「いつも誤解されてた」25年の時を経て、アレン・アイバーソンが本当に伝えたかったこと
2002年5月7日、記者から練習のサボり癖について質問を受け、それに対して「Practice(練習)」と何度も連呼するなどNBA史に残る名言(迷言)となった「Practice」会見から25年。批判され、誤解され続けたアレン・アイバーソンは、NBA75周年記念式典でかつてとはまったく違う景色を見た。「いつも人間だった。いつも誤解されていた」。本稿では書籍『アレン・アイバーソン自伝 THE ANSWER』の抜粋を通して、自身の人生と“あの会見”の本当の意味を本人が語る。
(文=アレン・アイバーソン、訳=岩崎晋也、写真=UPI/アフロ)
あの記者会見から25年後、突如かかってきた一本の電話
1996年、NBAの50周年記念が祝われた。開催地はクリーブランド。史上最高の選手50人を選び、試合に招待した。そのうち47人が出席した。みなNBAのロゴ入りのブレザーを着ていて、襟には所属チームのロゴが入っている。これこそ最大の才能の集まりで、NBA界における歴史上の巨人たちの集まりだった。オレはもちろん畏敬の念を抱いてた。でも、この偉人たちを連れてきて、当然のことだが壇上に立たせることは、新入りたちの悪さを際立たせることになった。
そしてその新入りたちのシンボルがオレだった。リーグに入ってシーズンの半分くらいだが、このレジェンドたちが話すことは、若い選手に敬意が欠けている、ということばかりだった。エルビン・ヘイズやリック・バリーはオレのプレーを批判した。マジックとジョーダンは若い世代全体を批判した。前年にシクサーズのヘッドコーチだったジョン・ルーカスはこう語った。「いまの時代の勝ち誇ったような表情や挑発は、わたしがプレーしていたころには見られなかったものだ」。
それでも2001年にオレはNBAシーズンMVPを獲ることになる。その1年後には、あの記者会見をやる。その男がオレだ。その25年後、オレは引退して自宅にいた。電話がかかってきた。
電話の相手は、オレがNBA75周年記念チームの一員に選ばれたと告げた。NBAの75年の歴史のなかで最も偉大な75人の選手のひとりに。2月のオールスターウィークエンドに、式典に来てほしいという。ふと気になって、どこでやるのかを尋ねた。もちろん、今回もクリーブランドだった。
正式に引退してから、9年近くたっていた。残念だったのは、オレらしく、もっといい終わらせかたをしたかったということだった。そして殿堂入りからは5年ほどたってた。そのときはマサチューセッツ州スプリングフィールドへ出向き、授賞式の壇上にはトンプソン・コーチ、ラリー・ブラウン・コーチ、ドクターJと一緒に上がった。あの喜ばしい夜、オレはみんなに感謝を伝えた――ママや5人の子どもたち、モーやベイリー・コーチ、トンプソン・コーチにラリー・ブラウン・コーチ。地元の友人たちや、オレの励みとなり、のちには友人になったジェイダキスやビギー。
そのあと、オレは自分の人生を生きてきた。いまだに外へ出て遊んで、過ちを犯し、人間らしく生きてる。悪いこともあった。金を失い、結婚がダメになり、さんざんなことがあった。だからオレは、クリーブランドへ行くという栄誉を与えられたが、ルーキーの年にあった50周年の式典のことは忘れてなかった。クリーブランドに着いたときは半分、さんざんブーイングを浴びせられるんじゃないかと思ってた。
チームに選ばれた全員が紺のブレザーを受けとった。襟にNBAのロゴが入っているのは、50周年記念チームと同じだ。だが、ほかは何を着ても、どんな髪型にしてもよかった。式典の日、2022年2月20日、ブレイダー(編み師)に髪を4本に編みこんでもらった。ルーキーの年からあと、現役中はずっとコーンロウを編んできた。長い遠征のときには、ブレイダーを飛行機で呼び寄せたこともある。オレの名前のついたヘアスタイルが、世界じゅうの美容師に採りいれられてる。それ以来、ほかの選手たちも大勢がコーンロウにしてきた。
