ビジャ、日本のスクール事業で描く壮大な夢「私が持つアカデミーとクラブを経て、欧州へ」
元日の天皇杯で最後のタイトルを獲得し、世界中の多くのファンに惜しまれつつ現役を退いたダビド・ビジャ。海外移籍を経験して選手としての幅が広がり、さまざまな出会いと学びがあったという。そんな彼が日本で選手育成のアカデミー事業を展開する準備中なのをご存知だろうか?
謙虚な人柄でありながら、環境が変わっても常に結果を出し続けた貪欲さ、各国を渡り歩いたグローバル性を併せ持つビジャがたどり着いた“第二の天職”、自身の事業「DV7 SOCCER ACADEMY」について熱い想いを語り尽くす。
(インタビュー・構成=小澤一郎、撮影=齋藤友也、写真提供=DV7 SOCCER ACADEMY)
プレーして、この国のポテンシャルに確信を持てた
ーーご自身が経営されている「DV7 SOCCER ACADEMY」についてお聞きします。どういうプロジェクトなのでしょうか?
ビジャ:DV7は、サッカー選手育成のグローバル・プラットフォームです。前提にあるコンセプトは、小学生のスクールを活動の土台として、プロサッカー選手を目指す子どもたち、若い選手たちのキャリアをスタートからプロとして成功するまでサポートすることです。またサッカーを通して選手の人としての成長を手助けします。すでに多くの都市でアカデミーを開校していますが、開校にあたってその国にあるポテンシャル、選手のタレント性をよく見極めていますのでうまくいっていると考えています。
私自身の関わりとしては、現役選手の期間は異なる国のスクールに頻繁に顔を出すようなことができませんでしたが、引退したあとはその時間も持てるでしょうし、新たな土地での開校プロジェクトに直接的に携わることもできるでしょう。
新たな展開国の一つが日本です。日本でスクールを立ち上げる理由は、私が選手としてプレーしてみて、この国のサッカーのポテンシャルに確信を持てたからです。プロサッカー選手のみならず、アマチュアの選手、子どもたちにもタレントが多く、スペインとひけをとらないほど、サッカーに対して情熱的だと感じました。まずは今年の4月に関東圏で、小学生世代のDV7スクールを開校する予定です。
ーー現時点ではどのくらいの国、都市でスクールを持っているのですか?
ビジャ:現時点では世界6カ国、7都市にあります。ヨーロッパはスペインのアストゥリアス州、北米にはアメリカのクイーンズ、サンディエゴ、カナダのバンクーバー、中米にはプエルトリコ、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ、アジアは香港です。
ーープエルトリコ、ドミニカ共和国で開校されている理由は?
ビジャ:すでに説明したように新規国への展開にあたっては入念にリサーチをします。中でもその国が持つサッカーの発展性、ポテンシャルを重視しています。我々のプロジェクトではスクール事業を通して子どもたちにサッカーを楽しんでもらうことのみならず、プロ選手を育成することも目的としていますので、その国にどの程度のタレントがいるかを知ることは大切です。
もう一つは事業を展開する国におけるローカルパートナーの存在です。タレント性、発展性、ローカルパートナーがこのプロジェクトの3つのキーファークターとなります。
その3要素があるからこそ、日本での開校を決めました。引退後はもう少しプロジェクトの展開をスピードアップすることになると思います。各地のスクールを少なくとも年に1回は訪問して、すべての子どもたちを指導したいと考えてきました。ただ私の名前がビジネスに使われているだけでは嫌なのです。2020年はまず日本での開校をきっかけとして他の国での開校、展開に注力しています。
ーーDV7のプロジェクトのスタートはご自身の故郷、スペインのアストゥリアス州からだったのでしょうか?
ビジャ:いいえ。プエルトリコが最初です。プロジェクトの始まりはもちろん、それよりもっと前のことで、自分のビジネスパートナーでありエージェントも務めてくれているビクトール・オニャーテと、引退後のプランを相談していた時にアイデアとして出てきたものです。私がバルサ(FCバルセロナ)でプレーしていた時のことですね。その時から引退後は選手の育成事業に関わりたいと考えていました。選手として得た経験を子どもたちに還元したいと常々考えてきましたし、私自身の街クラブからスタートしたキャリア、経験からしても、サッカーを始めたばかりの子どもたちのスクール事業こそがふさわしい場所になると感じていました。
プエルトリコが初開校となった理由は、私がMLS(メジャーリーグサッカー)でプレーしていた時からオフシーズンは子どもたち向けのクリニックやキャンプなどの事業に関わっていた関係で、プエルトリコに招待していただくことがありました。そこで見た子どもたちの可能性と、国としてのサッカーの発展性に興味を持ったことがきっかけです。今は世界7都市で展開していますが、私の地元アストゥリアス州でも早い時期にスクールを立ち上げました。DV7のプロジェクトを始めてから3年が経ちますが、ここまでのプロセスにはとても満足しています。
日本の子どもたちが世界中のDV7の仲間たちとプレーする機会を
ーーどのくらいの子どもたちが今現在、DV7のスクールでサッカーを行っているのですか?
