内田篤人が明かす、32歳の本音「サッカー選手として、終わる年齢ではない」

Opinion
2020.04.09

8年間離れた古巣・鹿島アントラーズに復帰して3シーズン目。内田篤人は、無冠に終わった昨シーズンの悔しさを抱えながら、今、どのようにサッカーと向き合っているのか。数々の試練を乗り越えながら、トップレベルで走り続けてきた彼が、胸のうちを明かしてくれた――。

(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=大竹大也)

「プロ選手になるためというより、サッカーが楽しくてやっていた」

内田選手は、いつからサッカーを始めたのですか?

内田:小学1年生の時に、地元のサッカー少年団で始めました。

少年団での練習以外にも練習はしていたんですか?

内田:学校の昼休みや放課後、みんなでサッカーをやるくらいでした。サッカー選手になるためというよりは、サッカーが楽しくてやっていたし、「サッカー選手になる」という夢はありましたけど、みんなが子どもの頃思っているのと同じような感覚でやっていましたね。

特別なわけでなく、どこにでもいるサッカー少年と同じような感じだったのですね。

内田:そうです、中学までは。それが高校の時にサッカー強豪校の清水東高校に入ってから、大きく変わりました。

それから3年後に、鹿島アントラーズ加入直後2006年の開幕戦で、クラブ史上初となる高卒ルーキーでのいきなりのスタメン出場って、すごいことですよね。

内田:運も、タイミングもあったと思います。

日本代表選手の中でも、高校のタイミングでスイッチが入ったという選手はなかなかいないです。

内田:やっぱりみんな、小学校の時に全国大会に出ていたりするんですよね。僕は、高校生の時も(鹿島から)オファーがくるまでは大学に行くつもりでしたし。清水東高校では、入学してすぐに入りたい学部と大学の希望を書き出すんです。でも、僕はそんなこと考えていなくて、適当に隣の同級生のを見て、早稲田とか書いて。それでその時に「俺って本気でプロサッカー選手になりたいって思っているわけじゃないんだ」って思いました。そこで貫いている人なら、「俺、鹿島アントラーズに入ります」とか、「Jリーガーになります」って書くと思うんですけど。

大学へ行ったとしても、サッカー部に入ろうと思っていたのですか?

内田:そうですね。サッカーをやれればどこの大学でも行けるよ、とは言われてました。

つまり、サッカー推薦ということですね。

内田:そうです。U-16代表に招集されて月1で海外遠征や練習に行っていたので、帰ってくる頃には教科書が変わっていたりして、勉強についていけなかったんですよね、高校生の時は。だから勉強で大学に入るのは無理だと思いました。同級生で、センター試験を受けずに就職したのは僕だけです。

Jリーガーになることを「就職した」という響き、新鮮でいいですね(笑)。高校でスイッチが変わったというのは、やっぱり強豪校だったからですか?

内田:そうですね。(全国高校サッカー)選手権に出たいという生徒たちが集まってくる高校でしたし、サッカーの基本から、厳しさまで学びましたね。

清水東のサッカー部に入った当初は、レベル的にはどうだったのですか?

内田:1年生の選手権の時に、ベンチ入りしていたくらいですね。僕は足が速かったので、先生が途中出場で使ってくれて。

でも実際、高校からいきなり厳しい環境でサッカーをやるのって、大変ですよね。

内田:そうですね。でも、自分でその環境を望んで、親も朝4時に起きてお弁当を作ってくれて、始発に乗って通っていましたから。やめたいと思ったことはないし、仲間に恵まれていたので、このメンバーとずっとサッカーをやれたらなって思っていました。1年生の時は、3年生の先輩と口きけなかったですけど、怖くて。

そういう時代だったのですね。

内田:はい。説教とかもありました。でも、そういう経験をしている部活出身の選手のほうが、社会に出てから根性あるとは思ってます。

中田英寿さんにインタビューをした時も、自分の会社で採用する際、根性があるから体育会系の人がやっぱりいいって言っていました。

内田:なんだかんだ、ユース出身のほうが技術はあるのでアンダー世代は多いですけど、生き残るのはやっぱり、部活上がりの選手だと思います。

清水東では居残り練習をやったと聞きました。

内田:通学にめちゃめちゃ時間がかかるので、たまにしか参加できませんでしたが。

その練習内容は、どんな感じだったのですか?

