香川真司、サラゴサで結果が出せないなら「行く場所はもうない」覚悟を持って挑む未来
昨年8月よりスペイン2部サラゴサでプレーする香川真司。
加入当初は「ここまでの状況は、正直想像していませんでした」と語るほど苦しい状況が続いたという。これまでの経験、考え方が全く通用しない環境の中で、彼はどのようにしてネガティブな状況を変化させ、再び日本代表としても活躍する未来を見据えているのか。
ドルトムント、マンチェスター・ユナイテッドとビッグクラブを渡り歩いてきた香川真司がスペイン2部の地で自身を見つめ直し、至った境地を語る。
(インタビュー・構成=岩本義弘[REAL SPORTS編集長])
「なんだか日本にいるのも疲れるな」と思うようになってきて
――まずは香川選手の将来像について話を聞かせてもらおうと思います。将来的に、監督という立場はないと思いますが、プロサッカークラブのオーナーを務めるという可能性についてはどうですか?
香川:監督という立場はないって決めつけるのはよくないですよ(笑)。
――いや、前回、インタビューさせてもらった時に、明言してましたよ!(笑)
香川:僕、そんなこと言ってました?
――「監督はないですね」ってはっきりと(笑)。「言語化するのが得意ではないから」という理由もつけ加えてました。
香川:確かに、監督という線はないですね。でも、そういう意味では、今のところはオーナーにも全然興味がないんです。ただ、僕もたまに将来のことについては考えるんですけど、最近思うのは、自分が「不得意なこと」をやりたいなと思って。
――不得意なことをやりたいって、面白い視点ですね。
香川:これといった具体的なものはまだないんですけどね。ただ、「俺って将来何やりたいんだろう?」ってふと思った時に、自分の不得意なことにチャレンジしてみたいなと思ったんです。そのほうがやりがいがありますし、人と同じようなレールに乗りたくないという思いもあって。
――そういう意味で言うと、昨年5月に立ち上げた、アスリートたちが社会貢献活動を行う「UDN Foundation(ユー・ディー・エヌ ファウンデーション)」は新しい試みですよね。香川選手がリーダー的な存在となり、「UDN Foundation」を立ち上げたのはとても新鮮でした。
香川:正直なところ、僕は何事に対しても「みんなで一緒にやろう!」というタイプではないんです。どちらかと言えば、「やりたい人が好きにやればいい」と思ってます。自分で何かを決めるのもあまり得意なタイプじゃないし。ただ、僕も所属しているマネジメント事務所のUDN SPORTSに多くの選手が集まってきたことで、「グループの力も大きいんじゃないか?」「一人でやるより、みんなで動くほうが大きなことが実行できるんじゃないか?」と少しずつ考え方が変わってきたんですよね。
――なるほど。
香川:また、コモン・ゴール(マンチェスター・ユナイテッドでチームメイトだったフアン・マタを中心に設立された団体)を通じて社会貢献活動にも興味を持つようになりました。そういう活動を、貧困地域やスラム街でやることは本当に貴重な経験だなと感じましたね。
――実際に貧困地域の人々と触れ合って知ることもたくさんあるんでしょうね。
香川:そうですね。あと新しい試みという意味では、ヨーロッパに来て10年くらいが経つんですが、オフの過ごし方が以前とは変わってきましたね。オフの過ごし方はもちろん人それぞれ自由な中で、僕は割と日本で過ごすことが多かったんです。でも最近は、「なんだか日本にいるのも疲れるな」と思うようになってきて。強迫観念じゃないんですけど、日本国内に滞在していると、なぜだか「何かしなきゃ!」って思いに駆られるんですよ。だから全然リラックスができなくて(苦笑)。
――わかります。けっこう繊細なタイプですもんね。
香川:そう、繊細なんですよ。かなり繊細だし、人の影響もかなり受けるタイプ。だから、海外にいるほうが自分自身と向き合えて、サッカーに没頭できるんです。
2部リーグですら結果を出せない自分自身に苦しんでいました
――外国語のレベルが以前より上がっているから、海外で過ごすことがストレスではなくなってきている面もあるんじゃないですか?
