香川真司の新たな挑戦 教育者・高濱正伸と紡ぐ「地頭を10歳までに磨く」新しいサッカー教育
スペイン・サラゴサの地でプレーするプロサッカー選手・香川真司。日本の教育界に次々と新しい風を送り込む教育者・高濱正伸。この2人が協力し、新しいスポーツ教育プログラムとして提供するサッカー教室「Hanaspo」を立ち上げた。幼稚園の年中から小学校3年生を対象としたこの「新しいサッカー教育」に2人はどのような思いを託しているのか?
(文=木之下潤、写真=Getty Images)
香川真司が挑戦する新しい「スポーツ教育プログラム」
香川真司が新しいスポーツ教育を届ける活動を始めた。
その思いを「サッカーの魅力を伝えつつも、それ以外の可能性が広がるサッカー教育を届けたい。それが僕の願いです」と語り、子どもたちに向けて動画メッセージを発信した。自身が30歳を過ぎ、サッカーを通じて得てきた経験を、次世代を担う子どもに還元できないか。そういうことを思っているときに、教育者の高濱正伸と接点があったという。
「サッカーがこんなに素晴らしいスポーツだということを子どもたちに伝えたいです。もちろんその子にとって、夢中になれるものがサッカーじゃなくてもいい。そして、可能性を閉ざさないことを大事にしてほしい。今の環境や今の能力から『僕はこのくらいでいい』って決めつけるんじゃなくて、どんどん挑戦してほしい。ちょうどそんなことを考えているときに出会ったのが高濱先生でした。
花まる学習会では、これまでの勉強とはまったく違うことを子どもたちに教えていて面白いなと思ったし、花まる学習会の理念である『メシが食える大人』って言葉がそのときの自分にグサッと刺さりました。僕はたまたまサッカーでメシが食えていますが、運が良くなければそうなっていなかったかもしれない。だから、子どもたちにはサッカーの楽しさを知ってほしい思いと同時に、サッカーに触れながら、サッカー以外の人生の可能性が広がるような、そんな学びのある場所を作ろうと思ったのです」
高濱といえば、全国に2万人以上の生徒を抱える「花まる学習会」の代表である。1993年の設立当初から「スポーツや外遊びが子どもの思考力を鍛える最高の教材」とうったえ、生徒に野外体験を行ってきた教育界の革命家だ。そのような試みから得た知見を含め、現在の指導メソッドを作り上げてきたことで多くの子どもに支持されるようになった。
そのノウハウと香川の経験とを掛け合わせ、新しいスポーツ教育プログラムとして提供するサッカー教室が、4月から首都圏を中心にスタートする「Hanaspo」だ。対象は、幼稚園の年中から小学校3年生。共同設立者として記者会見に登場した高濱は、対象年齢の理由についてこう述べた。
「昔、大学受験を控える生徒に数学の図形問題を教えたことがありました。その問題は補助線が引けたら簡単に解けるのに、そのイメージが浮かばないことに気づきました。問題は計算とかができないことじゃないんです。そこからあらゆる学年の生徒に教えてわかったことは、算数を得意にするには小学校3、4年生くらいまでに『補助線が浮かぶ教育をしなければ遅い』ということです」
「社会で役立つのは計算力ではなく、人間力」
これが教育界で俗に言われる「9歳の壁」、「10歳の壁」である。
そのくらいの年齢から客観的に自分と周囲とを比較し、自分に劣等感を持ったり自信を失ったりして、内面性が大きく変化する。つまり、他者を意識し始めるため、チャレンジして失敗することを恥ずかしがる傾向が出てくる。だから、人間力の土台を強く大きくするには少しハードルが高くなる。「Hanaspo」には、その前に人間力を磨いておきたいという狙いがある。高濱はこう続けた。
「幼児期や小学校低学年くらいに計算力をつけようと、大人は必死になって教えています。でも、人間力の基盤となる思考力、表現力、感性などをその年齢までに養わないといけない。結局、社会で役立つのは計算力ではなく、人間力なんです。最近は非認知能力と呼ばれ、それで将来が決まると言われるようになりました。
つまり、大切なことは地頭をつけることです。例えば、補助線が浮かぶ力はないものが見える力です。私はこれが地頭の良さだと思っています。本質という見えないもの、要点という見えないもの、相手の気持ちという見えないもの、こういうものがくっきりと見えるかどうかで人生の差がつくんです」
Hanaspoが子どもにアプローチしたいものは、「人間力を磨く」ことだ。それに必要な3つの力に「夢中力」「工夫力」「表現力」を掲げ、新しいスポーツ教育プログラムを作った。香川と彼を支えるトレーナーを含めた「チーム香川」と花まる学習会で指導経験を積んだサッカー経験者が、手と手を取り合ってプログラムを考案している。香川は30歳になったときに、今後の人生を一度考えてみたという。
