「当番なんていらん。親が来ん方がええ」少年野球で自立心を育てる81歳“おばちゃん”の教え
「お茶当番の理不尽」「指導者の行き過ぎた指導」など、「少年野球」の周辺では近年、さまざまなネガティブな問題が取り沙汰されている。大阪府吹田市の山田西リトルウルフは、こうした問題とは無縁のユニークな球団運営で知られる。チームを率いるのは、御年81歳、「おばちゃん」の愛称で知られる棚原安子さん。「自分のことは自分でする」という方針を徹底する、人間として成長できる野球チームをご紹介しよう。
(取材・文・写真=菊地高弘)
「当番ができない」親の都合で野球を諦めかけた少年
西村幸祐さん、恵美子さんの夫婦は大阪府吹田市で理髪店を営んでいる。ある秋の週末、小学3年生の息子・歩真くんが野球帽をかぶって、嬉々とした様子で帰宅した。
「『おばちゃん』に帽子もらって、帰ってきてん!」
聞けば、友人に誘われて少年野球チームの体験練習に行き、チームに入りたいのだという。うれしそうな表情の歩真くんに、西村さん夫婦は困惑した。
「ウチの店は土日営業ですから、土日に親が当番に出ることができないんです」(恵美子さん)
父の幸祐さんには苦い思い出があった。幸祐さんも小学生時に少年野球チームに入っていたのだが、そのチームでは親が当番に来なければならない決まりがあった。幸祐さんの父も理髪店を営んでいたため、親の当番参加は難しい。たとえ実力があっても、試合になれば保護者が当番に来ているチームメートが優先的に起用された。
「自分のほうが上手やのに……」
幸祐さんは小学生にして、そんな不条理を味わっていた。そんな過去もあって、少年野球そのものにいいイメージを持っていなかった。
西村さん夫妻は「当番に行けない以上、チームに入るのは難しい」と判断し、歩真くんに帽子を授けてくれた「おばちゃん」という女性に電話をかけることにした。
「土日には当番に行けませんし、(送迎の)車はほとんど出せないと思うので……」
恵美子さんがやんわりと入団を断ろうとすると、電話口の「おばちゃん」はその言葉にかぶせるようにまくしたてた。
「いらんいらん。ウルフは親の当番もないし、大丈夫やから。むしろ親が来んほうがええ。そのほうが子どもも自立できてええから」
山田西リトルウルフが示す「野球の入り口」の可能性
ウルフとは、歩真くんが体験練習に参加したチーム・山田西リトルウルフのことだ。
ウルフの特殊性は保護者の当番がないことだけではなかった。持参する飲み物は子ども自身が湯を沸かして用意し、たとえ小学1年生であろうとユニホームは自分で洗濯するのが決まり。「自分のことは自分でする」という方針が貫かれていた。
経済的にも保護者にとってありがたかった。月会費は500円(現在は1000円)。試合用ユニホームは購入すると金がかかるため、チームから支給される。西村さん夫妻は「今どきこんなチームがあるのか」と驚き、歩真くんはウルフに入団することになった。
ウルフで少年野球を過ごした歩真くんは、高校まで野球を続けた。19歳になった今は、美容師になるための専門学校に通っている。恵美子さんは「校区外の友達もたくさんできましたし、野球をやったことで打たれ強くなりました。本当にウルフに入ってよかったです」と振り返る。
ウルフをはじめ、多くの少年野球チームは無償のボランティアによって運営されている。運営上の理由から保護者の協力が不可欠なチームもある。また、悪役にされがちな「当番」にしても、ポジティブな感情で励んでいる保護者もいる。
とはいえ、当番制が少年野球チームのスタンダードになってしまえば、野球というスポーツの門戸はぐっと狭まってしまう。保護者の当番がなく、経済的にも優しいウルフは、野球の競技人口の低下が叫ばれて久しい現代にあって総勢約130名の団員数を誇る。
運営資金も自分たちで 自立を促す「おばちゃん」の教え
ウルフの運営には、少年野球界が抱える問題を解決するためのヒントが詰まっているように感じられる。その運営方針を定めた人物こそ、「おばちゃん」と呼ばれる棚原安子さんである。2020年1月に傘寿(80歳)を迎えた高齢女性だが、チーム内で「おばあちゃん」と呼ぶ者は誰もいない。子どもも保護者もコーチも親しみを込めて、安子さんを「おばちゃん」と呼ぶ。
おばちゃんに惹かれて息子をウルフに入団させたのが、岩田美和子さんだ。長男の悠甫くんはいつも母のそばから離れられず、幼稚園でも「泣き虫」として有名だった。子育てに悩んだ美和子さんは、近所にウルフに在籍している子がいた縁から練習の見学に訪れる。そこでおばちゃんの考えに感銘を受けた。
「子どもであろうと自分のことを自分でやらせることもそうですし、野球だけじゃなくて人間的なところまで育ててくれるんや、ここに子どもを預けたいと思いました。新聞回収で働いてお金を得て、資金にあてる考え方もすごくいいなぁと思ったんです」