香川:それはすごく感じますね。でも、まだまだかな。ちゃんと勉強したわけではないので、きちんとした英語ではないですし。将来的に不得意なことにチャレンジしてみようとなった時には、英語をはじめとした外国語の勉強もそれに当てはまりますね。今で言えばスペイン語。やっぱり言語ってすごく大事なんですよね。サラゴサの一員になって、改めてすごく感じています。違う国のチームに移籍して、言葉の面で最初に苦労するのは当然のことです。でも僕は、その苦労をピッチで結果を残すことで乗り越えてきた。ドルトムントでもマンチェスター・ユナイテッドでも。それと比べると、今はやっぱりつまづいている。というか、かなりつまづいてます。シーズンの最初に結果を残せなかった今の状況において、これまでとは形を変えてサッカーに取り組まなければならなくて、その一つとしてスペイン語を重視し、仲間とのコミュニケーションをより密に取っていかなければと思っています。練習は毎日あるし大変なんですけど、なるべくいろいろなことを言えるように努力して、少しでもチームに馴染むようにやっていかなければと感じています。
――正直なところ、サラゴサでここまで大変な思いをするなんて考えていなかったんじゃないですか?
香川:もちろん。ここまでの状況は、正直想像していませんでした。これまでは、たとえうまくいかないことがあっても、自分の中に積み重ねてきた経験で対処してこれたんです。うまくいかない時期に直面した時、それをどう乗り越えていくかというのは、特にドルトムント時代に多くのことを学ばせてもらいましたから。そういう経験が僕のキャリアの中にはあったから、サラゴサで何があっても絶対に克服できると思っていました。でも、今回はその考え方が通用しなかったというか、うまくいかない時期が長く続いているというのが現状で、それを打破するために日々戦っているところですね。簡単ではありませんが、必ず何か方法はあるだろうなと思いながらやっています。
――現状に対する香川選手自身の分析を聞かせてください。
香川:自分自身のプレーや自分がやれることに目を向けられていなかったというのが、シーズンの序盤からうまくいかなかった大きな要因ではないかと思っています。ドルトムントから移籍してきて、やっぱり周囲の期待をものすごく感じていました。1部昇格への牽引役であり、スペイン2部では活躍して当たり前。そう見られるのは想像していたとおりでしたし、しかも、監督は僕に全幅の信頼を置いてくれていたんです。「お前の好きなようにやっていいぞ」って、それぐらいの信頼感を示してくれました。本当にありがたい話ですよね。でもその中で、自分がやらなければならないこと以上の部分にまで目が向いたというか……。
――チーム全体のことまで考えすぎてしまった?
香川:必要以上にそういうところまで見てしまったということですね。
――勝利に貢献しようという気持ちがより強くなってしまったんですかね?
香川:1部から2部へと戦うステージが変わる中で、いろいろなことをドルトムントと比較してしまうんですよね。例えばチームメイトのミス。これって絶対にしてはいけないことなんですが、無意識の中で比べてしまっていたんです。
――でも、特に最初の頃はそうなってしまいますよね。「こんなミスをしちゃうの?」って。
香川:でも、そんなミスなんてドルトムント時代のチームメートにも当然のようにあったんです。それに、ベシクタシュでも同じようなことを経験していた。でも、僕自身の考え方がすごく悲観的になってしまい、シーズン序盤はポジティブに考えることができなかった。あとは自分の不甲斐なさを痛感して、どんどんマイナスがマイナスを生んでいくのを感じていました。2部リーグですら結果を出せない自分自身に苦しんでいましたね。もちろん今も満足な結果は出ていませんが、一時期の苦しさからは抜け出した感があります。本当に、自分で自分を追い込み過ぎて、ものすごくマイナス思考になってしまっていました。
――とはいえ、まだシーズンの半ばが過ぎたところですし、チームの順位も悪くはありません。
香川:そうなんですよね。僕にとってはそれが一つの救いで。ポジティブにこの順位にいられることをうれしく思っていますし、試合はプレーオフも含めればまだまだあります。また、僕自身は二桁得点、二桁アシストという目標があった中、今のところわずか2得点ですからね。その点もまだまだ達成可能だと思っているので、シーズンの残り半分の目標としています。
今サラゴサで結果が出せないようじゃ、「香川真司の行く場所はもうない」
――以前お話を聞いた時には、35歳までヨーロッパのトップリーグでやりたいと話していました。多くの選手が30歳くらいを機に体力面の低下に直面しますが、実際のところ香川選手は年齢的な衰えみたいなものは感じたりしているんですか?