ビジャ:正確な数字はわかりません。なぜなら、毎日新規登録者が出ているので日々の正確な数字までは把握できないからです。ただ、今現在3000人近い子どもたちが世界中で展開する7校に通ってくれています。また、DV7ではスクール事業だけではなく夏休み、冬休みのクリニック、キャンプの事業も行っていますのでそこに来る子どもたちの数も合わせるともっと多い人数になります。
ーー一番人数の多いスクールはアメリカですか?
ビジャ:香港です。香港のスクールには600人以上の子どもたちがいます。アメリカも2カ所でそれぞれ150人くらいずつの選手がいますし、アストゥリアス州にも300人近い子どもたちがいます。ドミニカ、プエルトリコでも500人近い子どもたちがいます。
ーー自身の事業とはいえ、正直そこまできちんとアカデミー事業の数字を把握されているとは思いませんでした。DV7のプロジェクトの本気度を感じましたし、良い意味で驚かされました。
ビジャ:はい。私自身かなりこのプロジェクトに多くのものをささげています。各アカデミーのダイレクターとも密にコンタクトを取って現状を把握していますし、各国のビジネスパートナーとも定期的にミーティングをして情報を共有しています。選手の本業がある以上、各アカデミーを頻繁に訪れるようなことはできませんが、電話やメールで各担当者、関係者とコミュニケーションを取っていますので今、各アカデミーで何が起きているのかはすべて把握しています。ただ、シーズン中にアカデミーを訪れることができないのはずっと残念に思っていました。
ーー日本での事業展開について教えてもらえますか?
ビジャ:日本でのアカデミー開校にあたり、我々は入念に準備を進めてきました。日本での開校を考え始めた当初から、日本にはタレントが多くいる、生まれてくることを理解しました。ここで言うタレントとは、プロサッカー選手、アマチュア選手、子どもたちの全カテゴリーのことを指します。また、日本はサッカーへの情熱がとても感じられる国ですので、そこはアカデミー事業をするにあたって大切なテーマです。
唯一の課題はローカルパートナーでしたが、ビクトールの知人であったタック(SO GOOD GROUP代表 小野壮彦氏)が引き受けてくれたことで解消できました。彼のようにグローバルビジネスの経験と、サッカービジネスの経験を併せ持つ人物との出会いは重要でした。我々にはすでに他国での事業実績とメソッドがありますが、やはり開校する国にはそれぞれの地域性、文化がありますのでそれを理解するローカルパートナーの存在が欠かせません。
将来的にはDV7アカデミーの活動に横のつながりを持たせたいと考えているので、例えばアメリカで大会を開いて世界中のDV7アカデミーの子どもたちが集う機会や日本の子どもたちがプエルトリコやドミニカ共和国に遠征で行くような機会、DV7アカデミーとしてのコミュニティーを作りたいと思っています。
自分自身がそうだったように、住み慣れた国を離れて、違う文化で育った選手とボールを蹴り合うことで、世界の広さと素晴らしさを知り、人として大きな成長をするきっかけを掴んでくれるのではないかと期待しています。
アカデミーですのでまずは日々しっかりとした指導を子どもたちに提供しながらも、プロジェクトとして世界中からタレントを発掘、育成して、将来的にはこのプロジェクトからプロ選手を、日本で考えれば次世代の久保建英選手を輩出していきたいと考えています。
FCバルセロナの重鎮と一蓮托生でメソッドを構築
ーーDV7アカデミーのメソッドとはどういったものなのでしょうか?
