激化する「日本代表ボランチ」争い。柴崎岳が見せ始めた“ある変化”と危機感
10代のころから“天才”と呼ばれ、日本代表の未来を嘱望(しょくぼう)される存在だった。だがそれからの道のりは、決して平たんではなかった。異国へ渡り、味わったことのない苦しみの日々も経験した。それでもすべてを成長の糧へと変えた。気が付けば、プロサッカー選手になって10年がたった。2年後、30歳で迎えるFIFAワールドカップの舞台へ、柴崎岳に芽生え始めた変化とは――。
(文=藤江直人、写真=Getty Images)
森保ジャパン最多・最長の出場を誇る柴崎岳に芽生え始めた……
中東カタールの地を目指して船出してから2年あまり。MF南野拓実(リバプール)のPKで辛勝した、先のパナマ代表戦で31試合を戦い終えた森保ジャパンで、ボランチの柴崎岳(レガネス)は最多となる26試合に出場。プレー時間も2007分とただ一人、2000分の大台を超えている。
出場試合数の2位が南野の23試合、プレー時間の2位がDF冨安健洋(ボローニャ)の1711分だから、いかに柴崎の数字が突出しているかがわかる。しかも、柴崎が出場していない5試合のうち、国内組だけで臨んだ昨年末のEAFF E-1サッカー選手権など4試合が招集外だった。
つまり、柴崎が招集された27試合のうち、ターンオーバーが採用された、ウズベキスタン代表とのアジアカップ2019のグループステージ第3戦を除いたすべてで、22度を数える先発を含めてピッチに立ったことになる。27試合の総プレー時間、2430分に占める割合は実に82.6%に達する。
26試合のなかには、東京五輪世代を中心とした陣容で臨んだ昨夏のコパアメリカの3試合、昨年11月に敵地キルギスから、キャプテンの吉田麻也(サンプドリア)や南野ら9人の欧州組をそれぞれの所属クラブに戻した陣容で臨んだベネズエラ代表との国際親善試合も含まれる。
東京五輪に臨む男子代表も率いる森保一監督の起用法からは、コパアメリカは柴崎を五輪本番でのオーバーエイジ候補に挙げているプランが、ベネズエラ戦では当時所属していたデポルティーボ・ラ・コルーニャで出場機会を失っていた柴崎を再生させたい狙いがそれぞれ伝わってくる。
フル代表と五輪代表の両方で日本の中心に据えたい、という指揮官の期待が伝わっていたのだろう。パナソニックスタジアム吹田で行われたベネズエラ戦を前にして、柴崎はこんな言葉を残している。
「プレーの安定感を含めて普通のプレーをするのではなく、周りへの影響や立場的に考えても、この代表チームではある程度突出したパフォーマンスを常に見せないといけない。これから起こりうるいろいろな環境に対応していくためにも、精神的な部分を個人的には積み重ねていきたい」
必ずしもポゼッションが大事だとは思っていない。もっと大事なのは……
柴崎が言及した「いろいろな環境」には、当然ながら新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって、ベネズエラ戦を最後に代表活動が長期に及ぶ休止を余儀なくされる事態は含まれていなかった。
世界各国のリーグ戦も中断や打ち切りなどに見舞われたなかで、柴崎は3部へ降格したデポルティーボから、1年でのラ・リーガ1部復帰を目指すレガネスへ移籍。今年初の代表活動となった10月のオランダ遠征でカメルーン、コートジボワール両代表戦に先発フル出場し、2度目にして年内最後の活動となる11月のオーストリア遠征にも招集された。
オランダ遠征を振り返れば、2試合連続で先発したのは、他には吉田、冨安、そして東京五輪世代の中山雄太(ズヴォレ)しかいない。森保監督から寄せられる、変わらぬ信頼感を感じていたからか、パナマ戦を前にしたオンライン取材で珍しく、柴崎は代表の具体的な戦い方に言及している。
「相手が強豪国であろうがどんな国であろうが、個人的にはボールを必ず保持していきたい、あるいは保持する時間を長くしていきたいとはあまり考えていません。すべては勝利するためであって、そのときの試合状況であるとか、時間帯などによって変わっていくものだと思っているので」
メディアから「強豪国を相手にしても主導権を握り、ボールも握っていくためにレベルアップを果たしていくなかで、ボランチとしてどのように考えているのか」と問われた直後のひとコマだった。
眼鏡姿で登場した柴崎は「ボールを持っている方が優勢という考え方に基づくと、そういうアイデアになると思いますけど」と断りを入れた上で、胸中に抱いてきた持論を展開している。
「ボールを持っていなくても勝利する可能性が高くなる、試合全体を通して見たときにボールを放棄した方が得点する可能性が高くなることもあると個人的には考えています。こう言ってしまうとポゼッションを軽視しているように捉えられるかもしれないですけど、決してそう言っているわけではなく、あくまでも相手との力関係を含めて状況に応じながら。常にこういった試合をする、というスタイルを明確に持つことを、個人的にはあまりしたくないかな、と」