「THE ANSWER」のすぐ上に…。加えられた多くのタトゥー
いまでは、かなり多くのタトゥーが入ってる。シクサーズに入ったばかりのころ、オレの道のりを表したふたつのフレーズを足した。「Only The Strong Survive(強い者だけが生き残る)」を「THE ANSWER」のすぐ上の肩に、そして「Fear No One(誰も恐れるな)」を左腕に加えた。
ある時点で中毒になって、作品が身体じゅうに増殖した。タワナやママ、ばあちゃん、それにもちろん5人の子どもたち、ティアーラ、アレン二世、アイザイア、メサイア、ドリームへの感謝も。「CRU THIK(クルー・シック)」は左の前腕に大胆に入ってる。そして幼なじみのラーが死んでしまったあと、首に「RA BOOGIE」と刻みこんだ――オレたちの友情を手短に思い出させるように。この「RA BOOGIE」は忠誠を表す中国語「忠」の上にある。忠誠はオレにとって大きな意味を持つ。それはオレの名声や財産が一挙に高まったときも、オレを自分の根っこと結びつけてくれた。長年のあいだに、オレはさらに多くのタトゥーを加えていった。
でも、クリーブランドに集まったなかには、オレのボディアートがかわいく思えるような人々もいた。その年のオールスター選手は、ほぼ全員がタトゥーを入れてた。
紺のブレザーのほかに、オレは白いリーボックとジーンズ、赤いデザイナーセーターを着てた。指輪やイヤリングをつけ、ネックレスを4、5本誇らしげに首から下げた。信じがたいことだが、リーグ入りして4年目に、NBAの公式雑誌『HOOP Magazine』はオレを表紙にしたとき、タトゥーのいくつかとダイヤモンドのイヤリングを修正して消してしまったんだ。2005年には、さらなるアレン・アイバーソン・ルールが導入された。選手がアリーナに入るときのドレスコードに、襟付きシャツやブレザー着用義務が加えられ、スニーカー、ジーンズ、ジャージー、ネックレスは禁止された。2022年の75周年記念式典では、立ち止まってオレを見る人さえいなかった。選手たちはいまでは、自分を表現することを期待されてる。
「アレン、練習はどうだ!」と言うのは…
クリーブランドのアリーナで、フォワードからセンター、ガードの順に、記念チームの全メンバーがアナウンスされた。ガードで最初に登場したのがオレだった。試合前のイントロのような紹介だ。「オールスター選出11回、得点王4回、アレン・アイバーソン!」。それに加えて、オレはリーグMVP1度、イースタンカンファレンス優勝も達成してる。とてつもない経歴だが、ほとんど思い出す暇もないくらい、猛烈な速度で過ぎ去っていった。
NBA75周年記念の式典でクリーブランドを訪れた。スポットライトを浴びて、まだオレの名前がスピーカーから響くなか、センターコートへ歩いていった。チームメンバーのなか、すでに名前を呼ばれた選手たち全員が見える。ほほ笑み、手を叩き、オレがそこに加わるのを待ってる。そしてクリーブランドの観衆は大きな歓声で迎えてくれる。その純粋な声援はさらに大きくなる。しょうもないことを言わせてもらえば、その晩ひときわ大きな歓声のひとつだった。
その週末、最高だったのは、ほかのレジェンドたちと過ごせたことだ。年配の選手たち、なかには、1997年に、若い世代の選手たちがバスケットボールを破壊していると語った人々もいた。いまや彼らはオレに会いたがっていた。オレはひとりひとりのところへ行ってこう言った。「お会いできて光栄です」。信じられないことに、彼らは同じ言葉を返してきた。あの部屋に、最高の、選りすぐりの選手たちとともにいて、しかも彼らから敬意を払われるというのは、自尊心をくすぐられることだと認めないわけにはいかない。憎まれ口になりかねない言葉といったら、せいぜい、「練習」を持ち出されるくらい。それもいい意味で、ついでに言う程度のことだ。あれについては、テレビコマーシャルでもやったことがある。だからこのときは、「最近どうしてる?」というのと変わらなかった。オレに向かって、「アレン、練習はどうだ!」と言うのは。