香川:年齢的な体力の衰えは全く感じていません。ただ、難しいのはメンタルのほうだと思うんです。気持ちの持ち方ですね。僕に関して言えば、ドルトムントでほぼ構想外という時期を過ごしてベシクタシュに行きましたが、あの頃は自分をコントロールするのが本当に難しかった。ロシアでの(FIFA)ワールドカップ終了後、「よし、サッカー選手としてさらに上を目指すぞ!」と気合いを入れてスペイン移籍を狙っていました。結果論になりますが、あそこで移籍できなかったのは大きな分岐点でしたね。気持ちをうまくコントロールできず、結局、ドルトムントではチームメートと競争をすることすらできませんでしたから。ワールドカップ後は日本代表にもしばらく招集されず、そういう環境に身を置くうちにだんだん気持ちが入らないというか、「もしかして俺って落ちていっているのかな?」って錯覚に陥るんですよね。
――身を置く環境がそう思わせてしまうんですね。
香川:最も感じたのはやっぱりロシアワールドカップの後ですね。「9月の日本代表戦に海外組は呼ばない」「若手中心のメンバーで戦う」と言われていて、日本代表のためにも個人的にはいいことだと思っていたんです。でも、10月になっても代表に呼ばれなかった。当時はドルトムントで厳しい立場だったから仕方ないんですけど、やっぱりトッププレーヤーって代表とクラブを両立しているんですよね。僕も代表で刺激を受けて、クラブでそれを発揮できたことがたくさんあったし、クラブと代表は別物だけどリンクしている部分はたくさんあるんです。でも、ドルトムントでは構想外で、代表にも呼ばれない。そういう状況はものすごくつらかったですね。
――その状況で踏ん張るのは、ものすごく大変だったんじゃないですか?
香川:めちゃくちゃつらかったです。まさかドルトムントでああいった状況になるとは想像もしていなかったですから。しかし、時が経つのは早いですよね。状況は一瞬にして変わるし、一瞬にして若い選手が台頭してくる。ドルトムントであれば、(ジェイドン・)サンチョとか、そういう選手がどんどん出てきますから。
――若手とベテランが同じレベルの能力を持っていれば、やっぱり若手が起用されますからね。
香川:ある意味、僕はそこで勝負ができなかった。マンチェスター・ユナイテッドでもドルトムントでも、試合に出られない時はありましたけど、最終的にはポジションを勝ち取ってきたという自負があったので、その土俵にさえ立たせてもらえればやれる自信はあったんです。でも、(ドルトムント監督のリュシアン・)ファーヴルにはその機会すら与えられず、トップチームの練習を外されてU-23に行くように言われたこともあった。それはものすごく屈辱的だったし、あの日々のことはずっと忘れられない。代表でも若い選手が出てきている中で、「俺は何もできていない」「戦えていない」「試合に出られていない」というのは非常に苦しい日々でした。だから落ちるのは早いですよ。29歳、30歳くらいで守りに入ったり、競争ができていないと、やっぱり下から這い上がってくる選手に追い抜かれるし、若手の台頭は早いですから。
――そのように一度落ちかけたメンタルを切り替えるのは大変ですよね。切り替えられないまま終わってしまう選手も少なくありませんから。
香川:ドルトムントでは長い間試合に出られませんでした。試合に出られない時って自信がなくなってくるし、試合勘が失われていくのもすごく感じた。ただそういう状況に陥ったとしても僕は負けるわけにはいかない。サラゴサにいる今、「俺はここで勝ち切らなきゃ落ちていくだけだ」と本気で思っているんです。皆さんもきっとそう思っているだろうけど、今サラゴサで勝てずに結果が出せないようじゃ、「香川真司の行く場所はもうない」と思っているから。ここで絶対に勝つし、絶対に諦めない。そのためにどうすればいいのかを日々自問自答して、どういうメンタルで、どういう思考で毎日を送るのがベストなのかをずっと考えているんです。「ああ、今日は自分に負けたな」と自己嫌悪する時もあるし、「気持ちをコントロールして次の試合に向かうんだ」って自分を奮い立たせる時もある。今はメンタル面のベストの形を生み出そうと必死ですね。