美和子さんのいう「新聞回収」とは、ウルフがチームをあげて取り組んでいる大事な運営資金調達法だ。子どもたちが団地にビラを配って古新聞を回収して年間60万円超を稼ぎ、それをチームの運営資金にあてるのだ。
ウルフでは保護者の自家用車で試合会場まで送迎する場合、ガソリン代、高速道路料金、駐車場代はチームが負担する。送迎を多くする家庭への経済的負担がないため、送迎できない家庭との間で不公平感は出ない。また、子どもたちにとっても新聞回収は「仕事」としての責任感が生まれ、貴重な労働体験になる。
ウルフに入団後、悠甫くんは野球を通してめきめきと成長していった。
「自分に自信のない子やったんですけど、ウルフで厳しい競争のなかでレギュラーになれて自信をつかんだようです。前までは人見知りの激しい子やったのに、誰とでも仲良くなれるようになりました」
悠甫くんに続き、6学年下の弟・涼雅くんもウルフに入団。その後、涼雅くんは強豪校に進み、甲子園出場を果たしている。悠甫くんは現在、父・吉田一輔さんと同じ文楽の世界に飛び込み、吉田簑悠の芸名で人形遣いとして活躍している。
今や成人となった簑悠さんは言う。
「文楽をやっている今でも絶対に図に乗らず、満足せずに頑張っています。ウルフは努力し続けること、その楽しさを教えていただいた場所です」
「この世に運動音痴なんておらん」ウルフの野球指導
団員数が多いことは、子どもの出場機会の喪失というネガティブな要因もはらむ。だが、頻繁に紅白戦を組めるというメリットもある。また、ウルフではBチームCチームを編成して試合機会を増やすような工夫もしている。
2016年には全国大会である全日本学童軟式野球大会、マクドナルドトーナメントへも出場しており、地域内では強豪チームとして知られるようになった。それでも、ウルフに在籍するのは運動能力の高い団員だけではない。
森本裕太くんの母・三砂代さんは、おばちゃんの料理教室に通うなかでウルフの存在を耳にした。三砂代さんは裕太くんの発育の遅れを気にしていた。
「裕太はしゃべるのが普通の子より遅くて、『心配や』とおばちゃんに相談に乗ってもらっていたんです。そうしたら、おばちゃんが『野球でもやらせたら?』と言って。とてもじゃないけど、ウルフみたいな強いチームで運動のできないウチの子が野球なんかやれるはずがないと断ったんです」
だが、おばちゃんは「この世に運動音痴なんておらん」と断言した。おばちゃんは口癖のように、こう言っていた。
「人間は動物やろ? 動物に運動音痴がいるか? 動物の世界でもし運動音痴がいたら、すぐに他の動物に捕まったり、崖から落ちたり、死んでしまうで」
運動経験の乏しい子でも、訓練次第で運動能力は高められる。三砂代さんはおばちゃんに勧められるまま、裕太くんをウルフに入団させたのだった。
また、おばちゃんの夫でチームの監督を長らく務めていた棚原長一さん(現会長)もことあるごとに、こんなことを言っていた。
「富士山みたいなチームを作ったらあかん。3000メートルの山が横に連なってるような、アルプス山脈みたいなチームを作らなあかん」
親は先にいなくなる。子どもに生きる力をつけてやらなあかん
野球がうまい子もうまくない子も、それぞれにレベルアップする。それがウルフの掲げる理想だ。小学1年生で入団した当初、裕太くんはしょっちゅう「やめたい」と漏らしていたものの、徐々にチームに馴染んでいった。三砂代さんは振り返る。
「野球は下手やったですけど、頑張る根性がついたと思います」
裕太くんは中学まで野球を続け、高校では軟式テニス部に入部する。練習の厳しいチームだったが、裕太くんは初心者ながら3年間やり遂げ、ダブルスの地区大会を突破するほどの腕前を身につけた。そんなある日、裕太くんはふらりとウルフに顔を出し、おばちゃんにこう言った。
「今の自分があるのも、ウルフのお陰です」
少年野球の意義は、プロ野球選手を輩出することではない。社会で生きていく人間を一人でも多く育てることだと、おばちゃんは口を酸っぱくして言う。
「親は字のごとく、木の上に立って見てたらええんです。今はあれこれ言い過ぎ、構い過ぎ。親は先にいなくなるんやから、子どもに生きる力をつけてやらなあかんのです」
おばちゃんは2020年4月に初の著書『親がやったら、あかん! 80歳“おばちゃん”の野球チームに学ぶ、奇跡の子育て』(集英社)を刊行している。
各所で議論されているように、いまだに少年野球を取り巻く環境には問題点が多数ある。しかし、「少年野球=悪」と決めつけるのは早計だ。なかにはウルフのように古くから存在しながら、地域社会に深く根を張り、意義深い取り組みを見せるチームもある。
野球には間違いなく、人間を成長させるだけの力がある。
野球が持つポジティブな可能性を踏まえた上で改善点を議論することが、建設的な未来へとつながるのではないだろうか。
<了>
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