自分たちのサッカーにとらわれて、全体像を見られないのは違う
代表における確固たるスタイルで思い起こされるのが、一勝もできずにグループステージ敗退を喫した2014年のブラジルワールドカップだ。本田圭佑や香川真司らが自信満々に公言していた、ボールポゼッションを高める「自分たちのサッカー」が瓦解(がかい)する状況に対応できる修正力がなかった。
当時は青森山田高から鹿島アントラーズへ加入して4年目で、日本から代表の戦いを見つめていた柴崎の脳裏にも、ザックジャパンが喫した惨敗は色濃く刻まれたのだろう。パナマ戦前のオンライン取材では6年前をほうふつとさせ、アンチテーゼにも聞こえる言葉も発している。
「常に自分たちのサッカーというものを掲げてやってきた、過去の日本代表というものもあります。それ(自分たちのサッカー)にとらわれて試合の全体像を見られないのであれば、それはちょっと違った部分になってくるかなと個人的には思っているので。こういったサッカーをしていこうと、テーマ的にはチームとして持っているかもしれないですけど、それはあくまでもアイデアであって、大事なことは勝利するためにその場、その場で何をしてくのか、だと思っています」
初の海外移籍で苦しんだ日々も、成長の糧になった
2013年の東アジアカップ(現EAFF E-1サッカー選手権)に招集されながら、体調不良で辞退を余儀なくされた柴崎は、アルベルト・ザッケローニ体制の日本代表に割り込むチャンスを逸している。待ち焦がれたフル代表デビューは22歳。ブラジル大会後に発足したハビエル・アギーレ体制まで待たなければいけなかった。
デビュー戦だった2014年9月のベネズエラ戦で初ゴールをゲット。居場所を築き上げたかに思えた直後の2015年2月に、ラ・リーガ1部のサラゴサ監督時代に八百長に関与していたとして、地元検察に起訴されたアギーレ氏が日本代表監督を電撃的に解任された。
後任に就いたヴァヒド・ハリルホジッチ監督のもとでも招集された柴崎だったが、2015年10月のイラン代表との国際親善試合を最後に、代表における軌跡に空白期間が生じてしまう。復帰を果たしたのは2017年8月。代表へ抱いてきた思いの丈を、柴崎はこんな言葉に凝縮させている。
「運命というか、ベストを尽くして自分なりにサッカー人生を歩んでいれば、必ず縁がある場所だと思ってきました。ただ、自分が選ばれたいと思ってもコントロールできるものでもない。それでもこうして選ばれたのは認められた証拠だし、選ばれたからには果たすべき責任があると思っています」
代表から遠ざかっている間に、プレーする環境を自分の意思で変えた。神様ジーコから紡がれてきたアントラーズの「10番」を1年で返上。2016シーズンのJ1と天皇杯の二冠制覇を置き土産に念願だった海外移籍を果たしたが、ラ・リーガ2部のテネリフェでは新たな環境への適応に苦しんだ。
「すべての環境が日本と違うので苦しいこともありましたけど、それらは自分を成長させてくれるものだと思っていました。慣れちゃえば、日本と違った環境でもいまは楽しく感じられます」
テネリフェの全体練習に参加するまで1カ月、ラ・リーガ2部でデビューを果たすまでにさらに半月ほどの時間を要した。ホテルの一室から外へ出られなかった日々も含めて、言葉や食事を含めた文化や風習の違いをすべて乗り越えるまでの悪戦苦闘が、成長への糧になったと振り返ったこともある。
「海外でプレーしている日本人選手はあらためてすごいと感じましたし、尊敬もしています。そういったタフな環境というか、異国の地でプレーすること自体が大変なことというのは、実際に行ってみないとなかなか理解できないところがあるとずっと思ってきました。それらをわかったことで、選手としても人間としても、こうやって大きくなっていくんだと感じています」
僕がやりたいポジションは“そこ”
テネリフェを1部へ導くことはできなかったが、昇格プレーオフ決勝で苦杯をなめさせられたヘタフェに見初められた。2017-18シーズンから所属した新天地では「10番」を背負い、2018年4月に解任されたハリルホジッチ氏の後を継いだ西野朗監督のもとでも代表での軌跡を紡ぎ続けた。
そして念願のワールドカップ代表に名前を連ね、ロシアの地へ乗り込む直前の2018年5月28日。26回目の誕生日を迎えた柴崎は、万感の思いを込めながらこんな言葉を残している。
「高校を卒業してから8年ですか。プロになってから、時間が流れるのがすごく早いと感じています。もしかすると引退するまでに、こういった気持ちをまた抱くかもしれない。だからこそ悔いのないように、これからも自分らしくサッカー人生を歩んでいきたい」
