「僕のレスリングは絶対誰にも真似できない」金以上に輝く銀メダル獲得の高谷大地、感謝のレスリングは続く

Career
2025.03.07

パリ五輪・銀メダリストの高谷大地。レスリング男子フリースタイル74kg級ファイナルでウズベキスタンのラザムベクサラムベコビッチ・ジャマロフに敗れた後、「スポーツは勝ち負け以上の価値がある」と語り、海外メディアから大きな称賛を受けた。パリ五輪閉幕から7カ月経った現在、彼は当時をどのように振り返り、いまをどのように生きているのか?

(文・本文写真=布施鋼治、トップ写真=AP/アフロ)

※前編はこちら

承認欲求度が著しく低い自分との向き合い方

実兄はロンドン大会から3大会連続でオリンピック出場を果たした“タックル王子”こと高谷惣亮(現・拓殖大レスリング部監督)。そんな兄の背中を追いかけるようにレスリングを始めた高谷大地は兄のような高い運動能力もなく、ただ持続力だけが取り柄の選手だった。

「どうやったら、兄貴みたいに前向きに物事を考えることができるのだろう?」

そんな疑問を抱いた高谷に、自衛隊体育学校の中でいつも相談に乗っていた塚田陽一トレーナーはメンタル専門のトレーナーの宮本義信を紹介した。「このままじゃダメだと思う。どうしたらいいですか?」と切り出した高谷に対して、宮本は答えた。

「それも、あなたじゃないの?」

全身に衝撃が走った。かつて塚田に「自分をもっと作りなさい」と指摘されたときと同様にカウンターパンチを見舞われた気がした。

「自分には誰かに変えてもらいたいという潜在意識があった。そのときは自分を変えるための魔法の言葉があるとも思っていたけど、そうじゃなかった。僕は僕ということを受け入れてしまえばいいだけの話だった」

兄・惣亮のようにオリンピックでメダルを狙えるような選手になりたい。そう思う一方で、高谷は「特に自分は何かをなせる人間でない」と承認欲求度は著しく低い。

その旨も伝えると、宮本は「それもあなただから。そういうあなたを受け入れたうえで、逆にそう思ってしまったときにどのような行動をしたほうがいいかを考えましょう」と進言した。

確かに卑屈な自分に陥ると、高谷はいつも「直さなきゃ。直さなきゃ」と焦っていた。しかし、直すのではなく、そういうふうに一度思ったなら、なぜそういうふうに思ってしまったのかという思考を直すほうが早いことに気づいたのだ。

理想とするレスリングをジグソーパズルに例えるなら、その発見は埋まっていたと思いながら実は一つ抜け落ちていた1ピースを見つけたことに等しかった。

「僕のレスリングは絶対誰にも真似できない」

宮本から読書を薦められると、高谷はむさぼるように本を読み始めた。心に最初に引っかかった本はアルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」を解説した自己啓発書『嫌われる勇気』だった。

「その本には人は人、自分は自分ということがハッキリと書かれてありました」

効果は如実に現れる。2021年12月の全日本選手権ではラスト10秒から逆転勝利を収め、74kg級で初優勝を果たしたのだ。

「『こういう相手にはこうしよう』と具体的に考えるようになってからは、なんとなく物事がすべてうまくいくようになりました」

パリ五輪で準優勝した原動力は「テクニックの引き出しが多くなった」「飛躍的に持久力が増した」といったことが理由ではない。高谷はメダルまで到達できた最大の要因を人間力の向上と捉えている。「パリに向け、特別な技術や筋力のトレーニングなど一切していない。やっていたことは、レスラーなら誰もが知っているような一番ベーシックなことをただ淡々と続けていただけです」。でも、と高谷は一言付け加えた。

「一つ言えるのは、僕のレスリングは絶対誰にも真似できないということですね」

真似できない?

「変な話、パリでは脳をコントロールしていたので。ということは身体をコントロールするということにもなる。どういうふうに手を動かして、どういうふうに力を入れたら、どうなるのか。自分はどこが得意で、どこが苦手なのか。そういうことがわかっていれば、相手の動きも読める。そういうふうに頭を使って練習するというやり方のおかげで、僕は(パリ五輪前に)急激に伸びたんじゃないかと思いますね」

パリ五輪前、異例の調整方法、その真意は…

2023年秋の世界選手権で高谷は銅メダルを獲得。規定によりパリ五輪への出場を決めたが、そのあとの調整方法は異例だった。他の日本代表は調整試合として積極的に国際試合に出ていたが、高谷は一つも前哨戦を挟むことなく本番に臨んだ。

「(減量をしなければならないので)大会のたびに身体を小さくしたりするのがイヤだった。その代わりオリンピックまでの期間を逆算して、『ちゃんと身体を作ろう』と心に決めていました」