昔の選手たちはこんなことも言ってた。「最近の選手たちは試合に出ないんだぜ、信じられるか? しかもそのくせ、きみの練習発言についてごちゃごちゃ言うんだ」。もちろん選手たちが試合に出てないことにはオレも気づいてた。「ロード・マネジメント」だ。負傷者としてリストに入っていなくても、年間15から20試合欠場することがある。
だが、さんざん批判にさらされてきたから、オレは決して後輩たちを批判しない――試合に出ないことに対しても。みんなはオレに言う。「チャック(アイバーソンの愛称)、『インサイド・ザ・NBA』に出ろよ、テレビで言ってやれよ」。でもオレはこう答える。「ときには建設的な批判だってあることはわかってる。でもオレはみんなから嵐のように悪く言われてきたし、それがすげえイヤだったんだ。だからオレは、誰に対してもそんなことは絶対にやらない」。するとみんなこう言う。「でもチャック、ただのバスケだろ?」。
だが、ふんぞり返ってほかのプロ選手に文句を垂れる、オレはいったい何者なんだ? インスタグラムで大したことのないアマチュア選手についてしゃべってるわけじゃない。まるで、ひとりの優秀な外科医がべつの外科医について悪口を言うみたいなもんだ。その外科医は、何をもって自分のほうがいい外科医だって考えられるんだ? 救った人数が多いとかか?
最も偉大なのはマイケル・ジョーダン
たとえ誰かの選択に敬意を欠かないようにしたとしても、テレビはオレに合っていない。テレビに出れば、誰かを名指しして、誰がビビってるか、誰がしくじったか、誰が二日酔いか、誰がまるでプレーになってないかを視聴者に伝えなきゃならない。こういう番組、討論番組に1度出たことがあるが、実際にそこでは討論が行われてた。彼らは個人攻撃をしていたが、オレはその手には乗らなかった。向こうが何を考えたかはわかってる。「おい、こいつは撮すな。誰のことも悪く言わないぞ」って。
いまのNBAを見てると、ハンドチェックが制限され、選手をアウトサイドに配置している。コート上の自由は大きくなってる。この環境だったら、オレにどれだけのことができたか想像してみてくれ。しかも、若い選手たちはオレ以上にクレイジーなスタイルだ――そしてそれを、誰も気にしてない。オレが苦労したおかげで、いまの選手たちは自分を表現できる。たくさんの金を手に入れ、オレよりもはるかに多くの額を稼いでる。だけど、オレは誰のことも批判しない。
オレよりも後輩で、75周年記念チームに入ったのはクリス・ポールやドウェイン・ウェイドといった選手たちだ。彼らは偉大な実績を残しただけでなく、背番号3をつけ、オレの足跡をたどってきた。ラッセル・ウェストブルックやジェームズ・ハーデンもいる。彼らがプレーしているとき、オレはテレビをつけた。それにもちろん、オレの大のお気に入り、ステフ・カリーは、その日のオールスターゲームで16本のスリーを決めた。観衆のなかにすわって、彼がとんでもないことをやるのを観てた。あのショーは楽しかった。この選手たちはみんなすばらしいから、誰が一番かも言いたくないくらいだ。
1996年のドラフト同期もいた。オレの名前が呼ばれてまもなく、レイ・アレンとスティーブ・ナッシュが壇上に加わった。もちろん、96年ドラフト組最高の選手は出席できなかった。コービーの名が呼ばれたとき、全員がしばらくのあいだ、祝福を控えた。まったく、あいつがそこに一緒にいなかったなんてありえないことだぜ。
だけどマイクが、もちろん大トリで姿を見せると、雰囲気が変わった。ほかの出席者――オレも含めて――の反応はよく覚えてる。バスケットボールの神がそこに降り立ったんだ。最も偉大な選手が。
オレはレブロンを愛してる。彼がコートの内外でしたあらゆることを愛してる。彼が表しているすべてを。オレは彼を愛してる。NBAで最も偉大な4人の選手のひとりとしてラシュモア山に刻まれるだろう。十分にすごいことだ。バスケットボール選手として、オレより上だ。だからちゃんと尊敬してる。だけど、最も偉大なのはジョーダンだよ。
で、練習についてはどうかって?