「すごく繊細」「影響を受けやすくてメンタルが弱い」という自己分析
――香川真司がもう一度這い上がっていくために。
香川:本当に生きるか死ぬかだと思っているし、ここでダメならもうたぶん……いや、そんなことは考えていないですね。今はこの戦いに勝つことだけです。その中で、サラゴサで大きな壁に直面するとは正直予想していませんでした。2部でそれを迎えるとは。自分としてはスペインの1部で活躍するというのが大きな目標ですから、今はここで試練を迎えているけれど、これを乗り越えられればまた成長できると思うし、乗り越えなければいけない。スペインで活躍するために与えられた試練だなと思っていますけど。
――昔から言っていた「スペインの1部でやる」という夢を叶えられる位置にいるわけですからね。
香川:今の状況ではネガティブな思考に陥ることなんて、油断したらすぐなんです。でも今は、「スペインでチャレンジできているということを楽しまなければいけない」と、自分をいつもポジティブに鼓舞しているんです。自分がどうあるべきか、自分がどう考えるべきか、それを常に問いただして、まずはここでサッカーができることに感謝し、そして仲間たちを信じようと。上から下のカテゴリーに来て、どうしてもプライドが邪魔したり、そういうものが影響して仲間の一つひとつのプレーに対して「Why?」って発想になってしまっていたんですけど、やっぱりチームを信頼しないといけない。そういう意味では、ベシクタシュでの経験は良い経験でした。僕、ベシクタシュの初日の練習で衝撃を受けたんですよね、ドルトムントとの質の違いに。あの衝撃はもう一生忘れられないし、「ここに馴染んでしまってはいけない」って強い危機感を持ったんです。でも、そう考えているとチームの中で孤立してしまうんですよね。
――その思いがチームメートに伝わってしまうんでしょうね。
香川:そうなんです。ベシクタシュでは夏までの半年間だけプレーして、それ以降は絶対に移籍すると決めていたんです。だから「絶対に4カ月、5カ月の間に結果を残す」という一心でいました。でも、サッカーは一人じゃ何もできないから、やっぱりチーム全体の力が必要だったり、環境や文化を受け入れてチームメートに自分から歩み寄らなければいけない。「自分はここに馴染んではいけない」と思ったとしても、やっぱり人間ですから、チームのために戦う姿勢や仲間へのリスペクトはすごく大事だなと思って。
――そのとおりですね。
香川:サラゴサでは、マンチェスター・ユナイテッドやドルトムントにいたというだけで、ファン、サポーター、スタッフ、監督、選手からはスーパースターとして迎え入れられました。だからと言って鼻高々で過ごすのではなく、ベシクタシュでの経験を生かして、まずはチームメイトとの関係性を大事にしようと。スペインだと21時とか21時半から夕飯をとり始めるんですが、そういう部分も「ああ、21時か、遅いな……」という思考ではなく、「みんなスペイン語しか話せないけど、自分もその輪に入って少しでもコミュニケーションを取ろう」と考えました。今も大変だし、最初の頃は特に大変でしたけど、そういう小さなことの積み重ねが必ずピッチの上で生きてくると思うんですよね。
――ここ数年の香川選手の経験値の高さを感じます。
香川:ただ、僕もまだまだ自分自身のことをわかっていないなと感じています。その中でも、これまでの経験から「すごく繊細」「影響を受けやすくてメンタルが弱い」と思っているので、だからこそしっかりトレーニングをして、きちんと気持ちをコントロールしていかないと戦えない。だから僕の中では環境がすごく大事なんですよ。
ロシアワールドカップでの活躍は「必然だったのかなと」
