「プロなんて全然考えてなかった」常松広太郎はなぜ慶應からカブスへ? 異色の挑戦を生んだ原点
ゴールドマン・サックスの内定を辞退し、シカゴ・カブスとのマイナー契約を選んだ常松広太郎は、高校時代までプロ野球選手になることは考えていなかったという。幼少期にニューヨークで触れたスポーツ文化、強豪校とは異なる環境で過ごした学生時代、そして大学で芽生えた自信。野球と学業、就職活動に向き合う中で、どのように自らの可能性を広げてきたのか。異色の決断につながる価値観の原点について話を聞いた。
(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=松岡健三郎)
ニューヨークで触れた、エンターテインメントとしてのスポーツ
――幼少期をニューヨークで過ごされています。その経験は、野球との向き合い方や進路選択にどのような影響を与えましたか?
常松:スポーツはエンターテインメントなんだという、アメリカ人的な考え方に触れたことが一番大きかったと思います。一方で日本には、武道に通じるような「道を極める」という考え方がありますよね。野球にも「野球道」という感覚があって、プロ野球もその延長線上にあるのかなと思います。
アメリカではエンターテインメントを極めたものが、MLBなどの4大スポーツだと思うんです。子どもの頃、父親にいろいろな試合に連れて行ってもらい、スポーツがどうやって人を魅了するのかという視点に触れました。今は自分がプレーする立場ですが、日米ではスポーツそのものの捉え方が違うと感じます。
――当時、球場に足を運んだ時の光景は、今でも覚えていますか?
常松:覚えています。ヤンキースタジアムには年間20〜30回ぐらい連れて行ってもらいました。父親の会社の席があって、よく見に行っていたんです。父親は阪神ファンなんですけど、アメリカには巨人も阪神もないので(笑)。
特に田中将大さんがいた頃は、街中が「タナカ、タナカ」という感じでした。日本人だったらみんな田中なんじゃないかというぐらい(笑)。街全体が期待感を持っていて、その選手が日本人だというのは、すごくセンセーショナルなことでした。
――ニューヨークでは、どのような環境で野球をしていたのですか?
常松:アメリカでは、季節ごとにいろいろなスポーツをやっていました。野球を本格的にやっている子は、街のリトルリーグとクラブチームの両方に入ることが多く、僕もそうでした。リトルリーグは試合が中心で、クラブチームではしっかり練習をする。秋はアメリカンフットボール、冬はバスケットボールもやっていました。
野球ではピッチャーやショートなど、いろいろなポジションを経験しました。特にピッチャーは楽しかったですね。日本に戻ってからも投げていたんですけど、球は速くても全然ストライクが入らなくて(笑)。これはダメだなと思って、バッターになりました。

プロを目指さなかった6年間。慶應義塾湘南藤沢で得たもの
――日本に帰国してから、野球環境の違いに戸惑うことはありませんでしたか?
常松:僕はどちらの野球も好きだったので、そこまで違和感はなかったです。ただ、慶應義塾湘南藤沢の野球部は、いわゆる強豪校とは違う環境でした。学年に10人ぐらいしかいなくて、ノックを打つ人もいなかったので、僕もみんなのためにずっとノックを打っていました。
高校も県大会で1回戦負けするようなチームでしたし、プロを目指すような環境ではなかったんです。野球は学生時代に取り組むスポーツという感覚で、部活動として楽しくやっていました。
――慶應義塾湘南藤沢への進学は、ご両親の影響も大きかったのでしょうか?
常松:そうですね。稲田拓先生という教育者の方がいらっしゃって、慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部の開校に携わり、初代部長を務められた方なんです。その稲田先生が、僕の通っていた洗足学園大学附属幼稚園の園長先生だったこともあり、幼稚園の保護者会で両親が稲田先生と話した時に、「中学・高校は慶應がいいんじゃないか」と勧めてくださったそうなんです。その頃から進学先として考えていて、実際に受験することになりました。
――藤沢で過ごした中高時代について、野球一色ではなく「青春を満喫した6年間」と表現されていました。その経験が、今の野球選手としての自分に生きていると感じることはありますか?
常松:そうですね。甲子園を目指して、出場して、そこで燃え尽きるという経験をしていないので、本当に最近野球を始めたような感覚なんです。受験が終わって燃え尽きてしまう人もいると思うんですけど、僕の場合は、ここからもっと野球がうまくなれると思っています。
自分には伸びしろしかないと思っているんです。もし中高時代に野球を突き詰めて、やり切っていたら、ある程度、自分の限界も見えていたかもしれません。でも、僕はそうではなかったので、そこはすごくプラスに捉えています。
大学野球で見いだした可能性。成長を支えた日々の練習
――高校まではプロになることを考えていなかったということですが、大学で野球を続けることに迷いはありませんでしたか?
