「優先すべきは幸せ。根性の先に幸せは?」空手家・月井隼南が問う“根性で乗り切れ!”の是非
「仮にオリンピックで金メダルを取ったあと、後遺症を抱え、『あの時無理しなければ……』と悩んでいる選手がいるとしたら、幸せだと思いますか?」。日本で空手の大会で何度も優勝を果たし、現在はフィリピン代表として東京五輪出場を目指す異色の空手家・月井隼南。彼女は高校1年生の終わりに左膝の靱帯を損傷。「根性で乗り切れ」という言葉を真に受けて無理をして競技を続けた結果、左膝の靱帯断裂が判明。その後のべ10回の手術を経験した彼女の問いかけは決して軽く聞き逃すことはできない。行き過ぎた根性論の先に幸せはあるのだろうか?
(インタビュー・構成=布施鋼治、撮影=九島亮)
「健康でないことは普通ではない」
「根性って、嘘じゃないのか」
高校3年の夏、左膝の靱帯断裂が判明すると、月井隼南には根性に対する拒絶反応が芽生えた。それまでは周りの大人が指摘するように、どんなに痛くてもケガは根性で治ると信じていた。手術する必要があると明かされた時も、月井は楽観視していた。
「いま手術をすれば、半年後大学に進学してちょっと経てば練習を再開できるだろう」
半月板も割れていたので、甘い見通しだった。担当医からは「だいたい1年はかかります」と診断され手術をすると、根性に対する幻想は吹き飛んだ。
月井は「靱帯断裂がどれだけヤバいケガなのか。それは診断されないとわからない」と回想する。
「正直、痛いだけではピンとこなかった」
そして、ケガについて打ち明けた時、「根性で乗り切れ」と言ってきた大人に背中を向けようと決心した。
「ケガに対して初めから根性を持ち出す大人は信用できないと思いました。気持ちの問題だと言われたけど、そうではなかった」
手術後は初めて車いすを使った。
「半月板を縫っている関係で両膝を固定されていた。歩行は厳禁だったので、トイレに行くのも車いすを使わなければいけなかった」
1カ月半後、車いすから解放された時の衝撃を月井は忘れることができない。
「立ち上がった瞬間にフラッときた。ズシッと重い石が乗っているかのように、すぐには立てない。『あれっ、立つのって何だっけ?』と首を傾げました」
人は数日間歩行しないだけで、足は細くなる。月井も例外ではなく、左の太股は4cm、右は3.5cm細くなった。
「一応リハビリの時に太股に力を入れていたつもりだったけど、全然負荷が足りていなかったんでしょうね。その時、健康でないことは普通ではないと改めて感じました」
アクシデントによる2度目の手術
病床で月井はそれまでの勝つことがすべてだった自分の競技生活を振り返った。
「高校時代、私はインターハイで優勝しているけど、その一方で膝が痛すぎて眠れないことなんて日常茶飯事だった。勝っているのに不幸せ。冷静に振り返ってみると、もうわけのわからない状況だった」
高校時代、月井は学校の運動会に参加していない。空手の大会への出場を優先させるため、膝を酷使するわけにはいかなかったのだ。「ちょっとでもリスクのあることはできなかった。でも、私は日本一になりたかったので、それも苦ではなかった」。
その一方で、町中にいる若い女性が何気なくしている動作を自分ができないことに違和感を覚えた。それでも、心の中で「我慢すれば、夢はかなう」と念じると、すべての矛盾は払拭することができた。
「結局、1カ月半入院して、車いすの次は松葉づえのお世話になりました。松葉づえを突くのが面倒くさくなったら、『今度は歩くためのリハビリをやってください』と進言されました。もうそれだけで、その年は終わってしまった感じですね」
高校を卒業して大阪での寮生活を終えると、拓殖大学進学のため実家のある東京へ戻り、都内の病院でリハビリを続けた。競技生活にすぐ復帰するなど、夢のまた夢だった。結局、大学1年の時はリハビリに専念するしかなかった。再び闘いのコートに立てるようになった時、月井は大学2年になっていた。
といっても、順風満帆な復活ロードではなかった。すぐアクシデントに巻き込まれる。初夏に開催された大会で、自分よりはるかに体の大きな相手ともつれた際、足にのしかかられてしまったのだ。月井は救急車で病院に搬送された。右の靱帯が切れており、縫ったはずの半月板も割れていた。
再び手術をし、リハビリが始まった。2回目になると、いつも前向きな月井もさすがに弱気になった。
初めてかけられた“具体的な労い”の言葉
「ヤバいな」
周囲は「頑張れ!」と励まし、手術の直前には「いつ復帰できるの?」と声をかけられた。期待されていることはうれしかったが、いま自分が心身共にどういう痛みを感じているかをもっとわかってほしいとも思った。再び苦しいリハビリ生活が始まった矢先、ある指導者から電話がかかってきた。
「月井のことは高校の時から見ているけど、頭もいいし、才能もある。自分で努力することもできる。ちょっとくらい休んでも周囲に追いつけるからしっかり治してから戻ってこい」
その指導者は、こうも言った。
「道場にいないのは寂しいけど、無理して来るくらいだったら来なくていい」
初めて具体的な労いの言葉をかけられ、胸につっかえていた何かがとれたような気がした。対照的に大学で先輩と顔を合わせると、「道場に顔を出しに来い」と声をかけられ、道場に足を踏み入れると「筋トレだけでもしていけ」と背中を押された。