「僕は小さい頃からとにかく遊ぶことが大好きで、サッカーだけでなく、鬼ごっこや缶蹴り、野球やバスケットボールなどいろいろしてきました。特にサッカーが大好きで、時間さえあれば朝から晩までボールを蹴っていて、もう好きで好きでしょうがないって感じでした。練習とか努力とかの感覚はなくて、純粋に夢中でボールと遊んでいました。先日、30歳になってこれまでサッカーに捧げてきた人生を振り返ってみて、今後僕は何がしたいのかなと考えたんです。僕、やっぱり子どもが好きです。だから、僕もサッカーを通じて子どもに関わりたいなと思いました」
サッカー教育で夢中力、工夫力、表現力が身につく
4月からの本格的にスタートするサッカー教室でも指導現場に立つHanaspo代表の新山智也は、このスポーツ教育プログラムに自信をのぞかせた。
「子どもが成長するにはコーチに指導力が求められます。私たちコーチはすべて花まる学習会で講師を務めていたサッカー経験者です。このプログラムは花まるの指導メソッドをしっかり設計の中に取り入れています」
オープニング記者会見で配布された資料を読むと、オリジナルカリキュラムとして書かれてある内容がとてもユニークだ。フィールドなぞペー「耳で聞くクイズや、空間認識力を養うクイズやプリント」、ヒーローインタビュー「今日一番楽しかったことなどをインタビュー形式で聞いたり、練習カードに書く」など、子どもが楽しみながら取り組めそうなメニューが並んでいる。会見中、新山はHanaspoの考えについてこう触れた。
「私たちは10歳までの経験の総量が子どもの将来の可能性を広げると思っています。子どもにとって、自分が意欲的に没頭した経験から得られるものは大きい。その状態を作りやすいのがスポーツです。Hanaspoでは、没頭した状態を夢中力と呼んでいて、私たちが意識しているのは本人が没頭して『これどうやってやるんだろう?』『相手にどうやったら勝てるんだろう?』と向き合う経験をどう作っていくか。
例えば、サッカーは高濱が言うように『相手選手が届かないコースはどこだろう?』と、いつも見えない補助線を描きながらプレーしています。刻一刻と変化する状況の中で、常に最善の選択肢は何だろうと探り続けています。その時点で没頭して集中している状態ですよね。常に頭はフル回転。まさに思考力を鍛えている状態ではないでしょうか」
「90分間ずっと見えない補助線を描くのがサッカー」
この説明を聞くと、Hanaspoが掲げる人間力を磨くのに必要な3つの力「夢中力」「工夫力」「表現力」を子どもたちが見事に体現しているのがわかる。高濱が付け加えてサッカーと教育との相性の良さを力説した。
「私は27年間サッカーが最高の教材だと言い続けてきました。例えば、サッカーのパス交換は見えない補助線をお互いに引いているわけです。うまくいかないときは、その補助線がタイミングよく交わらないから意見をぶつけ合うんです。つまり、90分間ずっと見えない補助線を描くのがサッカーです。味方から相手ディフェンスが届かないところに無意識に補助線を引くことに集中しているでしょう。これはすごいこと。やれと言われず、本人が熱中して主体的に没頭しているときにしか子どもは伸びないんです。だから、サッカーしている状態なんかは、まさに最高です。どれだけ夢中になれるかが重要なんです」
さらに、新山は自身の教育者としての思いをこう語った。
「花まる学習会は9歳、10歳の壁に目を向け、子どもの変化に応じた教育を行ってきました。小さい子を指導するサッカーコーチはサッカーを教えます。自分の経験や価値観をそのまま縮小化し、ステップを刻んで提供しています。でも、本当にそれだけでいいのでしょうか。私は幼児期、小学校低学年くらいまでは子どもに合わせたサッカーを提供しないといけないと考えています。そして、一人ひとりに合わせた個別化が必要です」
これは決して九九を覚えたり計算力を身につけさせたりするような先取り教育ではなく、人間力の土台を強く大きくする新しいサッカー教育。香川真司という一流のプロサッカー選手と高濱正伸という一流の教育者が生み出すスポーツ教育プログラムから今後どんな人材が育つのかとても楽しみだ。
自分で試行錯誤する子になる!「香川真司×教育のプロ」の“だけじゃない”サッカー教室
子供のやる気は「大人の渡し方」勝負 「サッカー×教育」のプロが教える9歳までの指導術
<了>