調整試合に挑む他の日本代表を見て、うらやましいと思うことは一度もなかった。

「逆にありがたかったですね。活躍してくれたら活躍してくれるほど、自分の影は薄まる。どちらかといえば、大会前は目立ちたくなかった。目立てば、思ったように動けなくなってしまうことが過去にあったので」

とはいえ、高谷も人の子。決戦当日になると、オリンピックに潜む魔物にとりつかれそうになった。「アップしていると、全然動けない。緊張しているし、力が入らない。全部ルーティン通りにやっていたけど、その感覚は明らかにおかしかった」。

思わず入場直前にはセコンドについてくれた米満達弘コーチに「めちゃくちゃ緊張しますね」とこぼした。2012年のロンドン五輪では日本の男子レスラーとして24年ぶりに金メダルを獲得している米満は「大丈夫。緊張しているのではなく、身体が闘う準備をしているだけだから」とフォローしてくれた。「そうだよな」と気持ちを和らげようと努めた。

初戦を迎えた高谷は入場ゲート前に立ち、自分の名前がアナウンスされるのを待った。タイミングを見計らいゲートを一歩踏み出してライトアップされた瞬間、大歓声が耳に入ってきた。

「まるでドラマやアニメのワンシーンを見ているようでした。客席に妻(芙早乃さん)や高校時代の恩師(吉岡治さん)の姿を発見したときには感動しました」

その瞬間、高谷は素直に「自分はなんて素晴らしい舞台に立っているんだろうか」と心の奥底から感動した。そうすると、自然と腹の奥底から声が出た。マットに上がる直前監督やコーチと握手をすると、素の自分が降りてきたことがわかった。もう肝は座っていた。

「今日の俺は大丈夫。絶対いける」

武者震いもしたが、それは臨戦態勢に入るためのスイッチだった。心の中で高谷は「俺はこれだけたくさんの人に応援され、支えられている。あとは感謝のレスリングを見せるだけだ」と言い聞かせた。

現役を続行し、感謝のレスリングは続く

案の定、練習とほぼ同じパフォーマンスを発揮しながら高谷は順調に勝ち上がっていく。

最大のハイライトは過去4度も世界王者になっているカイル ダグラス・デイク(米国)との準決勝。昨年の世界選手権でも準決勝で辛酸を舐めさせられた相手だ。最初は劣勢だった。

「わかっていた技に対処できなくて先制点を奪われたときには、ヤバいと思いました。でも、そうした矢先に日本語で『大地、頑張れ』という声が耳に入ってきた。その場面はいまでも覚えているけど、自然と涙が出てきて、背中をドンと押されている気になった」

最後まで攻め続け20−12で宿敵デイクを撃破するや、高谷は電話で芙早乃さんから「最後は笑って終えられたらいいね」という言葉をかけられていた。芙早乃さんも元レスラー。国内の大会では決勝を伊調馨と争ったこともあるので、レスラーの気持ちはよくわかる。

デイクに雪辱したうえで臨んだ決勝ではまさかのフォール負けを喫したが、全力を出し切ったうえでの結果だったので悔いはなかった。笑うことができたのはそのせいだ。高谷にとっては金以上に輝く銀メダルだった。

現地で以下のコメントを残した高谷を海外メディアは称賛した。

「今日(決勝)はフォール負けだったが、スポーツは勝ち負けだけじゃなくて、それ以上の価値がある。盛り上がって讃え合う素晴らしい世界であることを少しでも感じてもらえたらうれしい」

決勝後は観客席へとなだれ込み、芙早乃さんと額を付き合わせながら喜びを分かち合った。

「結果は銀メダルだったけど、自分の中では割と最高到達点なのかなと思う。勝つこと以外の道も切り開くことができたし」

去る2月26日(現地時間)、高谷はアメリカ・アイオア州で行われたワンマッチ大会でマットに復帰した。今後は現役を続行するとともに、全国を行脚して子どもたちにレスリングの魅力を伝えたいという青写真を描く。

ファンとの交流イベントでは自ら動いて他のメダリストたちを束ねることも多い。

「パリの代表の中では僕が最年長。みんな『大地さんがこれだけ動いてくれるから本当にありがたい』と言ってくれる。その声が自分が動く原動力にもなる」

最高の銀メダリストは忙しい。アメリカの試合が終わると、今度はオーストラリアに飛び、現地でセミナーを開催した。感謝のレスリングは続いている。

<了/文中敬称略>

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[PROFILE]
高谷大地(たかたに・だいち)
1994年11月22日生まれ、京都府出身。レスリング選手。拓殖大学卒業後、自衛隊体育学校に所属。2019年に65kg級から74kg級に変更。2023年の世界選手権で銅メダル獲得。2024年パリ五輪・レスリング男子フリースタイル74kg級では銀メダルを獲得した。兄は3大会連続でオリンピックに出場した高谷惣亮。

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