――話題を変えて、ロシアワールドカップのことを聞かせてください。
香川:ずいぶん前から振り返りますね(笑)。ブラジル大会を経て、ロシア大会へ向かう4年間は本当にすべてを変えたいと思っていました。マンチェスター・ユナイテッドで2シーズン過ごしてブラジル大会を迎えたわけですけど、自分の努力の仕方や考え方、普段の生活など、すべてが甘かったなと痛感しました。だからこそ、「ロシア大会に向けて何をすべきか?」「トレーニングはどうすればいいか?」「食事はどうすればいいか?」「サッカー以外の時間はどう使えばいいか?」ということを常に考えながらやっていましたから。だから、ケガをした時も「絶対に俺はロシアワールドカップに出る!」という思いしかありませんでした。でもサッカーの神様はいたずらをするというか、2018年2月の時点で全治10日くらいの診断だったケガが、蓋を開けてみれば5月まで復帰することができず、3カ月ぐらい足踏み状態が続いたんです。ケガをする直前、1月は僕の中で最高潮のコンディションだったんですよ。これはロシアワールドカップに向けて最高の調整ができているなと。
――いい感じでコンディションが上がってきていたんですね。
香川:もう最高だったんですよ、心も体も。「最高の状態で半年後にロシアワールドカップを迎えられるな」と思っていましたから。その中で足首をやってしまった。ただ、当初の診断は全治10日くらいだったし、すぐに試合に出たいから「こんなのすぐに治るだろう」と思って2、3日後にはランニングを始めてしまったんですね。でも、ちょっとフィーリングが良くないし、3、4日経っても全然良くならない。リハビリの段階で先走りすぎてしまったんです。MRIを撮り直したらやっぱりちゃんと治っていないと。そこからまたうまくいかずに月日が流れ、日本代表の監督が交代になった。その後、ブンデスリーガ最終節のホッフェンハイム戦だったかな? 監督のペーター・シュテーガーに志願して最後の15分ぐらいだけピッチに立たせてもらいました。ワールドカップのメンバー入りが絶望に近い立場だったので何とかアピールできればと。
――香川選手を起用することに疑問を持ったドルトムントのファンも多かったようですね。
香川:それは当然ですよね。でもその少し前、西野(朗)さんがドルトムントの練習場に視察に来てくれた時、足首がピークに痛くて練習に参加できなかったんですよ。本当にその日だけ。西野さんに「具合はどうだ?」と聞かれて、その時ばかりは「大丈夫です」と答えたんですけど、「怖いな」「再発したのかな?」と思いつつ、練習で痛がっているところを見せるのは悪影響になるなと思って練習参加を取りやめたんですよ。
――その日はやらないほうがいいと判断したと。
香川:ただ、西野さんの反応も「まだできていないのか? 今日は練習するところを見られると思って来たのに」と言われて。「そうっすよね」って返しつつも、内心は本当にドキドキしていましたね。
――しかし、今振り返っても、よくワールドカップに間に合いましたよね。
香川:よく間に合ったと思う一方、それも必然だったのかなと思うところもあります。4年間すべてのことをロシアワールドカップに捧げていたし、ハリルさん(ヴァヒド・ハリルホジッチ元日本代表監督)の時も含めてうまくいかない時期もたくさんあったけど、ロシアワールドカップに全精力を持っていくという気持ちだけは持ち続けていましたから。
――コンディションが万全とは言えない中、ロシアワールドカップ本大会であれだけのパフォーマンスを披露できたのは本当に見事でした。
香川:僕自身も誇りに思っていますし、努力を続けることで最終的には必ずピッチに立てるということを肌で感じました。目標に向かって単発的ではなく継続的にどう努力し続けるか。その重要性をすごく感じましたし、あの時はそれを体現できたと思っています。