香川真司、サラゴサで結果が出せないなら「行く場所はもうない」覚悟を持って挑む未来
本田圭佑が挑戦する「レッスンしない指導」とは? 育成改革目指す「NowDo」の野望
この記事をシェア
KEYWORD
#COLUMNRANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
なぜ大谷翔平はDH専念でもMVP満票選出を果たせたのか? ハードヒット率、バレル率が示す「結果」と「クオリティ」
2024.11.22Opinion -
大谷翔平のリーグMVP受賞は確実? 「史上初」「○年ぶり」金字塔多数の異次元のシーズンを振り返る
2024.11.21Opinion -
いじめを克服した三刀流サーファー・井上鷹「嫌だったけど、伝えて誰かの未来が開くなら」
2024.11.20Career -
2部降格、ケガでの出遅れ…それでも再び輝き始めた橋岡大樹。ルートン、日本代表で見せつける3−4−2−1への自信
2024.11.12Career -
J2最年長、GK本間幸司が水戸と歩んだ唯一無二のプロ人生。縁がなかったJ1への思い。伝え続けた歴史とクラブ愛
2024.11.08Career -
なぜ日本女子卓球の躍進が止まらないのか? 若き新星が続出する背景と、世界を揺るがした用具の仕様変更
2024.11.08Opinion -
海外での成功はそんなに甘くない。岡崎慎司がプロ目指す若者達に伝える処世術「トップレベルとの距離がわかってない」
2024.11.06Career -
なぜイングランド女子サッカーは観客が増えているのか? スタジアム、ファン、グルメ…フットボール熱の舞台裏
2024.11.05Business -
「レッズとブライトンが試合したらどっちが勝つ?とよく想像する」清家貴子が海外挑戦で驚いた最前線の環境と心の支え
2024.11.05Career -
WSL史上初のデビュー戦ハットトリック。清家貴子がブライトンで目指す即戦力「ゴールを取り続けたい」
2024.11.01Career -
女子サッカー過去最高額を牽引するWSL。長谷川、宮澤、山下、清家…市場価値高める日本人選手の現在地
2024.11.01Opinion -
日本女子テニス界のエース候補、石井さやかと齋藤咲良が繰り広げた激闘。「目指すのは富士山ではなくエベレスト」
2024.10.28Career
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
10代で結婚が唯一の幸せ? インド最貧州のサッカー少女ギタが、日本人指導者と出会い見る夢
2024.08.19Education -
レスリング女王・須﨑優衣「一番へのこだわり」と勝負強さの原点。家族とともに乗り越えた“最大の逆境”と五輪連覇への道
2024.08.06Education -
須﨑優衣、レスリング世界女王の強さを築いた家族との原体験。「子供達との時間を一番大事にした」父の記憶
2024.08.06Education -
サッカーを楽しむための公立中という選択肢。部活動はJ下部、街クラブに入れなかった子が行く場所なのか?
2024.07.16Education -
14歳から本場ヨーロッパを転戦。女性初のフォーミュラカーレーサー、野田Jujuの急成長を支えた家族の絆
2024.04.15Education -
モータースポーツ界の革命児、野田樹潤の才能を伸ばした子育てとは? 「教えたわけではなく“経験”させた」
2024.04.08Education -
スーパーフォーミュラに史上最年少・初の日本人女性レーサーが誕生。野田Jujuが初レースで残したインパクト
2024.04.01Education -
「全力疾走は誰にでもできる」「人前で注意するのは3回目」日本野球界の変革目指す阪長友仁の育成哲学
2024.03.22Education -
レスリング・パリ五輪選手輩出の育英大学はなぜ強い? 「勝手に底上げされて全体が伸びる」集団のつくり方
2024.03.04Education -
読書家ランナー・田中希実の思考力とケニア合宿で見つけた原点。父・健智さんが期待する「想像もつかない結末」
2024.02.08Education -
田中希実がトラック種目の先に見据えるマラソン出場。父と積み上げた逆算の発想「まだマラソンをやるのは早い」
2024.02.01Education -
女子陸上界のエース・田中希実を支えたランナー一家の絆。娘の才能を見守った父と歩んだ独自路線
2024.01.25Education