内田篤人が振り返る、ケガと闘い続けた現役生活。もし別のキャリアを選べるなら…
昨年8月に現役を引退し、現在はJFA(日本サッカー協会)のロールモデルコーチとして育成年代の日本代表に関わりながら、テレビをはじめ多くのメディア出演で忙しい日々を送る内田篤人。日本人選手として誰よりもヨーロッパのトップレベルを体感し、一方で「ケガが多かった」とも語る自身のキャリアをどう評価しているのか? そして内田が語る今後の展望とは?
(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=浦正弘)
ケガとの闘いだった現役生活。もし別のキャリアを選べるなら…
――ご自身のキャリアを改めて振り返って、どんなサッカー人生だったと思いますか?
内田:やっていたレベルはトップだったけれど、改めて出場試合数を見ても、やっぱりケガが多かったなと思います。ヨーロッパと日本との往復、UEFAチャンピオンズリーグ含め、ちょっとタフな試合が多かったのかもしれません。自分もそれで「休みたい」と言えば良かったんですけど、「痛くない、痛くない」と言って、ずっと無理してやっていたので。まあしようがないかなと。
――もし、もう一度イチからキャリアを歩めるとしたら?
内田:同じことをやりますね。後悔は全然ないので。むしろ無理しなければここまでやってこられなかったと思います。
――キャリアの最後はケガとの闘いでした。
内田:(2014年のFIFA)ワールドカップの時点で、もう別に膝が壊れてもいいやと思ってプレーしていました。自分で無理して試合に出続けたことも、2015年に手術を決断したことも後悔はしていません。
――キャリアの終わりを意識するようになったのは?
内田:2018年に鹿島に戻ってきてからかな。鹿島に戻ってきて、肉離れなどの筋肉系のケガが続くようになって。手術した膝は問題ないけど、やっぱり1年半以上動いていないツケが回っているなと。走る部分とか、息が上がった後になかなか回復しないとか、体がタフじゃなくなっちゃったので。運動能力的に落ちました。何かそういう部分ですかね。
――鹿島に戻ると決めた時は、まだまだ現役を長く続けるつもりだったのですか?
内田:長くはできないけど、違いは見せようとは思っていました。海外に行って戻ってきた選手らしいプレーはしなきゃいけないなと思っていたけど、いかんせん体が戻らないなという感じでしたね。
「お前ら2人が頑張っているからやめます」と話して引退
――2018年に鹿島に復帰してからの3シーズン。率先してチームを引っ張ろうという気概がすごく感じられました。
内田:優勝するということよりも、鹿島の伝統とか姿勢を若い選手に落とし込んでいくのが、自分の一番の仕事だと思っていました。技術や戦術うんぬんではなく、もうそこだけが一番大事だなと。でもそれが思うようにできなかった。練習でもケガしないように抑えてプレーしていたので。こういう姿を僕は先輩から見せられてきたんじゃない、それを自分が見せられないのであれば、もう終わろうと。引退することによって「伝える」じゃないですけど、「鹿島ってこういう気持ちでやってる選手がプレーすべきクラブじゃないよ」というのは、僕がやめることによって気づいてほしいなという思いはありました。
――そういうメッセージも含めて、シーズン途中での引退にこだわったわけですね。
内田:そうですね。シーズン最後までやれば、その分のお金ももらえたわけですけれど、納得できるプレーができないのであれば、他の選手に失礼だなと。J2、J3でやったことがないので実際にやれるかはわからないですけど、カテゴリーを落としてプレーする選択肢もあったとは思います。ただ、他のチームに行ってプレーするつもりもなかったので。ドイツで膝のケガを経験して、もしかするとそこで引退していたかもしれない中で復帰できて、どうせなら最後は鹿島で終わりたいといって拾ってもらった身で、他のチームに行くのはないなと。
――引退会見からも「他の選手に対して失礼だ」という思いがすごく伝わってきました。
内田:一緒に練習をやっていて、(同じ右サイドバックとしてもプレーする)小泉慶とか永木亮太とか、彼らは先のことを考えず一生懸命やるんですよ。そういう選手の横に、彼らよりいいお金をもらいながら先のことを考えてケガしないように抑えている自分がいるわけです。そういう選手がいるのは本当に失礼だなと思ったので、「お前ら2人が頑張っているからやめます」とミーティングの場で話して、引退しました。
――2020年8月23日。明治安田生命J1リーグ第12節のガンバ大阪戦が現役最後の試合となりました。見ていて、ケガしても構わないというか、リミッターをかけずに全身全霊でプレーしている姿が、チームメートにも、ファン・サポーターにもひしひしと伝わったと思います。
内田:ケガしちゃダメじゃないですか、プロって。だからケガしてもいいやと思ってやっている時点で、もうプロとしてはよくないですよね。その時点で失格といえば失格だし、(広瀬陸斗選手の負傷のアクシデントで)16分に交代で出場して、全力でプレーしても、それでも最後の5分、10分もたないんです。試合終了の笛が鳴った時は、やっぱりもう選手としては終わっているなと、やめて正解だなと改めて思いました。
「指導の現場」は覚悟がなければ踏み入れてはいけない場所
――引退後のキャリアについてはどのように考えていたのですか?
