高学歴サッカー選手&経営者・橋本英郎が考える、自分を信じる力を生む“文武両道”
43歳を迎えた現在も、おこしやす京都ACの選手兼ヘッドコーチとして現役プロサッカー選手としてプレーを続ける橋本英郎。国公立大学卒の高学歴サッカー選手という側面を持ち、サッカースクール&ジュニアユースチーム「プエンテFC」を運営するなど経営者としての顔も持つ。自らを生まれ持った才能はない選手だと位置づけ、サッカーにおいても、さらには学業においても試行錯誤を繰り返してきた橋本が考える理想の文武両道、理想の育成環境とは?
(インタビュー・構成=中林良輔[REAL SPORTS副編集長]、写真提供=橋本英郎)
「僕は勉強のために時には練習を休んできた人間」
――橋本選手はサッカー選手として素晴らしいキャリアを持つ一方、大阪府内屈指の進学校・天王寺高校から一般入試で大阪市立大学へと進んで卒業されており、文武両道のイメージが強いです。橋本選手の考える理想の文武両道とは?
橋本:オンオフが一番大事かなと思っています。勉強をするときは勉強に集中するし、サッカーをやるときはサッカー、遊ぶときは思い切り遊ぶ。そのオンオフの使い分けが、結局は文武両道につながって、相乗効果になってくると思っています。
――サッカーと勉強を両立する時間の使い方も大事になってくると思います。中学、高校時代はガンバ大阪のジュニアユースとユースの一員としてサッカー中心の生活を送るなかで、勉強に対するアプローチは何か工夫していましたか?
橋本:両立は高校の3年間が一番しんどかったです。基本的に「学校の授業を大切にする」という意識で真面目に取り組んでいたので、高校受験はその基礎に加えて一夜漬けでいけたんです。あと、ジュニアユースの中3のときは、「受験があるので」と説明して塾にも行っていました。
なので、僕は勉強のために時には練習を休んできた人間なんですよ。ガンバのユースに入ってからも、高1の始めの頃は平日の練習を休んで英語の塾に行っていたんです。そうするとコーチから「なんで来ないの? そんなのではダメやぞ」と注意されて塾はやめました。
さらに、高校に入ってからは勉強面で予習復習が必要になってきましたし、塾もやめてしまったので大変でした。そのため、工夫としては電車の中で勉強していました。電車での移動時間は、勉強するか、寝るか、栄養をとるか、そのときの状態によって使い分けていましたね。
――大切にされていたのはオンオフの切り替えと、あとは効率性の部分ですね。
橋本:そうですね。僕はいまでも効率をすごく大事にしていて。だから、いい意味でも悪い意味でも「常に効率ばかり考えて、無駄を省こうとするよね」と、いつも妻からも言われています(笑)。この考え方は、中学と高校で培われました。とにかく時間がなかったので、限られた時間をどう使うか常に考えていました。やっぱりそれで集中力も上がっていたし、効率もどんどん上がっていた感覚があります。
受験のためにスポーツをやめさせたけど結局は…、の現実
――小学生年代の子どもでも、中学受験に向けて勉強に集中するためという保護者の判断でサッカーをやめてしまうケースがあります。橋本選手はサッカーと勉強の両方において努力を続けた経験を通して、その後に生きる効率的な思考のベースができたということでしょうか?
橋本:僕の場合は、そうです。だから、まさにそういった相談を保護者から受ける機会も多いのですが、「絶対にやめないほうがいい」とアドバイスしています。スポーツに費やしている頻度や時間を減らしてもいいから、絶対に続けたほうがいい。子ども自身の気持ちを無視してやめさせてしまっては大きなストレスを生みますし、本人がスポーツを続けたいのであれば、スポーツを続けるために勉強も頑張るという考え方に持っていってあげたほうが、勉強とも真剣に向き合えると思うんです。受験のためにスポーツをやめさせたけど、そこから全然学力が伸びなくなって、結局は志望校に行けなかったという失敗談もこれまで何度も聞いてきました。
――サッカーと勉強の両方で妥協しなかった経験は、プロ入り後に何か役に立ったと感じられましたか?
橋本:僕はガンバ大阪ユースで過ごした高校3年間もずっとプロ選手になれるとは考えていませんでしたし、サッカーの経験を生かした推薦入学も視野に、大学進学を第一目標にしていまいた。そのため、高校3年間もサッカーと学業のどちらもおろそかにはしませんでした。その後、ガンバ大阪のトップチームに上がれるとなったときに、「この状態でも上がれるんだったら、サッカーと勉強を両立させてきた時間をサッカー一本に絞ったらプロ選手としてやっていけるんじゃないか」と考えました。周囲から「お前のレベルでは無理だろう」と言われても、自分で自分を信じることができた、といいますか。自信を持ってやるしかないと自然と思えましたね。
両親の影響を受け、兄と姉が筋道をつくった効率的な考え方・生き方
――小・中学生は特に親から受ける影響も大きいと思います。橋本選手のご両親は、サッカーや勉強に対してどういったアプローチでしたか?