ビジャ:共同創業者のビクトール・オニャーテはかつてバレンシアのマーケティング執行役員でした。サッカービジネスの世界での経験と実績を持っていますし、私は選手として貴重な経験を積んでいます。私が選手として指導を受けてきた監督にはルイス・アラゴネス、ビセンテ・デル・ボスケ、ジョゼップ・グアルディオラ、ディエゴ・シメオネ、ウナイ・エメリといった世界トップレベルの指導者がいます。ただし、私とビクトールの2人をもってしても経験できていないものがありました。それが選手育成でした。
2人で育成事業を始めることを決め、まず行ったことはこの事業を任せることのできるスポーツダイレクター探しでした。その当時、バルサのアカデミーを世界に展開していた責任者であるジュゼップ・ゴンバウに我々のプロジェクトへのコミットを依頼しました。彼は我々が望むようなメソッドを持っていて、すでにバルサでアカデミーを世界展開する経験を持っていました。彼はこのプロジェクトのメソッド構築に貢献し、プロジェクト開始の2016年にはニューヨークに移り住んでくれました。
彼とは立ち上げの4カ月間、一蓮托生でメソッド構築のために多くの時間を共有しました。オフの時間はほとんど彼と過ごしました。今あるDV7アカデミーのメソッドの80%は彼がもたしてくれたものですが、そこには私の経験やアイデアが含まれていますし、それ以外の20%には私のエッセンスが入っています。
DV7アカデミーでは必ずそのメソッドを用いた指導が行われていて、メソッドには練習メニューのみならず子どもたちに求める行動規範なども定められています。サッカーの原理原則であるゴールを奪う、ゴールを守るといったところから派生するメソッドにとどまらないものになっています。
ーースペインサッカーのブランドは、依然として世界中に広まり続けています。なぜだと思いますか?
ビジャ:サッカーのような難しいスポーツにおいては、すべてではないですが成功を収めたチームが成功例として周囲からの尊敬を集めます。例えば、私が幼い頃はブラジルサッカーが成功していましたので世界中がブラジルのサッカーを真似しようとしていました。その意味で、ここ10年くらいのスパンで見た時には世界中がスペインを模倣したくなるような成功をスペインが収めています。スペイン人の選手、監督が世界中から求められている点で見ても、多くの国がスペインサッカーの成功の秘訣を知りたいのだと思います。
ーー実際、近年のFIFAワールドカップ優勝国を見てもフランス、ドイツ、スペインはどこも選手育成から代表強化につなげています。サッカーにおける成功において、選手育成は欠かせない要素だと思いますか?
ビジャ:とても重要なことだと思います。義務教育が低年齢から始まるように、低年齢からしっかりとしたプレーをすることを学ぶ必要があります。そして、しっかりとしたプレーをするという意味は、ボールを扱う技術を習得するだけではないということをよく理解することが重要です。スペインサッカーは、ボール技術だけではなく、ポジショニングなど、それ以外のさまざまな要素の大切さを、育成界全体で、深く掘り下げていったことが成功につながりました。中には16歳でプロ契約を結ぶような早熟のタレントもいますが、プロになることがゴールではなく何歳になっても学び続けていくことが選手として成功できるかどうかの分かれ目です。サッカーの素晴らしい、でも難しいところはそこにあります。私は38歳の誕生日を迎えましたが、この年齢になっても日々の練習から学びを得ています。選手を引退してからもサッカーから学び続けるでしょう。それこそが本当の意味でのサッカーの素晴らしさだと思います。だからこそ、早い年齢から始めれば始めるほど学びを得る、プロに到達する可能性が増えます。だからこそ育成は重要であり、近年のスペインサッカーの成功はそこに秘密があると思います。
ーースポルティング・ヒホンのような育成に定評のあるクラブで育成年代を過ごしたことはあなたにとってプラスだったのではないですか?
