なぜ新谷仁美はエース区間を外れたのか? 積水化学、悲願の駅伝初優勝の裏側と“知られざる愛”
11月28日に宮城県で開催され、積水化学の初優勝で幕を閉じたクイーンズ駅伝2021。昨年5区でJP日本郵政グループに抜かれて2位、悔しい結果に終わった舞台でのリベンジを誓い、積水化学の選手・関係者はこの1年どのような決意でトレーニングを行ってきたのか。東京五輪で思うような結果を残せず、以降コンディションを落としていた新谷仁美と、“新谷以外”の選手たちを悲願の優勝に導いた「積み重ねた何重もの愛」とは。
(文・撮影=守本和宏)※写真は左から森智香子(1区)、卜部蘭(2区)、佐藤早也伽(3区)、弟子丸小春(4区)、新谷仁美(5区)、木村梨七(6区)
愛に包まれた新谷と積水化学の初優勝
クイーンズ駅伝2021。
4区中盤が過ぎた時点で、すでに涙がにじんだ。事前に積水化学の野口英盛監督から、選手にどんな言葉をかけたか、聞いていたからだ。
「去年は新谷に助けてもらった。でも、今年、新谷は苦しんでる。だから、新谷が決めてくれるように自分たちが持っていけ」
そんな言葉を受けた“新谷以外”の選手たちは、「5区・新谷まで、先頭との差90秒がデッドライン」のバッファを完璧に覆す。
堂々と、5区・新谷仁美にトップで襷(たすき)を渡した積水化学。2位・デンソーとの差、実に19秒。完璧なレースで後半につないだ積水化学は、そのままトップを独走。優勝を飾り、チーム創設以来、初の駅伝日本一を手にした。
優勝後、テレビ中継のインタビュー。遅れてきた新谷は、おどけた。「予定では私に花を持たせてくれる、という話で区間配置されたはずなんですけど(笑)。全然予定が違ったので、(競り合う相手がいなくなり)区間2番になっちゃいました」。それは、彼女なりの最大限の感謝だった。
そして、続ける。「このメンバーで積水化学の強さを見せられたのがうれしい」。そう語り、東京五輪以降メディアの前で見せたことのない笑顔を見せた。
1997年の創設後、初めて駅伝日本一に輝いた積水化学。以前は高橋尚子も所属した名門だが、駅伝は初優勝だ。
昨年2位の実績、スーパーエース新谷仁美の存在。中距離の申し子・卜部蘭、パリ五輪もマラソンで狙える佐藤早也伽。戦力を考えれば、優勝はおかしな話ではない。ライバルと目されるJP日本郵政グループは、鍋島莉奈がケガで離脱。鈴木亜由子、廣中璃梨佳の2枚看板だったことを考慮すれば、積水化学を優勝に推す声もあった。
しかし、である。積水化学が優勝できた理由は、実力だけではない。ズバリ、変なことをいうと、優勝できた要因は「愛」だと思う。
1つ目は、新谷の配置を軸とするオーダーに込められた愛。2つ目は、チームメートから新谷が受けた愛だ。
新谷仁美がエース区間を外れた理由
積水が優勝できた最大のポイント。それは「オーダー」だ。
クイーンズ駅伝レース前日に発表された区間オーダー。エース区間(最長距離)の3区に新谷がいないのを、驚いた人も多かっただろう。新谷はエース区間を外れ、5区に配置された。その裏側には、彼女への思いやりがあった。
「今年は久しぶりに、オーダーを決めるのに悩んだ。いや、(指導者になってから)13年ぐらいで初めてかもしれない。めちゃくちゃ悩んだから、どれぐらいの期間、悩んだか答えられない」。積水化学、野口監督の言葉だ。
クイーンズ駅伝1週間前、宮崎県で合宿を行っていた積水化学。最終オーダーを決める日。野口監督は、過去にないほどオーダーに頭を悩ませていた。
「決めていたのは、アンカーの木村(梨七)と、2区の卜部ぐらい。あとは走れているメンバーを落とさなければならない状況だった」
昨年2位になったチームには、本心から「優勝したい」との気持ちが伝播(でんぱ)。新谷、佐藤、卜部に頼る部分の多かったチームは、他選手がほぼ全員自己ベストを更新。チーム内に競争が生まれ、総合力がアップ。誰を選ぶか悩み抜く状態まで、高められていた。
オーダーの決め方は、チームごとにそれぞれだろう。コーチと監督で決めるケース。監督が一存で決めるケース。その中で、野口監督が採ったのは“スタッフ含めたみんなで決める”だった。
トレーナー含めたスタッフ、みんなで意見を出し合い、検討した区間オーダー。その中で3区・佐藤、5区・新谷の配置を推したのは、新谷・卜部のコーチを務めるTWOLAPS代表の横田真人コーチだった。
昨年は、1区・佐藤、2区・卜部、3区・新谷と実力者を前半に固めた先行逃げ切り型。しかし、後半で抜かれて準優勝。今年の狙いはうまくいったとして、1区がだんごになれば、2区で挽回。3区を区間トップ同等で走れば、4区で少し離れてもいい。5区・新谷で巻き返せば、トップでフィニッシュできる、という戦略だ。