橋本:僕の場合は、兄が6つ上で、姉が3つ上なので、2人が筋道をつくってくれていたんです。兄は釜本FCというジュニアユースでサッカーを続けながら、姉はバレーボールで近畿大会に出たり大阪府の選抜に入ったりしながら、2人とも地域でトップレベルの進学校に入ったので。だから僕はそのかたちをなぞっただけなんです。練習と塾のバランスなども含めて上の2人はすごく苦労したと思いますが、僕はその良いところだけ取っていったんです。
――例えば塾に行くという選択肢は、ご両親から「行きなさい」という話があったんですか?
橋本:そうです。兄と姉が行っていたところへ行きなさいという流れです。僕が高3のときは大阪予備校というところに通っていたんですけれど、兄と姉が1年間浪人して行っていたところに僕も行く、というかたちでした。
――高校時代にガンバ大阪ユースのコーチから練習に出ていないことを注意されて塾をやめた際などは、ご両親は「そういうことであればサッカーに集中すればいい」と後押ししてくれたのですか?
橋本:はい。なぜかといったら、兄と姉が浪人しているからなんです。2人とも高校の3年間はスポーツに集中して、一浪して大学に入りました。中学は、3年後の4年目はないじゃないですか。けれど、高校の場合は、3年後の4年目も選択肢に入れることができるんです。その兄と姉の経験があったので、高校時代はサッカーを優先することに対して親の反対はなかったです。「塾をやめる」と言ったときも、「しょうがないよね。それはそうだよね」というリアクションでしたね。
――すごく効率的な考え方ですね。
橋本:そう思います。そういった両親の考え方は、僕にも影響しているんじゃないかな、と。その後、結局僕はプロ入りと同じタイミングで大阪市立大学という公立の大学に入るのですが、1年留年しているんです。プロ生活と大学生活の二足の草鞋自体は、宮本恒靖さんというモデルケースとなる先輩もいましたし、サッカーと学業の両立はそれまでも中学や高校でもずっとしてきたことなのでそれほど苦ではありませんでした。 ただ、大学4年生のときにまだガンバ大阪ではそれほど試合に出られていなくて、親からは「卒業したら就職したほうがいい」と言われていました。だけど僕のなかではまだサッカーを諦められなかったので「1年留年してもう1年頑張ってみる」と親を説得し、その5年目のタイミングで西野(朗/2002年にガンバ大阪監督に就任)さんと出会い、試合に出られるようになりました。そこで「プロ一本で頑張る」と決断して、今に至ります。
トップオブトップではない選手を育成する意義
――現在の橋本選手は現役選手でありながら、サッカースクール&ジュニアユースチーム「プエンテFC」も運営されています。育成年代の指導において一番大切にしていることはどういう部分になりますか?
橋本:指導においてというよりは、僕の中にはがプエンテをつくろうと思った理由大切な理由があります。いわゆるトップオブトップの選手ではなく、ガンバ大阪のアカデミー時代に周りの選手のレベルが高すぎて途方に暮れていた僕みたいな選手は決して少なくないと思うんです。そんな「僕のような選手が小さい頃にこういう指導に出会えたら、将来的にすごい選手に追いつけるきっかけになるんじゃないか」という思いでやり始めたんです。
だから、例えばヴィッセル神戸にしろ、ガンバ大阪にしろ、セレッソ大阪にしろ、そういったJクラブのアカデミーやエリートクラスに入る子はどちらかといえばうちに来てほしくないんです。むしろ、そういったJクラブのセレクションを受けて落選するような子どもたちがうちに来て、将来的にすごい子たちと肩を並べ、そして抜くことができたらいいな、と。「こういうことをやったらすごい子たちに追いつけるかもしれないから、考え方を転換してみよう」「あいつにはかなわないじゃなくて、自分の良いところを見つけたらどう?」とか。そういう一人一人の発見の場にしたいというのが、スクールを始めたきっかけなんです。
――小学生年代においてもやはり頻度や強度の高いトレーニングをこなしている選手ほど伸びていくという印象があります。一方でヨーロッパではジュニア年代はまずは楽しむこと、そして休息の重要性が最優先されています。小学生年代の理想的なサッカー環境について橋本選手のお考えは?