――思いきりがよくて、見ていてプレーに迷いがありませんでした。フィジカル以上にメンタルの準備ができていたんでしょうね。
香川:大会への入り方がすべてでしたね。初戦でコロンビアを相手にいいスタートを切ることができた。もっと言うと、大会前のパラグアイとの親善試合がキーポイントになったとも思います。
――確かに、あの試合から流れが変わったように見えました。
香川:パラグアイ戦は大会前最後のテストマッチでしたし、その前のスイスとの親善試合でうまくいかず、ちょっと流れを変えなければいけない中で、チームみんなで素晴らしい流れを作ることができました。
「スペインで活躍するんだ」と言っている選手が「代表は結構です」なんて言っている場合ではない
――現時点において、香川選手の中で日本代表はどのような位置づけなんですか?
香川:「今考えるべきはサラゴサでのプレー」「スペインにいるとはいえ、所属しているのは2部のチームだし」とずっと思っていたんです。でもここ最近ですけど、「やっぱり日頃から日本代表を狙い続けなければいけないな」という考えがすごく強くなってきました。「2部だから」って勝手に自分でセーブしちゃっていたんですよね。でもそんな考え方は捨てないといけないと思っていて。岡ちゃん(岡崎慎司)とも話すんですよね。「2部だからとりあえずは別に」「そもそも結果が出ていなかったら代表もクソもない」って言葉を交わしていたんですけど、でもこの考え方はよくないなと思って。だから今は「2部だろうが何だろうが結果を残して代表を狙う」って強く思っています。
――その自信もあると。
香川:そうですね。日本代表に貢献したいですし、「自分自身に負けたくない」という思いが強くあります。別に代表引退を発表したわけでもないですし、それに「スペインで活躍するんだ」と言っている選手が「代表は結構です」なんて言っている場合ではないだろうと。やっぱりそこで活躍するためには常に戦い続けなければいけないし、(長友)佑都や(吉田)麻也の姿を見るのはすごく刺激になります。客観的に見て、「2部の選手が代表の話なんかできる立場にない」って自分自身に勝手に制限をかけていましたから。
――スペイン2部もレベルが低いわけじゃないですからね。
香川:そうなんですよね。ただ、自分にはトップでやってきたという自負がありましたから……。やっぱり、一般的にはトップでやっている選手が代表に呼ばれるべきなんですよ。トップの環境で戦い続けている選手たちが代表の中心となるべき。そこで戦える選手はやっぱり強いし、ワールドカップを見れば一目瞭然ですよね。世界一になるのはクラブシーンのトップで戦い続けている選手たちだし、そういうところに飛び込んで、そういうチャンスを奪わなければいけない。そういう考え方を最近するようになりました。もちろん言える立場、結果ではないし、今はサラゴサを中心に考えているけれど、あえて自分で代表に制限をかける必要はないかなと思っています。
――次のカタールワールドカップは33歳で迎えます。
香川:年齢に対するネガティブな発想は全くないですね。むしろ、いい年齢だと思っています。
自分に対してはネガティブ思考ですよ。しょっちゅう自己嫌悪していますし
――先ほどは経験値の高さと述べましたが、このインタビューを通して、香川選手の人間的な成長をものすごく感じました。ちょっと、上からな言い方になってしまって申し訳ないですが。
香川:やっぱり、マンチェスター・ユナイテッドからドルトムントに戻って、本当にいろいろと勉強させてもらいましたね。すごく厳しい経験もしたけど、今思えばそれが一番良かった。まだ、これまでのキャリアを振り返るようなことはしたくないですが、ドルトムントでの1、2年目の優勝もすごくうれしかった一方で、(トーマス・)トゥヘルの下でDFBポカール(ドイツの国内カップ戦)を取ったことは僕の中で忘れることのできないタイトルかもしれません。
――苦しんだ後のタイトルだったからですか?
