なぜ高校野球ビジネスを革新した人材がバスケ界に? B1京都ハンナリーズ新社長が挑む進化

Business
2021.05.06

「バーチャル高校野球」や、パ・リーグのYouTubeチャンネルをよく目にするファンの中でも森田鉄兵の名を知る人は少ないかもしれない。両方の事業に携わり、歴史ある日本球界にイノベーションを起こしたキーパーソンの一人である。そんなスポーツ界を陰で支えてきた男が今年、B1・京都ハンナリーズの新社長に就任した。スポーツビジネス新世代の旗手として期待される森田とはどのような人物なのだろう。

(文・撮影=大島和人)

B1・京都ハンナリーズの新社長に就任した「鉄兵くん」

スポーツビジネスは狭い業界だ。私のような人脈が乏しいライターでも“知り合いの知り合い”までいけば、間違いなくキーパーソンにたどり着く。

この1月、Facebookを開くと複数の人が「鉄兵くん」の転職を話題にしていた。その人物が周りから慕われている、期待されていることがよく伝わってきた。同時に「どんな人物なんだろう?」と興味が高まった。

B1・京都ハンナリーズ(スポーツコミュニケーションKYOTO株式会社)の新社長に就任したのが「鉄兵くん」こと森田鉄兵氏。京都市上京区の出身で、1981年6月生まれの39歳だ。ハンナリーズはトップスポンサー「アークレイ」と関係のある人材が歴代の社長を務めており、森田は初の外部出身経営者となる。

スポーツビジネスが本格的に日本で産業化して、まだ20年もたっていない。当然ながら黎明期に関わった人間が、今も一線にいる。組織に入った人、リーグやクラブに関わって名を挙げている人も多い。森田はそんな動きの渦中で、興味深いキャリアを積んできた一人だろう。今回はスポーツビジネス新世代の旗手であるB1京都の新社長について、キャリアと人となりを取り上げたい。

「未経験/志願者」のレアキャラでギャングスターズ入り

森田は経歴や実績をかさに着るタイプでなく、笑顔の似合う柔和な紳士だが、経歴はなかなかパワフルだ。京都大では名門ギャングスターズ(アメリカンフットボール部)に在籍し、卒業後は大手広告代理店の電通に勤務していた。独立後は「バーチャル高校野球」の立ち上げにも関わっている。文中で詳述するがバーチャル高校野球は、保守的なイメージが強いアマチュア野球に関わる驚異的イノベーションだった。

洛星中・高とサッカー部に在籍していた16歳が、人生を変える原体験を得たのは高1の夏休み。母の友人の家を訪ね、アメリカのウィスコンシン州に1カ月滞在したことがきっかけだった。ホストファミリーが当地のNFLチーム「グリーンベイ・パッカーズ」のシーズンチケットホルダー。夏休みはオフシーズンだが、その熱が少年にも伝わってきた。

「何てかっこいいスポーツなんだ……と。スピードとパワーの合わせ技に魅力を感じました。もう一つ、同世代のアメリカ人の子どもたちに触れて、やっぱり自分が好きというか、自分に自信があるところに憧れたんです。初めて外国文化に触れて、意識がすごく変わりました」

洛星は京大合格者の多い超進学校だが、森田の志望理由は「フットボールファースト」だった。

「アメフトをどこでやろうかなと思ったときに関西学院、立命館、京大とありました。でも関学と立命はスポーツ推薦で行かれる人が多いので、僕みたいなやつが行っても相手にしてもらえないだろうなと思ったんです」

2浪覚悟で1浪時も京大しか受験しなかった大胆な青年は、経済学部に合格する。ギャングスターズは「40~50人いる中で普通は経験者が2~3人。多くて4~5人で(経験者以外から)志願してくるのは5人くらい(※大半の部員は入学後に勧誘されてアメフトを始める)」という陣容だ。森田は「未経験/志願者」のレアキャラだった。