橋本:僕は圧倒的にヨーロッパ型です。小学生の間は絶対にサッカー以外のいろいろな競技を体感してほしいんです。シーズンスポーツ制のアメリカもそうだと思うんですけど、サッカーもやって、バスケもやって、野球もやって……何でもやったほうがいい。それでサッカーよりもそっちのほうが楽しいと思ったら、僕はそっちの競技に行ってもいいと思っているんです。やっぱり本人が夢中になれることが一番大事だと思うので。逆に違う競技をやっても「やっぱりサッカーが楽しいな」と思えたらよりサッカーに夢中になれると思います。そうすると、「練習嫌だな」じゃなくて「今日はどんな練習ができるんだろう?」というスイッチが入ると思うんです。僕が小学生のときは月に2回しかサッカーの練習がなかったんですが、そうすると「もっと練習したい!」という発想になるんです。
ある程度の強さを求めた規律は絶対に必要
――日本では「明日の練習は休みです」と言ったら子どもたちが喜ぶ。けれど、ヨーロッパではみんなが怒るという話はよく耳にします。
橋本:僕のチームは皆が「集まりたい」と思える場でありたいと思っています。そのうえで、うちのスクール・ジュニアユースで育った選手たちが、例えば興國高校のような強豪校に入って、入学当初の実力は一番下かもしれない。でも高校3年時にはBチームまで上り詰めているかもしれない。大学4年間でさらに成長して、J3やJFLに引っかかる選手になるかもしれない。それは中学1年生のときには考えられなかったよね、というような。そういう育成が実現できる立ち位置になれたらと考えています。
――特に小学生年代では、どこまで試合結果に重点を置くのかが難しいと感じます。
橋本:ある程度の強さを求めた規律は絶対に必要です。そこは勝負事なので決して「負けてもいいよ」ではないんです。岡田(武史)さんもよく言っていたんですけれど、ドイツの育成年代の試合を見ていると、親が子どもにいろいろと言っているけれど、終わった後は「よく頑張ったね」と言ってハグをしている、と。でも、日本では試合後にも「お前はなんであのときあれをやらなかったんだ!」という会話をする。本来、子どもが全力を出したのなら、負けたとしても、まずはチャレンジしたことを褒めることが大事だ、と。
でも、単に「楽しくやったらいいよ」と言って、真剣勝負がないままやっていても成長はないと思います。勝負にこだわって戦うということ、競争があるということ、そこは実際に社会に出てからも経験することですから。社会人になって「あいつは使えない」と思われてしまうと仕事が回ってこないわけです。サッカーは育成年代からそういう厳しい競争を経験できる場所でもあるんです。ですから、楽しむなかで厳しさも求めるということはやっていきたいと思っています。
――そのあたりのアプローチは小学生年代のジュニアと中学生年代のジュニアユースで違ってくるものでしょうか?
橋本:中学生には必要な指摘は厳しく伝えています。「点を取られたら取り返しにいく姿勢を見せてよ」とか、「ミスをして笑っているんじゃないよ」とか。ただ、小学生に対してはもう少し考えなければいけないかもしれません。特に低学年には「楽しく」という要素を増やす必要があるので、さじ加減は本当に難しいと思います。勝負にこだわってほしいところはあるけれど、中学生とはまた違ったアプローチになるかもしれないです。
――小学生年代は、例えば公式戦における子どもたちの出場時間のバランスも難しい問題です。
橋本:僕は小学生年代では意図的に選手の出場時間を調整してしまうと思います。「この選手をずっと使ったら勝てるけれど、あえてベンチに下げよう」とか。その子の親からしたら「なんでそんなことをするの?」と思うことでも、小学生にとってはいい経験になるんじゃないかな、とは思います。より多くの子どもたちに試合の経験を積ませるというのはもちろん、交代させられた選手にとってもその悔しさが次に生きるんじゃないかなと思ったりもするので。
――そしてジュニアユース以降ではある程度厳しさも教えていくわけですね。
橋本:そうですね。そのうえで、学生の本分は勉強でもあるので。プエンテFCジュニアユースの選手たちには、授業中や空いている時間を大切に勉強もおろそかにしないように伝えています。これからも私の経験を一人でも多くの子どもたちに還元し、サッカー面も学業面も手放さず、多くの可能性に満ちた魅力的な選手たちをたくさん輩出していきたいですね。
<了>
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[PROFILE]
橋本英郎(はしもと・ひでお)
1979年5月21日生まれ、大阪府出身。関西サッカーリーグ1部・おこしやす京都AC所属。ポジションはMF。ガンバ大阪のアカデミーを経て、1998年にトップ昇格。練習生からプロ契約を勝ち取り、不動のボランチとしてJ1初制覇、アジア制覇などガンバ大阪の黄金期を支えた。その後、2012年にヴィッセル神戸、2015年にセレッソ大阪、2016年にAC長野パルセイロ、2017年に東京ヴェルディ、2019年にFC今治に移籍してプレーし、2022年おこしやす京都ACに選手兼ヘッドコーチとして加入。日本代表としては国際Aマッチ・15試合に出場。現在は現役選手としてプレーする傍ら、Jリーグ解説者、サッカースクール・チーム運営など幅広く活動中。
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