなかった。
一夜明け会見に臨んだ羽生は、「2012年、ニースでの世界選手権の時のような感覚は若干ありました」と振り返っている。「その感覚とは?」と問われた羽生は「応援ですね」と言った。
「会場の応援と一体となって、そういう感覚がありました」
「ただ、その時と違っていたのは、それがコントロールできていたのか、できていないのか。その時はけがもあったりして、本当にマイナスの状況から皆さんが『頑張れ、頑張れ』っていうような応援のおかげで、あそこまでいった奇跡的な演技。今回の演技は、逆にプラスからプラスへの道のりだったので、自分との闘いもありましたけれども、それでもやはり自分との闘いに勝てる条件というか、闘える環境が整っていた、というふうにすごく感じました。それは応援であったり、または自分の練習方法であったり、僕の周りのサポートであったり、そういうものです」
羽生がビッグハットの空気を掌中に収めることができたのは、周囲のサポートや観客の応援をしっかりと受け止めることによって、自分の力を最大限に発揮したからだろう。
応援が力になった。円熟味を増す、羽生の進化と真価
そして2019年3月23日、世界選手権のフリー『Origin』を滑った24歳の羽生は、さいたまスーパーアリーナの広大な空間を熱狂で満たした。2018年平昌五輪で連覇を果たしている羽生にとってこの世界選手権は、前年11月のロシア杯で右足首を負傷したため、約4カ月ぶりとなる試合だった。羽生は2日前のショートで、4回転を予定していたサルコウが2回転になるミスをしており、首位のネイサン・チェンに12.53点差をつけられての3位発進となっている。
羽生は演技の冒頭、練習で何度となく確認していた4回転ループを成功させる。続く4回転サルコウは深く膝を折るような着氷になったものの、その後2本の4回転、2本のトリプルアクセルを含むすべてのジャンプを決めていく羽生は、闘志の権化のようだった。レイバックイナバウアー、ハイドロブレーディングを含むコレオシークエンスでは、地響きのような歓声が上がる。会場が沸騰する中で演技を終え、右手でガッツポーズを作った羽生に、記者席でもスタンディングオベーションが起こった。直後に滑ったチェンも素晴らしい滑りをしたため羽生は2位に終わったが、好敵手に立ち向かう羽生の背中を押す無数の手が見えるような、さいたまスーパーアリーナの空気は今も忘れられない。
フリー後の記者会見で、羽生自身も応援が力になったことに言及した。
「日本開催ということで、本当に見に来てくださった方々にもたくさん背中を押していただきましたし、また氷を作ってくださっている方々、報道の方々、たくさんのスタッフの方々がいて、初めてこの世界選手権というシーズンで一番大きな大会が成り立つんだな、ということをあらためて感じさせていただきました」
コロナ禍によりさまざまなスポーツの無観客試合が行われたが、あらためて感じられるのは観客が果たしていた大きな役割だ。その中でも特に、表現する対象として観客が大切な存在となるフィギュアスケートにおいて、羽生が初代最優秀選手賞に選出されたことには大きな意味があるだろう。応援をしっかり受け止め、それを最大限に自分の力へと変換できる能力こそが、羽生結弦の最大の魅力だからだ。
<了>
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