内田:現役時代に何もやってこなかった選手だったので(笑)。ライセンスも取りにいっていないですし。引退のタイミングでいろいろなお話をもらいましたけど、一番は家族と一緒にいられればいいやと思っていたし、鹿島に残るなら何かしら考えてくれるという話もあったので、しばらくは何もせず暮らしたいと考えていました。とりあえずゆっくりしよう、家族と一緒に、子どもと遊びまくろうと思っていたくらいですね。
その後、時間が経つにつれて、最初はちょっと休んでからとも思いましたが、どうせ休んだらサッカー界に戻るんだから、それなら今からでもサッカーに何か携われる仕事があったら幸せだなと思っていたら、JFAの反町(康治/技術委員長)さんが声をかけてくれて。ロールモデルコーチは活動の自由度が高く、U-19日本代表のところだけは集中的に見てほしいとのことでしたが、僕のことをいろいろと考えてくれての話をいただいたので、これは面白そうだなと思い引き受けました。
――現在はテレビ出演も多く、本当にたくさんのメディアに出られていますよね。あまりにもいろいろと出るので、いちサッカーファンとして最初は正直「もうちょっと出る番組選んでよ」とも思っちゃってまいました(笑)。
内田:テレビのお仕事は僕も最初はそんなに出るつもりはなかったんです。ご褒美だと思って面白そうな番組に出ようかなぐらいで。ただ、もちろん僕がテレビに出ることがサッカーの普及につながるとまでは考えていないですけど、『やべっちFC』や『スーパーサッカー』も終わってしまった中で、元サッカー選手が地上波に出ることが何かにはつながるのかなと。アッキー(マネジメント会社SARCLEの秋山祐輔代表)ともいろいろと相談して、今は知見を広げる意味でテレビに出てしゃべることも、顔を知っていただくことも、可能性を縮めないという意味でも大事なことなんじゃないかと考えています。
――確かに、元サッカー日本代表、元プロサッカー選手として、地上波に出ることで、日本サッカーの価値向上にもつながると思うので、今はどんどん出てほしいと個人的にも思ってます。一方で、指導者への道については現状どう考えてるんですか?
内田:JFAのロールモデルコーチという役職にも就かせてもらっているし、ライセンスも取りにいってますけれど、U-19(現U-20)日本代表の影山(雅永)監督やコーチ・スタッフ陣の熱量や仕事ぶりに触れて、指導の現場は何となくの流れでくる場所ではないなということを思い知りました。覚悟がなければきてはいけない場所だなと。
――現場で情熱を持って働く人たちに対して「失礼」という考え方ですね。
内田:そう。指導者として踏み込んだら、たぶんもう戻ってこられないんですよ。そこの覚悟はまだ僕にはできていないなと。その覚悟をするためにも、いろんな仕事を経験することも必要かなと。
――ドイツでは選手とクラブ経営者、GM の距離が近く、選手が彼らの動きを見ることができるため、将来それらの仕事に就くことが多いとも聞きます。GM 職やクラブ経営への興味はありますか?