香川:そのとおりです。苦しんだ後の優勝ってこんなに最高の気分なんだなって。トゥヘルとの関係はあまりうまくいかず、メンバーを外されたり、理不尽な扱いをされたこともあったけど、最終的にはスタメンを勝ち取って90分フル出場して優勝に貢献しましたから。あれは最高に幸せな瞬間でした。もちろん、(ユルゲン・)クロップとの最高の関係性の中で勝ち獲った連覇も良い思い出ですけどね。
――クロップ時代のドルトムントではすべてのことがうまく進んでいるようでした。
香川:何をやってもうまくいきましたよね。ホームでの試合なんて、先制すると面白くないし、最後まで緊張感を保ちたいから「(ロベルト・)レヴァンドフスキ、早い時間帯に点を取るなよ」って思いながらプレーしていましたからね(笑)。
――今思い出しても、あの当時からレヴァンドフスキの得点力はすごかったですね。
香川:「取るなよ、取るなよ」「俺がおいしいところを持っていくんだから」なんて考えながらプレーしていました(笑)。
――とはいえ、クロップの時代よりトゥヘルの時代のポカール優勝の味も格別だったと。
香川:もう完全に別物ですね。あの瞬間は最高でした。タイトルの重みが違ったし、こんなに気持ちのいいものなのかと。だから、ドルトムントにいる時は壁が怖くなかったというか、どんな障壁があっても「全部乗り越えてやる」って楽しんでいたところもありました。
――さまざまな経験が香川選手の人間的な器を大きくしていますね。
香川:そんなことないですよ。自分に対してはネガティブ思考ですよ。しょっちゅう自己嫌悪していますし。
――いつもその自分と戦っていると?
香川:そうですね。自己嫌悪ばっかりです。うまくいない時はもちろんですが、常に自分と戦いながら生きていますね。
――久しぶりにじっくり話を聞いて、香川選手の強い思いを聞いて、これまで以上に応援したくなりました。昔から口にしていた「スペイン1部でプレーする」という目標に向かって、現在はいわば、その「目標」に一番近い状況じゃないですか。サラゴサが昇格すれば、その夢を堂々と果たせるわけですから。
香川:そうですね。サラゴサに来たのは、チームを昇格させて、自分自身の夢である「スペイン1部でプレーする」という夢を果たすためです。そのために、残りのシーズン、チームメートと一緒に、絶対に昇格を勝ち獲りたい。とにかく、今はそれだけです。
<了>
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PROFILE
香川真司(かがわ・しんじ)
1989年3月17日生まれ、兵庫県出身。ポジションはミッドフィルダー。スペイン2部サラゴサ所属。中学入学と同時にサッカー留学し、FCみやぎバルセロナのジュニアユースに所属。2006年、高校卒業前にJリーグクラブとプロ契約した初の選手としてセレッソ大阪に加入。2009年J2得点王を獲得し、J1昇格の立役者となる。2010年にドイツのドルトムントへ移籍。2010-11シーズン、2011-12シーズンのドイツ・ブンデスリーガ連覇に中心選手として貢献。2012年、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。プレミアリーグでも移籍初年度の2012-13シーズンにリーグ優勝を経験。2014年に再び古巣ドルトムントへ移籍。2019年に期限付きでのトルコのベシクタシュ移籍を経て、同年8月、スペイン2部サラゴサと2年契約を締結。日本代表としては、2011年にAFCアジアカップ優勝に貢献。2014年、2018年と2大会連続でエースナンバーの10番を背負いワールドカップに出場している。
香川真司選手他、UDN所属選手たちのスペシャル動画はこちら
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