ロシア大会での活躍ぶりは、あらためて説明するまでもないだろう。全4試合に先発し、中盤の底からのロングパスで、セネガル代表とのグループステージ第2戦の乾貴士の同点ゴールの起点になり、ベルギー代表とのラウンド16では原口元気の先制ゴールをアシストした。
一方でヘタフェにおいては左足中足骨の骨折で長期離脱を強いられた1年目に続いて、ロシア大会後に臨んだ2018-19シーズンでは実質的な構想外に置かれた。森保ジャパンに初めて招集された2018年10月には「難しいシーズンを送っている」と現状を認めた上で、柴崎は努めて前を向いている。
「試合に関わるために改善しなければいけない部分もあると自分でも理解しているつもりですけど、同時に自分の強みも忘れることなく、バランスを見ながらプレーしていきたい。自分自身に対する信頼という部分は揺るがないので、プロとして地道に、腐らずにやっていくしかない」
ヘタフェでピッチに立つときには、ボランチではなくサイドハーフやトップ下、場合によってはツートップの一角だった。そうした状況も踏まえて、柴崎は自らが歩む道をより鮮明に描いていた。
「個人的には僕はボランチの選手だと思っていますし、僕のやりたいポジションもそこなので。それでも、ワールドカップとかそれ以前のパフォーマンスは、個人的にはもう過去のことだと思っています。すべてを忘れて、代表選手としての立ち位置を一から築いていかなければいけない」
激化するボランチのポジション争いは、自らが望んでいたこと
その後の森保ジャパンの出場試合数とプレー時間で群を抜く存在になっても、2年前に抱いた危機感にも通じる誓いは変わらない。そしていま、コンビを組むもう一人のボランチとして遠藤航(シュトゥットガルト)が一気に存在感を高め、橋本拳人も新天地ロストフで成長を期している。
コロナ禍で今年の活動には招集されなかった国内組を見渡しても、ワールドカップ経験のある山口蛍(ヴィッセル神戸)、代表経験のある井手口陽介(ガンバ大阪)や守田英正、東京五輪世代の田中碧(共に川崎フロンターレ)らがチャンスをうかがっている。多士済々と表現してもいいボランチの活況ぶりは、実は森保ジャパンが船出した直後に柴崎自身が望んでいた状況でもあった。
「さまざまな状況に高いレベルで対応できる、いろいろなタイプの選手が必要というところでいえば、いまの時期から競争力のある日本代表をつくり上げていかないといけない。ワールドカップのメンバーは23人ですけど、誰が出ても変わらないような、30人くらいのチームをつくり上げていかないと。交代選手も含めて一丸となって戦わないと、ベスト16は突破できないのかな、と思っているので」
30歳で迎えるW杯へ。クールな仮面の内側に脈打つ熱き情熱
パナマ戦でも先発した柴崎は、オランダ遠征から共に全3試合に先発している吉田とともに、あらためて指揮官の中心に位置づけられていることがわかった。もっとも、たとえ数字に後押しされているとしても、代表チームにおいては聖域が存在するとは他ならぬ柴崎自身が考えていない。
だからこそボランチの群雄割拠状態を歓迎し、自分自身もより高みを目指していく。一つのスタイルに固執しない、状況によってどんどん変わるカメレオンのような代表の戦い方に言及したのは、より高まった自覚に導かれているからに他ならない。そして、その視線は日本時間18日午前5時にキックオフを迎えるFIFAランキング11位の強豪、メキシコ代表との国際親善試合へ向けられている。
「なかなかこういうマッチメークはできない。この試合をチームとしてどのように捉えていくのか。チームとして一つの指標になるかな、と思っています」
戦いの舞台をスペインに移して久しいいまも、代表での通算出場試合数が節目の「50」に迫っても、アントラーズ時代から被り続けるクールな仮面を剥ぎ取る機会はなかなか訪れない。もっとも、冷静沈着なトーンを介して残してきた言葉の数々をあらためて振り返れば、仮面の内側に脈打つ熱き血潮が伝わってくる。そういえば、代表に初招集されたときに柴崎はこんな思いを明かしていた。
「次のワールドカップは26歳。すごくいい年齢で迎えられると思っているので、最初から代表に選ばれ続けて、ずっと入っていたい」
年齢の部分を30歳に置き換えても十分に意味は通じる。カタールワールドカップまであと2年。現状に満足することなく、飽くなき向上心と危機感とを胸中に同居させ、サッカー人生で味わわされた艱難辛苦(かんなんしんく)のすべてを成長への糧に転じさせながら、柴崎は己が信じた道を突き進んでいく。
<了>
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