内田:そのためには経営のことを学ばないといけないですし、監督をやるにしてもGMの勉強をしてもいいし、GMをするにも監督の勉強は必要なわけで、すべては持ちつ持たれつの関係だと思います。だから結局、何か一つに絞るのではなく、いろいろな方面の勉強をしなければいけないと考えています。将来何になるかまだ決まっていないですが、今は蓄えて、蓄えての時期かなと。
――現在いろんなテレビ番組に出演しているのも、さまざまな学びを得る機会になりますね。
内田:そうですね。いろいろな普段会えない人にお会いできるのは刺激になりますし、純粋に面白いです。今は一切嫌な仕事はしていない。毎日楽しみながら過ごしています。
現役時代に履いていた「最後のスパイク」
――海外ではスポーツ選手が社会課題やチャリティーに精力的に取り組むことが当たり前のように認識されていると思います。一方、日本ではそういった活動を行うことが「偽善」だと言われることもあり選手側が躊躇することもあります。内田さんはアスリートが社会貢献やチャリティー活動を行うことに対してどのように考えますか?
内田:大事なことだと思います。大事なことだとは思うし、一方で無理やりやらなくてもいいとも思います。自分が必要だと思ったらやればいい。「やるね、僕なら」という感じですね。
ただSNSとかやっていないから、発信を躊躇するというイメージがよくわかっていないのもあります。自分でもけっこう炎上しそうな発言はしていると思うんですけど、それが僕のところには跳ね返ってきていないので(笑)。
――今回は貴重な使用済みスパイクを出品いただけると聞いています。
内田:これ、本当に最後の1足なんですよ。
――え? 本当ですか?
内田:現役の時に履いていたスパイクで持っていたものは、「篤人さん、これください」と言って選手がほとんど持っていっちゃって。あと家にあるスパイクが今回の1足だけなんです。
――なくなるのが早すぎないですか!(笑) 現役時代のスパイクを引退後も大事にとっておく人も多いですが、内田さんはこだわりないんですね。
内田:全然ないです。ただ、今後、もしスパイクが必要になったら自分で買わなきゃいけないです(笑)。
――スパイク自体に対する強いこだわりも現役時代からあまりなかったとお聞きしています。「用意されたものを履く」という感じだったのですか?
内田:そうですね。もっと厚みがほしいとか、ここを削って深くしてほしいとかいろいろディテールにこだわる選手も多いですが、僕は一切言ったことがないですね。色だけ、できれば「黒一色にしてほしい」というお願いをしただけです。
――でも、ずっとアディダスですよね?
内田:もちろん。高校生からのつき合いなので思い入れは強いです。過去に、他のメーカーから、より大きな金額のオファーも受けましたが断りました。アディダスへの思い入れというか、高校時代からお世話になっている担当の橋倉剛さんへの思いですかね。橋倉さんが他のメーカーにいったら、僕もそっちにいっていたと思うので。そういう人とのつながりですかね、僕の中で大事なのは。
<了>
“アスリートとスポーツの可能性を最大化する”というビジョンを掲げるデュアルキャリア株式会社が運営する「HTTRICK(ハットトリック)」と、アスリートの“リアル”を伝えることを使命としたメディア「REAL SPORTS(リアルスポーツ)」との連動企画として、【REAL SPORTS × HATTRICK チャリティーオークション】を開催。
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PROFILE
内田篤人(うちだ・あつと)
1988月3月27日生まれ、静岡県出身。清水東高校卒業後、2006年のJリーグ開幕戦で鹿島アントラーズ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たし、プロデビュー。鹿島では主力選手として活躍し、2007年~2009年のリーグ3連覇に貢献。2010年7月、ドイツ・ブンデスリーガの名門シャルケに移籍し、UEFAチャンピオンズリーグ・ベスト4、ドイツカップ優勝を経験。2017年8月、出場機会を求めブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンへ移籍後、2018年より鹿島アントラーズへ復帰。2020年8月に現役引退を発表。日本代表では、2007年のFIFA U-20ワールドカップ、2008年の北京オリンピックなどに出場し、2008年1月にA代表デビュー。以降、2010年のFIFAワールドカップではメンバー入りはしたものの出場機会には恵まれなかったが、優勝を果たしたAFCアジアカップ2011、2014年のFIFAワールドカップでは不動の右サイドバックとして活躍。現在は日本サッカー協会が新設したロールモデルコーチに就任し、U-19日本代表を担当している。
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