ビジャ:スペインには素晴らしいカンテラ(下部組織)が多く存在していて、エル・マレオ(スポルティングのアカデミーの呼称)はその一つです。スポルティングは以前からお金をかけて外から選手を獲得するのではなく、育成に投資をして自前で良い選手を育成してトップチームの強化につなげることを地道にやってきたクラブです。選手としてスポルティングの門を叩き、エル・マレオでプレーするようになってスポルティングがそういうクラブであることがはっきりとわかりました。もちろん、スポルティングでの経験は今の私に大きな影響を与えてくれていますが、それだけではなくこれまでのキャリアで出会ったクラブ、指導者のすべてが私に素晴らしい影響を与えてくれています。
自分たちが育てた日本人選手をアメリカでデビューさせる夢
ーー先日、アメリカのクイーンズボロFCのオーナーになったニュースが出ました。クラブを持つことになった経緯を教えてください。
ビジャ:アカデミープロジェクトのアイデアから派生したものです。アカデミー事業が軌道に乗り、多くの子どもたちと関わるようになって彼らの受け皿の必要性を感じるようになりました。特にドミニカ共和国、プエルトリコでのアカデミーでは18、19歳の子どもたちが在籍しています。もう「子ども」と呼ぶにはふさわしくない年齢ですね。アカデミーで選手育成の事業を行っていますが、プロになれる才能を持った選手に対する受け皿を作りたいと考えました。
ニューヨークでプレーしていた時にクラブを買い取る可能性が出てきたので、検討した上でオーナーになることを決めました。理想とするイメージは、例えば日本のアカデミーの子どもが日本でしっかりとした指導を受けて選手として成長し、私がオーナーを務めるクイーンズボロFCでプロデビューを果たす。その後、クイーンズボロFCから欧州に挑戦していくような選手育成プロセスです。DV7アカデミーの子どもたちに海外でプロサッカー選手になる可能性を少しでも広げることが大きな目的です。2021年からUSL(ユナイテッドサッカーリーグ/MLSの実質2部)に参入することになりますが我々にとって新たなプロジェクトとなるのでとても楽しみです。今、MLSはさまざまな改革を進めていて、プロになりたての若手を積極的に育成する仕組みの導入も検討しているようですので、その意味でもヨーロッパへ挑戦したいと考える選手たちにとって、魅力的な機会となるのではないでしょうか。
ーーこれだけ多くのプロジェクトを同時に動かしていくためには引退しても時間が不足しそうですね……。
ビジャ:確かにそうですね(苦笑)。ただ、選手時代は本当にサッカーにすべてをささげる生活をしていましたので今より間違いなく時間はできます。その時間を有効活用してすべてのプロジェクトをしっかりと進めていきたいと考えています。
ーー監督になる可能性はないのですか?
ビジャ:現時点では監督業は考えていません。DV7アカデミーのプロジェクトを始める前から自分は子どもたちの育成に関わりたいと考えていました。クイーンズボロFCのようなクラブのオーナーになったことで例えばクラブの監督やスポーツダイレクターになる可能性も考えることはできるのかもしれませんが、現時点ではその可能性はありません。もちろん、これまでのキャリアの中で学んだことは「サッカーにおいて絶対はない」ということです。
一晩にしてすべてが変わることがありますので、「可能性がゼロ」とは言いませんが現時点ではすでに進めているプロジェクトがありますのでそれを脇に置いて監督業に進むことは考えていません。
ーーこれまで在籍したクラブ、例えばスポルティングのようなクラブで働く、何かしらの立場で関与する可能性はありますか?
ビジャ:エモーショナルなつながりは持ち続けていきます。選手として在籍させてもらったクラブには愛着があります。そうしたクラブから何かを求められ、自分が貢献できることがあれば喜んで彼らのために動きたいと思います。もちろん、それはピッチ外でのことになるでしょう。自分が今あるのは在籍したすべてのクラブあってのことですから、彼らに恩返しできることがあるならば喜んでできる限りのことをしていくつもりです。
「我々のメソッドは、指導者のレベルアップにもつながるもの」
ーー日本にはすでに数多くの欧州クラブがスクール事業を展開しています。ご存知ですか?
ビジャ:もちろんです。バルサ、レアル・マドリード、バイエルンなど多くの欧州クラブが日本でスクール事業を行っているのは知っています。当然そこには競争があるわけですが、それは子どもたちにとっても良いことだと思います。自分が子どもの頃には地元にスクールなどありませんでしたし、今は地域のスクールやチームに加えてそうした海外クラブのスクールという選択肢もあります。結果的に競争があるということは指導も含めたレベルを引き上げることになると思います。DV7アカデミーのプロジェクトにおいてもすべての開校都市で例外なく、そうした欧州クラブとの競争がありましたので日本での開校にあたってもそれはポジティブに捉えています。
ーー日本でのアカデミー開校にあたりスペイン人指導者を派遣する可能性はありますか?