森田はランニングバック、ロングスナッパー、ワイドレシーバー、キッカーなどさまざまなポジションでプレー。4回生秋のシーズンを終える。

「日本一になれず、目標も達成できず、最後は空虚な気持ちになって終わったんです。引きずる学生も多いんですけれども、僕は3日間くらいぼーっとして過ごして、次のことを考えだしました」

電通でコンテンツを売る訓練を積み、テレビ局の構造を理解する

当時のギャングスターズは留年が原則で、5回生は学生コーチとしてチームに関わる例が多かった。森田も就職活動はせず、4回生の晩秋を迎えていた。彼の心中には、大好きなスポーツに関わる仕事がしたいという思いが芽生えていた。しかし具体的な針路が見えなかった。

「スポーツの仕事をしたいなと思ったときに、選択肢がないんです」

時は2004年の秋。プロ野球界に球界再編騒動が起こっていた時期で、楽天やソフトバンクのようなスポーツビジネスのニューカマーが登場しかかっていたタイミング。ただ総じて「親会社からの出向」がプロスポーツを支えていた時代で、新卒の若者がチャレンジする場はなかった。

森田は説明する。

「商社とかマスコミとかメーカーとか、いろんな就職活動のカテゴリーがある中で、スポーツなんてカテゴリーは出てこない。どうしたものかなと思っていたときに、ネットで出てきたのが『スポーツマネジメント』『スポーツビジネス』という言葉です。たまたまそれで検索したときに、とあるスポーツマネジメント会社のサイトにたどり着きました」

森田は会社にメールを送り、巡り合わせよく市内のホテルで面談。「インターンを募集することがあるので、そのときには声を掛ける」という返答を得た。

年が明けてすぐ、ニューヨークオフィスの「引っ越しの手伝い」で声がかかる。4年の後期試験と重なるタイミングだったが、森田は渡米を即決。オフィスの移転、契約選手の荷物整理といった作業を手伝った。

既に覚悟を決め、「大学を中退して、アメリカでキャリアをスタートするのかと思った」という森田だが、その会社の幹部から冷静なアドバイスを受ける。

「“スポーツビジネスは発展途上で仕事はたくさんある。でも、ビジネスパーソンとして足腰を鍛えた上で、こっちに入ってくれば活躍の幅が違うよ”と言われました。その後、日本に帰って、就活を普通にスタートしました」

体育会の強みもあり、森田は大手広告代理店・電通の内定を得た。そしてハードな現場で知られるテレビ局担当に配属された。

「何とかして、あの手この手を使って、モノを売る、コンテンツを売る訓練になりました。そして、そのコンテンツがどう製作されるか、テレビ局の構造を理解することができた。それが最終的に高校野球のネット配信につながっていくんです」

驚異的イノベーション「バーチャル高校野球」

テレビ局の担当を3年半務めた後、森田はマーケティングの部署で5年キャリアを積んだ。2014年には「電通の同期が一足先に辞めてつくった会社」というリムレットに合流した。ここがバーチャル高校野球の立ち上げに大きく関わった企業だ。

バーチャル高校野球を平たく説明すると、夏の全国高等学校野球選手権大会を都道府県大会からリアルタイム、無料で見られる公式ウェブサービスだ。日本高等学校野球連盟(高野連)を筆頭とする競技団体、番組の制作者、スポンサーなどとの調整が発生することは想像に難くない。マルチアングルやスタッツ表示、SNS連動など、技術的にもそれなりに難しいチャレンジだ。

しかし彼らは朝日放送(ABC)と一緒にこの事業を2014年の高校野球選手権からスタートさせ、その後、大会の主催者である朝日新聞とも協業しながら、都道府県大会を一つ一つ説得して取り込んでいった。高校野球好きにとって、秋田・金足農業の吉田輝星、岩手・大船渡の佐々木朗希のような遠方の逸材を現地に行かず1回戦から見られる環境の整備は大きな福音だった。