センターコートに立って、しばらく物思いに耽った。ああ。
そろそろわかってくれただろう。あの練習の記者会見で大事だったのは、練習のことじゃない。オレはそれが言いたかったんだ。オレが言おうとしてたのは、あのときあの場所で、練習のことばかり話すのはちがうだろう、ってことだった。試合はどうなんだ? 友達や家族のことは? ひとりの人間であるオレのことは? オレはそう言おうとしていたんだ。そしてオレの答えについて説明するために、オレという人間の過去と現在、どうやってここまで来たかを伝えたかったんだ。
50周年記念チームから75周年記念チームまで。ニューポートニューズやハンプトンのストリートをうろついてたころから殿堂入りまで。売るのが麻薬からスニーカーに変わるまで。刑務所の房のなかでスーツを丸めたときから、センターコートでブレザーを着たときまで。刑務所でひとりだったときから、トンプソン・コーチの腕の下に抱えられるまで。タトゥー禁止から、すべての襟と袖口にインクがはみだすほどになるまで。友人と家族を貧困から救うところから、成功したあとで親友を失うまで。ママが最初にバスケのトライアウトに引っ張っていったときから、MVPに選ばれるまで。ブーイングから、受けいれられるまで。
いつも人間だった。
いつも誤解されてた。
いつも自分だった。
オレは間違いを犯してきた。たくさんの間違いを。オレは練習を大事にしなかった。練習はそれほど意味があるとは思えなかったし、何もかかってない、退屈なものだった。だけど試合ではつねに、それが最後のようにプレーしてた。いつも本当にそうなるかもしれないと思ってたからだ。
で、練習についてはどうかって?
これが答え(ジ・アンサー)だよ。
【連載第1回】「練習、練習って…」は誤解だ。NBA伝説アレン・アイバーソンが初めて明かす“あの会見”の真実
【連載第2回】「バスケはヤワだから嫌いだった」NBAレジェンド、アイバーソン少年の意外すぎる原点
【連載第3回】「友人は次々と死んだ。オレは怒っていた」アイバーソンを全米No.1へ変えた“あの1992年の夏”
【連載第4回】「あのベンツは返してこい、クソガキが」恩師トンプソンがアイバーソンをNBAへ送り出した日
【連載第5回】「友人を捨てろ」と言われても断った。アレン・アイバーソンが最後まで貫いた“自分らしさ”
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『アレン・アイバーソン自伝 THE ANSWER』から一部転載)
<了>
[PROFILE]
アレン・アイバーソン
1975年生まれ、アメリカ・バージニア州ハンプトン出身。ジョージタウン大学を経て1996年NBAドラフト1位でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団。新人王を皮切りに、2001年のシーズンMVP、得点王4回、オールスター選出11回など数々の金字塔を打ち立て、2013年に正式に引退。2016年には殿堂入りを果たす。2021年にはNBA75周年記念チームに選ばれたバスケットボール界最高の選手のひとり。攻撃的で速いプレースタイルに、ファッションと自己表現を統合した画期的な存在。アスリートが個性を打ち出す時代を先取りし、1990年代後半から2000年代はじめのアメリカ文化を牽引した。またリーボックと全キャリアにおよぶパートナーシップを結び、現在は同社のバスケットボール部門副社長を務めている。
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