ビジャ:我々のアカデミーのコンセプトは、国籍に関係なく指導者全員がジュゼップの構築したメソッドを理解することです。その国の指導責任者(ダイレクター)についてはすでに他の都市のアカデミーで経験を積んだDV7の指導者を派遣し、常に私とジュゼップとコミュニケーションを取りながら進めていく予定です。日本のダイレクターについては、UEFA Proライセンスを持つ、優秀な指導者の赴任がすでに決まっています。しかし、基本的に他の指導者についてはその国の指導者を起用していくつもりです。例えば日本の地域性や文化、事情を把握していないスペイン人指導者を10人連れてきてアカデミー事業をやってもうまくいかないと考えています。
ーーということは、アカデミー開校によって地域の指導者のレベルも引き上げることにもつながりますね。
ビジャ:そういうことです。指導者を「育成する」とまではおこがましいので言えませんが、日本の指導者の方々としっかりと信頼関係を築き、お互いのレベルアップに貢献したいとは考えています。我々のメソッドは、指導者のレベルアップにもつながるものだという自負があります。
ーー海外でプレーしたことの意義をどのように説明しますか?
ビジャ:アメリカ、オーストラリア、日本でプレー、生活できたことはとても貴重な経験でした。人としてもサッカー選手としても視点、幅が増えました。スペイン国内だけでキャリアを終えていたら、今のような自分はなかったと思います。
ーー33歳でアメリカ行きを決断しました。38歳の今でも引退するのが惜しまれるくらいですので、33歳当時のあなたはまだまだ欧州トップレベルでのプレーができたと思いますが決断に迷いはなかったのですか?
ビジャ:まったくありませんでした。いろいろな人に相談はしましたが、最終的には自分で決めたことですし、今振り返っても良い決断だったと思います。あの時は選手としての変化を求めていて、海外でのプレーを希望していました。それまでずっとスペイン国内でプレーしてきましたので、外のリーグ、国を知りたいと考えていました。アメリカ以外にも欧州やアジアのクラブからオファーがあり、いろいろな可能性を考えましたが、最終的には自分でアメリカ行きを決断しました。特に、サッカーだけではなく、世界中の素晴らしい才能が集まっているニューヨークに住めたことで、自分の視野が大きく広がったと感じています。英語力も、ニューヨークシティFCの入団会見の際は褒められたものではありませんでしたが、2年目には問題なく使えるようになれました。おかげで、世界中の人たちとコミュニケーションができますので、本当に世界が広がりました。
ーー改めて、日本サッカーをどのように評価されていますか?
ビジャ:日本に来てから何度か口にしていますが良い意味での驚きがありました。全般的に日本は魅力的なサッカーを展開する国であり、テクニックレベルが非常に高い。結果としてプレーする選手も、試合を観戦するファンもサッカーを楽しむことができています。そして、実際に日本でプレーをし、自分のクラブにも、対戦相手にも、素晴らしいタレントがたくさんいることを肌で理解しました。ヨーロッパのトップレベルクラブで活躍する可能性を秘めた若い選手が、Jリーグにかなりの数いると思います。だからこそ、日本でアカデミーを開校しようという決断に至りました。また、スタジアムに目を向けてもサッカーに対する情熱、クラブに対する愛情を持ったファン、サポーターがたくさんいます。そうした土台のある国ですので、日本サッカーは今後もっと進歩すると確信していますし、少しでもそれに、私たちのDV7が貢献できれば最高だと思っています。
【前編はこちら】ダビド・ビジャ「誇れるものは継続性」W杯得点王の知られざる素顔とルーツ
<了>
J1で最も成功しているのはどのクラブ? 26項目から算出した格付けランキング!