森田はまず「朝日放送と朝日新聞の中に志のある人たちがいた」と述べる。その上で端緒をこう振り返る。

「朝日放送さんで開かれたデジタルコンテンツに関する勉強会に、リムレットの代表である黒飛が登壇したのが、最初のきっかけです。2010年代はちょうど放送と通信の融合がテーマとなり始めた時期。朝日放送さんも、コンテンツビジネスをデジタルでどうやっていくかを模索していました。その講演の最後に黒飛が『私だったら、高校野球を使ってこういうことをします』と提案したんです」

これは2013年秋のこと。黒飛功二朗はリムレットを立ち上げたメンバーで、その後スポーツブルなどスポーツインターネットメディア事業に特化した株式会社運動通信社を設立している。黒飛の発案に、朝日放送が乗った。

日本を代表するスポーツコンテンツを背負い、今までにないサービスを

朝日放送は大阪に本社を置くいわゆる準キー局で、NHKとともに夏の高校野球を中継している。高校野球は伝統的な文化だが、ウェブメディアとの親和性も高く、コロナ前は観客数も右肩上がりだった。しかし平日昼間に仕事をする人たちにとって、なかなか高校野球をテレビ観戦することが難しい状況もあった。

デジタルの力を使って、見たくても見られない多くの人に高校野球というコンテンツを届けたい。そんな想いがテレビ局側にもあった。朝日放送は中村大輔氏(故人・慶応義塾大野球部出身)が“志”を持って新しい仕組みの導入に尽力した。

森田は電通在職中だったが、黒飛の相談を受けて資料をつくった。彼は年に300ドルを負担してNFLのネット配信を楽しむユーザーで、ネット配信の要諦も理解していた。

「自分も楽しかったですね。日本を代表するスポーツコンテンツを背負って、今まで日本にないサービスをつくれるかもしれないというので、わくわくしながら企画書を書いて、黒飛にパスをしました。彼がその資料を持って、中村さんと一緒に朝日放送の幹部を説得して回ったんですよね」

黒飛、中村の両氏が尽力して事業はスタートする。2015年夏に高校野球選手権の主催者にあたる朝日新聞社を含めた共同事業として、バーチャル高校野球は本格的なスタートを切った。同大会の視聴数は2000万ユニークブラウザーに達し、と同時に、地上波のテレビ中継の視聴率も落ちなかった。高校野球という伝統と、ITという革新が融合したチャレンジは素晴らしいスタートを切り、今もファンの期待に応えている。

200万再生超えが続出する「おばけチャンネル」を担当後…

森田は2018年に、次のステップへ向かった。今度はプロ野球の世界に関わりを持つようになった。森田は説明する。

「最終的にチームかリーグの中で仕事をしたいと思っていた中で、パシフィックリーグマーケティングに誘っていただいた」

彼は「パ・リーグ.com」や「パ・リーグTV」といったメディアを手掛けるパシフィックリーグマーケティングでリーグスポンサーのセールスや、YouTube事業などの新規事業開拓などを担当した。パ・リーグのYouTubeチャンネルは登録が60万人を超し、100万再生、200万再生のコンテンツが続出する「おばけチャンネル」だ。

そして2021年1月から、B1・京都ハンナリーズの社長に就いている。

2026-27シーズンから最上位カテゴリーのハードルを上げる構想を持つBリーグの“プレミア化構想”に「Bリーグがアメリカ型のプロスポーツリーグになろうとしている」と大きな魅力を感じているという。

日本社会の高齢化や沈滞が叫ばれる昨今だが、スポーツビジネスは例外だ。競技やカテゴリーと関係なく人がダイナミックに動き、新しいチャレンジも続いている。テクノロジーの力で、コンテンツも日進月歩で進化している。森田はそんな渦中にいて、ときに渦を自らつくり出してきた。

サッカー少年はアメリカンフットボールの魅力にハマり、高校野球とプロ野球の事業を経験して、生まれ育った土地でプロバスケの経営者となった。その挑戦は、これからも続いていく。

【後編はこちら】観客数“最下位”から「B1のさらに上」への挑戦。京都ハンナリーズ・森田社長が挑むプレミア参入

<了>

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