このオーダーの肝は、新谷の5区配置にある。理由はいくつかある。「東京五輪10000mで21位に終わって以降、パフォーマンスを取り戻せていないこと」「5区は通常セカンドエースが走る場所。そこに積水化学がエースを出せば、アドバンテージが取れる」「前半で離れても後半に希望がある」。それは、複合的な判断だ。
ただ、個人的に一番印象に残った理由がある。「去年新谷は3区を走って好記録を出した。だから、去年の自分と比較してしまうのではないか」との配慮だ。
去年はエース区間3区の記録を1分10秒も更新する、異次元の走りを見せた新谷。そのイメージが残り、過去の自分と比べてしまうのではないか。違う区間のほうが伸び伸び走れるだろう。そんな思いやりである。
考え抜いて組まれた愛のオーダー。その意図を、新谷自身もくみ取っていた。
「今回5区に配置されたのが、どういう意味か私自身も理解していました。野口監督含めて積水化学のメンバーたちも『私に前を向いてほしい』という想いがあったからこそ、この配置だと受け取りました。後半で巻き返せば私も元気になれるだろうとか、いろいろな意味を含んだ5区配置だったと思います」
そして、他選手の調子・実力も加味して組まれたこのオーダーは、予想以上の成果を生むことになる。
主役となった“新谷以外”の選手たち
去年、積水化学を2位に引き上げた主軸、新谷と佐藤と卜部。他の選手にとって、この1年の合言葉は「3人に背負わせない」だった。
「自分たちが記録を伸ばせば、優勝できる」。その気持ちを1年間、持ち続けた彼女たちは、それぞれが大きく成長を遂げていた。
1区の森智香子が、一番悔しさを抱えていたであろう。去年は5区で、JP日本郵政グループに抜かれ2位に。その悔しさを胸に、チーム7年目のベテランは今年、春先から自己ベストを連発。苦手だった長距離にも挑戦し、チーム全体の士気を高めた。笑顔で走るのが彼女の特徴。その分、隠れて涙していただろうことは想像に難くないが、その努力は今年、結実した。
2区の卜部は、今年東京五輪で、田中希実と共に日本女子初の1500m出場。さらに成長過程にいる。その実力もだが、10月末に行ったTWOLAPS主催の中距離イベント「MIDDLE DISTANCE CIRCUIT」では大会ディレクターも務めた。会場の部屋割りも決める、その豊富な経験は彼女の競技人生を豊かにし、今年は2区で区間新。応援に人一倍感謝を感じる彼女は、今後も2区の中軸だ。
エース区間の3区、佐藤の走りは、大会MVPに選ばれておかしくない力強さがあった。レース後「佐藤さんの成長が鍵になりましたね」と聞くと「え、私ですか……えっと、まだまだです」とマイペースを崩さない彼女。ひとたび走り出すと見せる、粘りの走り。つらそうな時ほどタイムを伸ばす姿は、底知れぬ可能性と不思議な魅力を感じる。
4区は新谷と佐藤をつなぐ、オーダー上の重要区間。チームはここに、2年目の弟子丸小春を起用した。不安要素と見た人もいるだろうが、個人的には納得の選択だ。彼女の言葉は今まで弱気だったことがなく、その気持ちの強さが適任と思えた。彼女とチームを組んで記録を伸ばしてきた野村蒼、長澤日桜里。彼女たちと共に「一緒に走ったら粘れる」と感じながら成長できたのは、優勝に最も必要な要素だった。今回のレースの象徴的存在だ。
そしてアンカー、6区の木村。高校駅伝で複数回優勝経験を持つ彼女は、野口監督が「あの展開だったら彼女なら大丈夫」と話したように、安定の走りを見せた。春に疲労骨折が発覚し、8月末から全体練習合流と出遅れた彼女。しかし、主将・宇田川侑希と共にリハビリを重ね、「頑張ろうという気持ちになる」と希望を捨てず、努力を継続。「(地元)仙台でアンカーを走れたのは安心できた」と、堂々のフィニッシュで積水化学初優勝を決めた。
かくして、日本一に輝いた積水化学。彼女たちは決して、「新谷のために走った」わけではない。新谷に夢を見させてもらい、「自分たちが記録を伸ばさない限り優勝はない」というマインドを受け取り、自分たちにできることをやり続けてきたのである。
それを全員が1年間、イヤというほど意識してやってきた。そして出てきた言葉が、「新谷と一緒に駅伝を走りたい」だったのである。
その恩返しの愛は、東京五輪以降「8月中はずっと引き込もっていて、練習を再開したのは9月」「私は速く走れないと価値がないと考えている人間。だから、存在自体を消したいと思っていた」「人前で見せる走りをするのが、恥ずかしいと思った。まだ気持ちは前向きにはなれていない」と、駅伝前でも立ち直れていなかった新谷に、前を向かせるのに十分だった。
