森喜朗会長を袋叩きにし辞任させたところで、日本の性差別は何も解決していない。真に目指すべきは…
東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会前会長の森喜朗氏が自身の発言から辞意を表明するまでの1週間、多くの人々がメディア、SNSなどで強く批判し、辞任を求めた。確かに森喜朗氏の発言はジェンダーの観点から大きな問題があり、辞任は妥当だったといえるだろう。だが森喜朗氏は、日本社会の中で特別にジェンダー意識が低かったのだろうか。個人を袋だたきにし、辞任に追い込めば、ジェンダーギャップ指数121位の日本の性差別問題は解決するのだろうか。
日本ラグビー協会女性理事の一人であり、人権やジェンダーを専門とする法学者でもある谷口真由美氏の言葉をひも解きながら、今回の騒動を機に目指すべき真のゴールとは何かを考えたい。
(文=向風見也)
森喜朗氏の辞任で“終わり”ではない。真に目指すべきゴールは…
本稿は「罪を憎んで人を憎まず」を前提とする。まずは、事実関係をたどる。
事の発端は2月3日。東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長だった森喜朗氏が、日本オリンピック委員会臨時評議員会で「女性がいると会議に時間がかかる」との旨を述べた。
「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」
ここでの「4割」とは、2018年にスポーツ庁が設けたスポーツ団体のガバナンスコードに関する数値だろう。同庁は各中央競技団体に向けて女性理事が全体の40%以上を占めるよう促していた。
4日付の日刊スポーツ電子版に載った談話の書き起こし、および周辺の報道によれば、内閣総理大臣、さらには日本ラグビー協会の会長や名誉会長を歴任した83歳はこうも発したという。
「これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性が今5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです」
2019年6月に突如訪れた、日本ラグビー協会の体制刷新
確かに日本ラグビー協会では2019年6月、女性理事がそれ以前の3人から5人に増えた。
そのきっかけは、同年4月の定例理事会だ。
通常なら出席しない当時名誉会長の森喜朗氏が出席。開幕間近のラグビーワールドカップ日本大会に向け、自身が身を引く上で6月の役員改選での体制刷新を求める。森喜朗氏に近しく、留任が濃厚とみられていた幹部はまもなく退く。
新会長となったのは、おおらかな人柄で知られる森重隆会長だ。要職者2人の名字が同じであることから、今回の件で一部の市民は「このような女性蔑視の発言をする人間が会長をしているラグビー界の未来は暗い」と、誤解に基づいて怒気をぶつけている様子だ。複雑さを解くべく、本稿は森と名の付く人物をフルネームで表す。
……ともかく、急な体制刷新に伴い、日本ラグビー協会の理事会の顔ぶれ、さらに男女比が変わったのだ。
そのためラグビー界隈では、今回の女性理事にまつわる失言は「アイロニック(皮肉)」と捉えられる。
日本ラグビー協会女性理事・谷口氏が見た、森喜朗氏の発言
「森喜朗さんのご発言には、『ラグビー協会の理事会の女性が増えた』とあった。女性が増えたことへのご認識はあるのでしょうし、(発言の対象が2019年に新任の)われわれのことであるのは間違いないと思うんです。ただ、それ(会議を長引かせていること)が事実かは……という話なんです」
当時の動乱を経て着任した女性理事の一人、谷口真由美氏は、事象を整理し、かつフランクに述べる。
「日本ラグビー協会の理事会は審議事項と報告事項で構成されますが、2019年からは審議事項に時間をかけるスタンスになりました。理事会資料は事前に展開され、『資料は読んでおいてください。必要に応じ、理事会の場でご質問、ご発言ください』とむしろ議論が求められ、それに必要な時間が(あらかじめ)用意されている。
私も発言しますが、はばかられるような空気感を出されたことも、意見をさえぎられることもないですし、それでうんざりする男性理事の顔も見たことがない。むしろ、私にご意見をくださるかつてからおられた方は『今のスタンダード、世界の潮流に近づいてきた』と評価されています。
森さんは(当該発言を受けての)謝罪会見で『伝聞で』『何人かの人から聞いた』とおっしゃっていました。“あれ、もしかしたら、今の(日本ラグビー協会理事会の)構成員の方に『わきまえない女だ』と苦々しく思っていらっしゃる方がおられるのか……”とも思わされますが、『話が長いことで理事会の足を引っ張っている』といった趣旨で何かを言われたことはないんです。(通常は)悪口って、耳に入るものですが」
「構造上の問題がなかったか」「再発防止に何が必要か」
話をしたのは2月6日。森喜朗氏が辞任を表明するよりも少し前のことだ。発言を「撤回」するという問題解決の方法へは、こう応じた。
「例えば、もしも日本ラグビー協会の森重隆会長に何かがあった場合も、会長一人が謝罪し、撤回して済む問題ではないと考えます。組織のトップが言ったのなら、組織そのものが責任を負わなくてはいけません。『構造上、問題がなかったか』『再発防止に何が必要か』も併せて示されないと、なかなか社会全体の納得は得られないのではないでしょうか」
日本ラグビー協会も、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会も、公益財団法人という意味では共通する。