「イニエスタ効果」だけに非ず。Jリーグ観客数「右肩上がり」の明晰な戦略と課題
「プレーモデルに選手を当てはめるのは間違い」レバンテが語るスペインの育成事情
「大人が子どものことを決めすぎる」セルジオ越後と西大伍が論じる日本スポーツの問題
PROFILE
ダビド・ビジャ
1981年12月3日生まれ、スペイン・アストゥリアス州ラングレオ出身。地元スポルティング・ヒホンB(3部リーグ)でプロデビュー。その後スポルティング・ヒホン、サラゴサ、バレンシア、FCバルセロナ、アトレティコ・マドリードと国内クラブを渡り歩く。FCバルセロナ在籍時、2010-11シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ優勝、2010-11、2012-13 シーズンにラ・リーガ優勝。続く2013-14シーズンもアトレティコ・マドリードでラ・リーガ優勝を経験。スペイン代表としてUEFA EURO 2008と2010 FIFAワールドカップ優勝も果たしている(両大会にて得点王も獲得)。2014年、国外移籍を決意しオーストラリアのメルボルン・シティ、アメリカのニューヨーク・シティでの4シーズンを経て、2019シーズン、ヴィッセル神戸に加入。同年11月13日に現役引退を発表。現在は、日本を含む世界7カ国で展開する育成事業「DV7 SOCCER ACADEMY」、米国Queensboro FCのクラブオーナー、代理人事業のDV7マネジメントなどを展開する、DV7グループの創業経営者。3児の父。
この記事をシェア
KEYWORD
#INTERVIEWRANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
なぜ大谷翔平はDH専念でもMVP満票選出を果たせたのか? ハードヒット率、バレル率が示す「結果」と「クオリティ」
2024.11.22Opinion -
大谷翔平のリーグMVP受賞は確実? 「史上初」「○年ぶり」金字塔多数の異次元のシーズンを振り返る
2024.11.21Opinion -
いじめを克服した三刀流サーファー・井上鷹「嫌だったけど、伝えて誰かの未来が開くなら」
2024.11.20Career -
2部降格、ケガでの出遅れ…それでも再び輝き始めた橋岡大樹。ルートン、日本代表で見せつける3−4−2−1への自信
2024.11.12Career -
J2最年長、GK本間幸司が水戸と歩んだ唯一無二のプロ人生。縁がなかったJ1への思い。伝え続けた歴史とクラブ愛
2024.11.08Career -
なぜ日本女子卓球の躍進が止まらないのか? 若き新星が続出する背景と、世界を揺るがした用具の仕様変更
2024.11.08Opinion -
海外での成功はそんなに甘くない。岡崎慎司がプロ目指す若者達に伝える処世術「トップレベルとの距離がわかってない」
2024.11.06Career -
なぜイングランド女子サッカーは観客が増えているのか? スタジアム、ファン、グルメ…フットボール熱の舞台裏
2024.11.05Business -
「レッズとブライトンが試合したらどっちが勝つ?とよく想像する」清家貴子が海外挑戦で驚いた最前線の環境と心の支え
2024.11.05Career -
WSL史上初のデビュー戦ハットトリック。清家貴子がブライトンで目指す即戦力「ゴールを取り続けたい」
2024.11.01Career -
女子サッカー過去最高額を牽引するWSL。長谷川、宮澤、山下、清家…市場価値高める日本人選手の現在地
2024.11.01Opinion -
日本女子テニス界のエース候補、石井さやかと齋藤咲良が繰り広げた激闘。「目指すのは富士山ではなくエベレスト」
2024.10.28Career
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
なぜイングランド女子サッカーは観客が増えているのか? スタジアム、ファン、グルメ…フットボール熱の舞台裏
2024.11.05Business -
アスリートを襲う破産の危機。横領問題で再燃した資金管理問題。「お金の勉強」で未来が変わる?
2024.10.18Business -
最大の不安は「引退後の仕事」。大学生になった金メダリスト髙木菜那がリスキリングで描く「まだ見えない」夢の先
2024.10.16Business -
浦和サポが呆気に取られてブーイングを忘れた伝説の企画「メーカブー誕生祭」。担当者が「間違っていた」と語った意外過ぎる理由
2024.09.04Business -
スポーツ界の課題と向き合い、世界一を目指すヴォレアス北海道。「試合会場でジャンクフードを食べるのは不健全」
2024.08.23Business -
バレーボール最速昇格成し遂げた“SVリーグの異端児”。旭川初のプロスポーツチーム・ヴォレアス北海道の挑戦
2024.08.22Business -
なぜ南米選手権、クラブW杯、北中米W杯がアメリカ開催となったのか? 現地専門家が語る米国の底力
2024.07.03Business -
ハワイがサッカー界の「ラストマーケット」? プロスポーツがない超人気観光地が秘める無限の可能性
2024.07.01Business -
「学校教育にとどまらない、無限の可能性を」スポーツ庁・室伏長官がオープンイノベーションを推進する理由
2024.03.25Business -
なぜDAZNは当時、次なる市場に日本を選んだのか? 当事者が語るJリーグの「DAZN元年」
2024.03.15Business -
Jリーグ開幕から20年を経て泥沼に陥った混迷時代。ビジネスマン村井満が必要とされた理由
2024.03.01Business -
歴代Jチェアマンを振り返ると浮かび上がる村井満の異端。「伏線めいた」川淵三郎との出会い
2024.03.01Business