劇的なドラマなど必要ないぐらい頼もしいチーム
数々の愛に包まれ、襷を受けて笑顔で5区を走りだした新谷。坂の上り下りが特徴の5区は、「単純にアップダウンのコースかと思ったが、技術的に必要な区間。カーブが多くコースをしっかり覚えなければ、力を出し切れず終わるコースだと試走で感じた」難コース。これを新谷は、独走で走破。先頭でアンカーに渡し、きっちりと役割を果たした。結果、区間新はマークしたものの、資生堂・五島莉乃の31分28秒に次ぐ、区間2番(31分29秒)。区間賞には及ばなかった。
想定としては、2位・3位あたりから巻き返し、新谷が目立ちまくってスターになり、華々しい復活を遂げる、そんなハッピーエンドもあっただろう。しかし、今年の積水化学は、劇的なドラマなど必要ないぐらい頼もしいチームだった。
十分なタイムで走った新谷だが、本人はいつも通り「私は結果主義な人間なので、個人のタイトルが全くなかったから、評価はゼロだと思います」とブレない。
ただ、その言葉には続きがあった。
「この1年、自分では納得いく走りのできない期間が続きました。それでも、去年のクイーンズ駅伝で2番を取り、積水化学のメンバーたちは本当に悔しい思いを持って1年間取り組んできてくれた。そして、私が苦しんでいることを感じてくれて、私を支えてくれた。今日走って、前を向くことは、おそらくもうできているのかなというふうに感じました」
チームで襷をつなぐだけではなく、お互いに思いやっている。それを、感じた時に新谷は「私にとって積水化学は、なくてはならない存在だった」と、強く感じたのである。
愛に包まれた新谷仁美と、積水化学の一年
新谷自身にとっては、谷のほうが多かった1年。しかし、そのたびに彼女を支える愛はより深くなっていったように思う。
極度のプレッシャーを抱える東京五輪前に、「オリンピックだけが全てじゃない」と言葉をかけた積水化学の役員たち。「彼女たちにとってプラスになるなら何でもしたい」と話す、TWOLAPSマネージャー。最大限に選手のことを考えオーダーを組んだ、野口監督と横田コーチ。そして、新谷の気持ちに1年間の継続した努力で応えた積水化学のメンバーたち。
それはきっと、新谷が積水化学に入った時から巻いてきた種が、愛となって自分に返ってきた結果だろう。レース後、彼女に聞いた。「愛に包まれた1年だったと思うが、どうか」と。すると彼女はこう答えた。
「私は、結果が出なかった時に自分を否定してしまう人間。そういう苦しい瞬間があったからこそ、人のありがたみや優しさ、ぬくもりを感じる1年でした。それが自分には、ちゃんと“感じられるんだな”と思えた。やっぱり孤独を感じながら生きる人もいる。私のとげとげしい発言で、過去に損する付き合いがあったと思う。でも、ちゃんと選手としてだけではなく、人間的にも愛されていた。ちゃんと“想われていたんだな”って、思います。この性格だから思いっきり『みんな大好き』って感じにはならないですけどね(笑)。会社の方や選手、みんなが裏で優しく包んでくれたことは、非常に心強かったです」
積み重ねた何重もの愛が、新谷と積水化学を優勝に導いた。それこそ、私が思う積水化学初優勝の理由である。
積水化学が勝ったら、何かが変わる気がする
優勝後の横田コーチの言葉が、頭から離れない。
「積水化学が勝ったら、何かが変わると思うんですよね。僕たちの存在(企業×クラブチーム)だけじゃなく、noteでもスポットの当たらない選手たちを取り上げ続けてきた。そういうほうが、今の時代には合ってるんじゃないかな。何か変わる気がするんですよね、何かが」
クラブチームTWOLAPSとの連携、公式noteでの定期発信、MDCイベントへの参加・運営、合宿中の動画公開、YouTuberたむじょーとのコラボレーション。複合的な意味で、新しい文化を取り入れ、さまざまな角度からファンをつくってきた積水化学。
実業団の陸上チームは、いまだに閉ざされた部分もある。企業とチーム運営の線引きは難しく、企業目線の判断が正しい場合もあるだろう。しかし、個を尊重し、新たな文化を取り入れてきた積水化学の優勝が、日本の女子陸上界にもたらす影響は大きい。
何が変わるのかはわからない。それはきっと数年後にわかることだ。ただ、新谷に前を向かせたように、まずは誰か一人を前向きに変える。そんな積水化学のチームとしての魅力を感じた、みんなでつかんだ初優勝だった。
<了>
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