「企業、個人の立場で影響力のある方による発言であれば、『謝罪して撤回します』で終わることもあります。ただ、公益財団(法人)は社会のために存在していますから、公益目的から外れるような終わらせ方はそぐわないと思います」
森喜朗氏の発言は、感情的でなく整理して語られるべき
あらためて、本稿は「罪を憎んで人を憎まず」を前提とする。それは、スポーツを愛する市民の分断を生まないためだ。
まず整理して語られるべきは、「1.森喜朗氏のこれまでのスポーツ界における功績」と「2.今回の森氏の発言の是非」である。
森喜朗氏は、持ち前の政治力を駆使してラグビーワールドカップ、オリンピック・パラリンピックの日本招致に尽力。特に前者は、この国に21世紀2度目のラグビーブームを巻き起こした。谷口氏も「1」には異論なしだ。
一方、「2」については、まず「2-1.発言者に女性蔑視の意図があるかどうか」と「2-2.国際社会においてこの発言が女性蔑視にあたるかどうか」と切り分けねばなるまい。
繰り返す。本稿は「罪を憎んで人を憎まず」を前提とする。そもそも人の心は本人にしかわからないのだから、「2-1」は、あえて、いったん、やむを得ず、脇に置く。
ただ、どこまで「2-1」に関して譲歩できたとしても、「2-2」の領域に踏み込めば発言者をかばうのは難しくなるだろう。当然ながら、会議の時間の長短と社会的な性別との関連性は証明されていない。根拠もなくその属性を否定された世界中の女性は、たまったものではなかろう。
そもそも現世では、性的多数者の性的少数者へのまなざしが検討課題となっている。「男女」という二分法そのものが、すでに前時代的なのだ。「私どもの組織委員会」の「女性」が「わきまえておられる」と語られた点も含め、擁護の対象とはなりにくい。
私たちの誰もが「無意識の偏見」を持っている。まずはそれを意識することから
悩ましいのは、これらの前提条件が日本でどこまで共有されているかが未知数な点だ。「1」「2-1」「2-2」を混同して発言の是非を論じるコメンテーターが当たり前のようにテレビに出ていて、「2-2」への理解が追いつかぬネットユーザーも多く見られる。
まず見直されるべきは、列島におけるジェンダー(社会的、文化的につくられた性別)への認識なのだろう。これはオリンピックの実施是非、会長職の去就を問う以前の議題である。
2019年12月、世界経済フォーラムは日本のジェンダーギャップ(男女の違いにより生じるさまざまな格差)指数が153カ国中121位であると発表している。
きっと、その人のポジションにかかわらず、市民一人ひとりの心に「森喜朗」がいる。その一点の振り返りこそが、求められる。
ジェンダーは女性だけの問題じゃない。「男らしさ」も呪縛の一つ
法学者でもある谷口氏は、現職に注力する前は国際人権法、ジェンダー法、憲法などの専門分野に関して各地で講演。社会的な性に伴う「らしさ」の規定が不自然かもしれないという意味を伝えたからか、聴衆の男性から「殴りかかられそうになったこともある」という。
「“家を大切に守るために働いてきたのに、妻には離婚され、子どもには愛想を尽かされ、『男らしさ』を守るために泣きごとも言えず、そうしてきた俺の人生を全部、否定するのか……”と。ジェンダーの視点では、その『男らしさ』の呪縛もおつらかったですよね、という話なんです。『女だけがハッピーに生きていこう!』という話ではなく、『男はつらいよ、女もつらいよ、だったら誰がつらくないんだ、この社会で!』というのがジェンダーの考え方。『らしさ』という意味でいえば、LGBTQ(性的マイノリティー)の人はもっと苦しいです。ラグビー界では、まだ『男らしさ』の呪縛が先鋭化しています。ただ、個人として生きている方には特に、社会全体の『男らしさ』を背負う必要もない、そういうものは降ろされたらいかがですかと本当に思います」
世界は複雑だ。「少数派」の存在が表面化されたり、科学が進歩したりすると、「多数派」や「識者」にとっての「常識」は軽やかに更新される。元近鉄ラグビー部コーチを父に持つ谷口氏は、こうも補足する。
「人生を否定されたと思っている世代の方には、否定しているわけではないとお伝えしたいです。かつては私の父も、若い選手たちにうさぎ跳びをやらせたんです。『パワハラが……』なんて話になると、元近鉄の選手に『おまえが言うな!』と本当によく言われます。ただ、『水も飲んだらあかん』といわれていた当時の概念では、(うさぎ跳びは)OKだった。うちの父はこんな娘がいるからアップデートされたとは思いますし、アップデートされた方がその時々の環境の下で目いっぱいやってこられた功績をほじくり返されることは、まずありません。ただし、アップデートされていないと、過去の功績も含めて粉々にされる可能性もゼロではない……ということです」
誰もが「自分は大丈夫」ではない。求められる、自身の意識のアップデート
ここまでの話ににじむのは、それぞれにとっての「当たり前」を疑うことの重要性だ。
今度の騒動で目指すべき真のゴールは、83歳の総理経験者を袋だたきにして辞任に追い込むことでもなければ、透明性のある後任者選びが成り立つことでもない。
うさぎ跳びで身体を鍛えた元選手がスポーツ科学に基づき後進を指導するように、われわれが自身に内在化する「常識」を「アップデート」することだ。
今回、問題の談話で性差別のにおいを感じなかったら再学習が必要だろう。談話を批判の対象にした読者とて、この先も無意識的な偏見と無縁とは限らない。この件で難儀なのは、「自分は大丈夫」という領域が存在しないことだ。
ちなみに本稿が「罪を憎んで人を憎まず」を強調するのは、当該の発言が21世紀には不要な分断を招いた意味で「罪」にあたるからだ。
<了>
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