常松:実際、大学で野球を続けるかどうか悩みました。大学になると一気にレベルが上がりますし、プロを目指す選手もたくさんいます。高校野球で有名だった選手たちと一緒にプレーする自分が、全然イメージできなかったんです。正直、無理なんじゃないかなと思っていました。ただ、これは自信過剰だっただけかもしれませんが、大学2年生ぐらいの時に「出られるレベルにはいるかもしれない」「チャンスがあればレギュラー争いに絡めるんじゃないか」という感覚があり、実際に3年生の時に試合に出られるようになりました。
――試合に出るために、特に力を入れていたことは何でしたか?
常松:バッティングにはかなり時間を割いていました。平日に後の予定があっても、練習後に必ず1〜2時間は自主練習をしていました。僕は一度にたくさん練習するより、少しずつ続けるほうが向いているんです。毎日、5スイングでもいいから練習することを心がけていました。
――毎日少しずつ積み重ねる習慣は、野球以外にも生きているのでしょうか?
常松:高校3年生の時の勉強もそうでした。法学部政治学科に進学したんですけど、内部進学の中では難関とされる学部で、高校3年次の評定がすごく大事だったんです。それまでは勉強をそこまでしていなかったので、最後の1年間で成績を上げるために、毎日の授業内容や、それまでおろそかにしていた基礎を徹底的に復習しました。
――それまであまり勉強をしていなかった中で、急に勉強に力を入れるのは大変だったのでは?
常松:最初は本当に勉強が嫌だったんですけど、やってみると一つずつクリアしていく感覚がすごく楽しかったんです。友達も巻き込んで、みんなでカフェで勉強するようになりました。頭のいい友達のノートって、要点がすごくきれいにまとまっているんですよ。だから、1教科につき5、6人ぐらいのノートを借りて見比べて、自分なりにまとめ直したノートを作っていました。

外資系金融機関を志した理由
――大学で試合に出られるようになって、プロを意識し始めたのはいつ頃でしたか?
常松:3年生で試合に出始めた頃は、プロのことなんて全然考えていなかったです。それよりも、明日スタメンで出られるかどうかという焦燥感が常にありました。ライバルがたくさんいたので、どうやって生き残るかしか考えていなかったです。
4年生の春に1シーズン戦って、振り返ってみたら結構いい成績を残せていました。そのタイミングでいろいろな話もあって、自分にもプロに行く可能性があるのかなと思うようになりました。
――一方で、早い時期から就職活動にも取り組んでいます。ゴールドマン・サックス以外にも内定を得ていたのですか?
常松:ほかに4社ぐらいから内定をいただいていました。いずれも外資系の金融機関です。
――なぜ、金融業界を志望したのですか?
常松:20代は成長できる環境に身を置くことが、将来の選択肢を広げることにつながると思っていました。金融業界は激務だと言われますけど、僕自身、忙しくても明るくやれるほうだと思いますし、体力には自信があります。そこで成長できれば、その後の可能性も広がるんじゃないかと。仕事が楽しかったら、ずっと金融の世界でやっていけばいいですし。
それから、仕事の天井が高いというか、年収だけでなく、扱う案件のダイナミックさも魅力でした。自分が手がけた案件が日経新聞の一面に載るような仕事もある。そういう世界なら、モチベーションを持って取り組み続けられると思いました。
なぜ野球の進路より先に就職活動をしたのか?
――野球にも可能性が見えてきた中で、就職活動を先に進めようとしたのはなぜですか?
常松:レギュラー争いに絡めるようになってからも、早い段階で就職活動をしていたので、周りからは驚かれました。でも、僕の中では早めに進路を決めて、最後の1年間を野球にコミットしたほうが、芽が出る可能性があると思っていたんです。
僕ぐらいの実力で、野球の進路も決まらず不安を抱えながら同時進行で就職活動をしても、どちらもうまくいかないだろうなと。だから夏は就職活動に集中しました。
――ご自身の可能性や進路を、客観的に考えていたんですね。
常松:メタ認知という言葉がありますけど、僕自身はそこまで自分を客観視できている人間ではないと思うんです。ただ、友達とお互いの人生について、夢や将来のことを熱く話すことが多かったんです。そうやって話すうちに、「自分ってこうなのかもしれない」と考えが整理されていきました。友達とのコミュニケーションの中で、自分を客観的に見られるようになった部分はあると思います。
――その意味では、周囲の仲間との関係も、これまでのキャリアに大きく影響しているのでしょうか?
常松:そうですね。将来的に何か大きなことをするとしても、周りの仲間と一緒に戦っていきたいという感覚があります。自分だけ駆け抜けて、最終的に行きたいところまで行けたとしても、周りを見たら誰もいなかった、というのは寂しいじゃないですか。
もちろん、年齢や立場が変われば、若い頃と同じ関係を維持するのが難しくなることもあると思います。でも、僕は理想論者なので、みんなで楽しく上がっていきたいなと思っているんです。
※次回連載は11月4日(水)公開予定
<了>
ダルビッシュ有が否定する日本の根性論。「根性論のないアメリカで、なぜ優秀な人材が生まれるのか」
大谷翔平が語っていた、自分のたった1つの才能。『スラムダンク』では意外なキャラに共感…その真意は?