内田:すごいですよ、本当に。コーナーからコーナーまで走って、先生が真ん中ぐらいにボールを出すので、それにギリギリ追いつくのに必死になる……。

(笑)。内田選手のキャラクター的には走力系ではないのに、走るスタイルをやれるようになったのは、その時のおかげなんですね。

内田:そうだと思います。「ケンタリング(右足から繰り出される正確なクロスボール)」といって(清水東サッカー部OBである)長谷川健太さんのセンタリングを真似しろって言われて。ひたすらケンタリングの真似していました。

ケンタリング(笑)。たしかに、内田選手がプロになった当初のプレースタイルはそんな感じでしたね。

内田:そうなんですよ。

「早生まれ」が運を引き寄せた、U-16入りからサッカー人生が一変

でも、居残り練習や個人トレーニングをあまりしていなかった中で、代表レベルで活躍できる技術が身についた理由は何だと思いますか?

内田:U -16に入ったことがきっかけだと思います。僕、たまたま早生まれなので(編集部注:2004年にAFC U-16選手権に向けて日本サッカー協会が主催した早生まれの選手を対象としたセレクションがあった)、ラッキーだったんです。高校のトレーナーがU -16のトレーナーを兼任していて、その人が「サイドでめちゃくちゃ足速いヤツがいる」って推してくれたんですよ。

すごいことですよね。

内田:そこから、みんなに「ウッチー、なんかパススピード上がってない?」って言われるようになりました。

トップレベルを経験して、意識が変わったと。

内田:県選抜も通り越して、急にポンってU-16に入っちゃったので。そこから良い仲間や良い指導者にも巡り合えて、本当にありがたいです。

そこからプロになり、どうやっていろいろなものを身につけていったのですか?

内田:例えば、監督の反応をよく見るとか。こういう時にこういうプレーをしたら怒られるんだなとか、逆に褒められるところを意識したり。

内田選手は、観察力があるなと感じます。

内田:自分で言うのもなんですけど、吸収は早いほうだと思います。ドイツへ行った時も、言葉はわからないけれど、同じく監督のことをよく見ていました。

これまでのサッカー人生において、挫折や試練を感じた時期はいつ?

内田:ケガをした時ももちろんそうですけれど、体調不良やボールにあまり触れていなかったプロ2、3年目くらいの時かな。

ケガとの闘いは長かったですよね。ケガをしている間、不安もある中で前を向いてやるために、どういう気持ちで乗り越えてきたのですか?

内田:変な話、仕事って捉えると、契約をしている以上はやらなきゃいけない。自分の体の感覚というのはだんだんわかってくるので、自分の中では引退はそう遠くないなと。

内田選手は、試合中に緊張しているような印象がまったくないですが、緊張することはあるんですか?

内田:昔はしていましたけど、たぶん場慣れなんでしょうね。今はないです。それを見せないというのも、プロとして大事だというのもあると思います。岩政(大樹)さんとか緊張しいで、恥ずかしがり屋だし、緊張しているのが隣で見ていてよくわかります(笑)。そういうところが僕から見ても、あれだけいろいろ教えてもらったけどかわいいなと(笑)。

監督目線でチームを見るようになった

「引退はそう遠くない」と思うようになってから、見える景色の変化を感じたりはしますか?内田:今シーズンが終わる時に、クラブから来年契約延長しないよって言われても全然不思議には思いません。そういう中で、今若い選手がけっこう入ってきましたけど、そういう選手と練習するのがすごく楽しくて。

そうなんですね。

内田:例えば、僕が「あそこ見えてた?」と言って「見えてないです」とか、「見えてたけど、蹴れないもんな」みたいな話になって。「動けるヤツいいよなー」と言っている僕と、「見えている人いいなー」と言ってくる若手、そういうバランスが、けっこう面白いなと。今までは自分が試合に出るために、というのが第一でしたけど、「今の練習どんな感じなんだろう?」って監督目線で考えたり、「なんでアイツと交代したのか」と監督に聞きに行ったり。

サッカーとの向き合い方が少しずつ変化してきたと。

内田:少しずつ。

あと、鹿島に戻ってきてから、よりチームのことを考えるようになったように思えます。

内田:アイツはこういう性格だからとか、外国人はこうだからとか、バランスは考えるようになりましたね。

ネイマールには苦手意識がない

内田選手がこれまで対戦した中で、すごいなと思った選手は?

内田:その質問はよく聞かれるんですけど、ネイマールとか(クリスティアーノ・)ロナウドとか答えたら普通なので、イスコや、(エデン・)アザール、ラウル(・ゴンサレス)とか。あとは一緒にプレーしてた(クラース・ヤン・)フンテラールも。

ネイマールやロナウドと対峙した時には、どうやって止めに行くんですか?

内田:例えばネイマールは、適当にぱぱって遊んで、仕掛ける時は結局縦一本じゃないですか。FIFAコンフェデレーションズカップ2013の時にもネイマールと対戦したんですけど(2013年6月15日/第1ステージ グループA ブラジル対日本)、僕、ほぼ負けてなかったと思うんですよね。自分で言うのもなんですけど。ネイマールが試合開始3分で1点目をボーンって決めましたけど、その試合に関しては、勝率では勝っていたんじゃないかと。

ネイマールに関しては、苦手意識がないということですね。

内田:あまりないですね……って言ったら、アホかって思われるかもしれませんけど(笑)。

いえいえ、そんなことないですよ。

内田:ただ、ロナウドを止めるのは大変でした。日本人が真似するとしたら、イスコやアザールのように、相手を見ながらボールを扱える選手になら、なれるかもしれないですね。

でも、内田選手たちがつないできたように、日本人選手がヨーロッパのトップリーグでプレーするようになり、ついには南野(拓実)選手がヨーロッパ最高峰クラブのリヴァプールで活躍するような道も開かれてきましたね。

内田:ただ、活躍し続けないと意味がないので。

そうですね。そこで主力になったら、本当にすごい。

内田:南野選手がもし(モハメド・)サラーとかからポジションを奪って、4、5年リヴァプールでスタメンを張れるようになったら、本当にすごいと思います。

そう考えると、海外チームの顔の一人になれるっていうのは、すごく大事ですよね。

内田:たぶん、それが本物かなと。変な話、海外で2、3年活躍することはできると思う。そう考えたら、長谷部(誠)さん、あの人すげーって思うんですよ。移籍して、今はフランクフルトにいますけど、評価は安定しているし。

しかも、途中で監督が代わったりして試合になかなか出られない時期が何度もあった中で、いつも乗り越えていますよね。やっぱり長谷部選手は、内田選手にとっても特別な存在なんですね。

内田:あの人は、すごいです。

「引退後は、監督も強化部もやりたい」

先ほど引退という言葉が出ましたが、引退後は、どんなビジョンを持っていますか?

内田:ざっくりですけど、最近、監督をやってみたいなってすごく思います。強化部もやってみたい。

「チームを強くする」というところに、目線が行ってるんですね。

内田:そうなんですよ。コーチの立場で、強化部まで全部やらせてくれたら面白いのに。チームのルールもあると思うけれど、そういうのを全部変えてみたい。僕は幸運なことに、代表も含めいろいろな監督を見てきましたから。20人前後は。つまらない練習や、面白いけれど勝てない監督とか、いろいろ見てきましたし。

鹿島は、Jリーグの中でもトップレベルのクラブで、“常勝軍団”として勝者のメンタリティーがあると思うんですけど、そのカギとは何だと思いますか?

内田:選手の質だと思います。

結局、スカウティングの部分がすごく大事ということでしょうか。

内田:日本人選手に関しては、外れがない、良い選手を取ってくるなと思います。目立たなかったり、大丈夫かな?と思っていたような選手でも、結局チームに入ってきたら仕事するし。

鹿島の場合、以前よりも海外に行ける選手が増えて、世代交代の早さを感じます。

内田:そうですね。そこは(フットボールダイレクターの鈴木)満さんも言っていました。(鈴木)優磨もそうですし、(安部)裕葵も(安西)幸輝もそうですが、20代前半の若さで海外に行く。そういう中でチームを作っていくというのは、すごく難しいことだと思います。今回も、高卒で良い選手が入ってきましたけど、その選手たちがまた、活躍したら2、3年で海外に行くかもしれないし。10年鹿島に居続ける選手のほうが、もう少なくなっているので。

今はもう、5年すらいないですよね。

内田:そのようにチームの入れ替わりがある中で、一本筋が通っていたのは(小笠原)満男さんのような存在だと思うんですよ。曽ヶ端(準)さんとか。僕もそういう存在にならなきゃいけない。

そういう意味では、引退はちゃんとチームに貢献してから?

内田:そう。頑張ってやれるところまではやるけど、鹿島がもういらないってなったら終わりですし、ちゃんと貢献できなかったなって思うと思います。

でも、まだまだ現役ですし。

内田:まだ32歳ですからね。サッカー選手として、終わる年齢ではないです。

【後編はこちら⇒】

<了>

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PROFILE
内田篤人(うちだ・あつと)
1988月3月27日生まれ、静岡県出身。ポジションはディフェンダー、右サイドバック。Jリーグ・鹿島アントラーズ所属。清水東高校卒業後、2006年のJリーグ開幕戦で鹿島アントラーズ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たし、プロデビュー。鹿島アントラーズでは主力選手として活躍し、07年~09年のリーグ3連覇に貢献、自身も2年連続でJリーグベストイレブンに選出。代表では、FIFA U-20 ワールドカップカナダ2007、北京オリンピックなどに出場し、キリンチャレンジカップ2008 チリ戦でA代表デビュー。2010年7月、ドイツ1部リーグのシャルケに移籍。2017年8月、出場機会を求めブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンへ移籍後、2018年より鹿島アントラーズへ復帰した。

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