ダルビッシュ有が考える“投げ過ぎ問題”「古いことが変わるのは、僕たちの世代が指導者になってから」
なぜアメリカでは「稼げるスポーツ人材」が輩出され続けるのか? UCLA発・スポーツで人生を拓く“文武融合”の極意
勝利至上主義を超えて。慶應義塾高校野球部・森林貴彦監督が実践する新しい指導哲学「成長至上主義」

[PROFILE]
常松広太郎(つねまつ・こうたろう)
2003年10月27日生まれ、神奈川県出身。シカゴ・カブス傘下のマイナーリーグ所属。外野手。右投右打。小学4年生から6年生までニューヨークで過ごし、帰国後は慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部に進学。高校では主将を務め、慶應義塾大学法学部政治学科に進んだ。大学3年春に東京六大学野球リーグデビューを果たし、4年時には主軸として活躍。リーグ通算37試合に出場し、打率.263、4本塁打、19打点を記録した。2025年のNPBドラフトでは指名されなかったが、シカゴ・カブスからオファーを受け、内定していた金融大手ゴールドマン・サックスへの就職を辞退。2026年1月にカブスとのマイナー契約を結んだ。
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
「個を育てる」をどう実現するのか? イブラヒモビッチを育てたマルメの現場に見る育成の本質
2026.11.02Training -
「カットマンは5番手に置け」橋本帆乃香が中国撃破で示した、卓球の定石
2026.11.02Opinion -
ハリー・ケインはイングランド代表史上最高の選手か? バロンドール受賞でも残る「無冠」の壁
2026.10.29Career -
引退を告げた妻の涙に秘められたもの。川崎F・小林悠を支えた家族の絆と最後の戦い
2026.10.26Career -
小杉啓太がフランクフルトで抱く危機感。昨季は公式戦出場ゼロ、今季は定位置確保も「改善が必要」
2026.10.26Career -
なぜマンチェスター・シティ「2季の2部生活」が浮上したのか? 英国で広がる厳罰論の背景
2026.10.23Opinion -
批判と低迷から始まったエディー体制の現在地。ラグビーW杯まで1年、日本代表に起きている変化
2026.10.23Opinion -
「小学生の全国大会が一つしかない」Fリーグ引退・森岡薫、GM転身で目指すフットサル界の改革
2026.10.22Career -
世界3位ドイツ戦で見えた、なでしこジャパンの変化。新体制で増えた選択肢と残された課題
2026.10.14Opinion -
世界1位・松島輝空も安全圏ではない。卓球で相次ぐ大番狂わせ、101位が中国女王を破った背景
2026.10.13Opinion -
「自信を失った経験がない」瀬古歩夢、4戦連続先発で示した成長。森保ジャパンで高まる存在感
2026.10.09Career -
五輪から外れた空手、世界1億人に広がる現在地。アジア大会金・尾野真歩が伝えたい「日本の形」
2026.10.09Career
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
ハリー・ケインはイングランド代表史上最高の選手か? バロンドール受賞でも残る「無冠」の壁
2026.10.29Career -
引退を告げた妻の涙に秘められたもの。川崎F・小林悠を支えた家族の絆と最後の戦い
2026.10.26Career -
小杉啓太がフランクフルトで抱く危機感。昨季は公式戦出場ゼロ、今季は定位置確保も「改善が必要」
2026.10.26Career -
「小学生の全国大会が一つしかない」Fリーグ引退・森岡薫、GM転身で目指すフットサル界の改革
2026.10.22Career -
「自信を失った経験がない」瀬古歩夢、4戦連続先発で示した成長。森保ジャパンで高まる存在感
2026.10.09Career -
五輪から外れた空手、世界1億人に広がる現在地。アジア大会金・尾野真歩が伝えたい「日本の形」
2026.10.09Career -
「空手が楽しくない」からアジア大会金メダルへ。尾野真歩、4年間届かなかった日本代表と“自分の空手”
2026.10.09Career -
14歳でFリーグ最年少記録、英2部QPRのトライアルでも3得点。日大藤沢・浅野蓮が語る欧州での手応え
2026.10.05Career -
「もしそれがW杯の試合だったら」鈴木唯人が語る“走り続ける”理由。開幕4試合4ゴールも最優先するものとは
2026.10.02Career -
「僕らだけで決断していいことじゃない」現役大学生で日本代表、伊藤龍之介が向き合う“二つのチーム”
2026.10.02Career -
W杯ブラジル戦で泣き崩れた田中碧…リーズ監督の「きつい冗談」と、先発を取り戻すまでの3カ月
2026.10.01Career -
「ベンチでOKではない。先発になるために」日本代表FW後藤啓介が語る、ブンデスで向き合う“自分との差”
2026.10.01Career