別にサボっているわけでないことをわかってほしかったが、周囲からは見えないプレッシャーを感じた。案の定、松葉づえを突いた状態だと何も言われなかったが、補助なしで歩けるようになると、「もう6カ月経っているけど……」と暗に復帰を促された。
月井は覚悟を決めた。まずは先輩の顔色をうかがうような行動をとることをキッパリやめた。あいさつだけをして、「これからリハビリを入れてあるので」と言い残し、都内のリハビリ施設に直行した。
空手をやりたいという思いを抑え、膝のリハビリを続けると、大学3年からようやく練習を再開できるようになった。大学4年の時に出場した東日本の団体戦では女子史上初めて2位になる原動力となっている。
「未来が見えない」に逆らいたいとの思い
「MAXで動けたわけではなかったけど、私は全勝でした」
その時点で両膝の痛みはまだ残っており70%程度の動きしかできなかったが、関東大会ではのちに世界チャンピオンとなる染谷香予にも勝利して3位になった。この頃になると、月井は自分なりの調整方法や力の加減を編み出していた。
「膝が痛いので練習は60~70で、試合は80でやる。100出したら、また壊れることはわかっていたので。無理をしないで動ける範囲の中で、自分はどれだけ勝負できるのかを試したかった」
もしかしたら空手家の中では初めて到達した境地だったかもしれない。強さを追求する以前の問題で、月井はケガと向き合わなければいけなかった。
「全力を出さないと、相手に失礼なことはわかっています。でもそうすると、自分の体が持たない。周りのことを一切聞かず、休む時には休むというスタンスで自分でコントロールしながらやれば、ある程度はできると思いました」
結局、月井は左右を合わせ、のべ10回も手術をした。そのせいだろうか、根性に対する価値観も大きく変化した。「根性があれば何とかなると考えること自体が異常だと思う」とハッキリと言えるようになったのだ。
もう膝はほとんど痛まない。状況を劇的に変化させてくれたのは、神戸にある、あんしんクリニックとの出会いがきっかけだった。
今までの経験を正直に話すと、過去幾人ものアスリートのケガと対峙してきた担当医はため息をついた。「ずっと非科学的なことに耐え、逆にまだこんなに耐えていることは奇跡ですね。靱帯が切れたまま2年間も放置するなんて考えられない」
当時、月井は社会人2年目。2度目のナショナルチーム入りを果たしていたが、また膝の手術をせざるをえなくなり、チームから外れた直後だった。
あんしんクリニックでは、自分と同じように靱帯を切った他のアスリートと会話できたことも大きな収穫だった。
あるサッカー選手からは「靱帯を切ったのは2回目。もうサッカーはやめようと思います」と告白された。「プロという選択肢もあったので、1回切ったあとも頑張って続けていたけど、もう無理。これ以上、痛みに耐えられない」。
靱帯を痛めた選手は「未来が見えない」と口を揃えていたことも気になった。見えなければ、競技生活を断念せざるをえない。月井は、その流れに逆らいたいと思った。
「私、負けず嫌いなんです。私がその流れを克服しないと、攻略法を教えてあげないと、私も靱帯損傷で苦しみながらやめた一人になってしまう。そして私みたいな人間が当たり前のように量産されていくんだろうと予想したんですよ」
他競技のアスリートもケガや根性について言及し始めた
先日、月井は女子バレーで一時代を築いた大山加奈が腰に後遺症が残っているという記事を読んだ。世代的に大山は上の世代だが、彼女の主張には共感する部分も多かった。月井だけではなく、他のアスリートもケガや根性について言及し始めた現象は興味深い。
今後は根性に対する捉え方にも変化が出てくるのか。月井は「根性そのものが悪いわけではない」と考えている。
「多くの指導者は選手の将来のことを考えたうえで指導しているかといえば、必ずしもそうではない。だいたい直近の試合のことだけを考えて指導している。結局、目先のことしか考えないから『根性で乗り越えろ』ということになるのではないでしょうか」
この話を聞いた時、筆者は昨年夏、全国高等学校野球選手権・岩手県大会決勝で行われた大船渡VS花巻東戦で、佐々木朗希(現・千葉ロッテマリーンズ)の登板回避が議論の的となったことを思い出した。佐々木が所属していた大船渡高校野球部の國保陽平監督が故障予防を理由に連投させず、結果的にチームが敗れた一件だ。大船渡高校には「なぜ連投させなかったのか」という苦情の問い合わせが相次いだ。日本のスポーツ界は、いまだそういう価値観が主流を占めている。
復帰後、月井は何度もこんな言葉をかけられた。
「ケガさえしていなければ、もっと早く世界を取れたのに……」
そういう言葉を耳にするたびに、月井は価値観の相違を感じた。
「私からしてみれば、スポーツは生活の一部。自分の生活が脅かされるということになったら、どう考えても優先順位は健康の保持になる。でも、アスリートが痛みに耐えることが当たり前の世界での優先順位は勝利なんですよ。アスリートの未来や私生活など、全然関係ない。靱帯が切れようと、顔の原型が崩れようと、いま勝てばいい」
厳しい言葉を投げかけた指導者に対する感情の変化
昨年、テレビで放送された月井のドキュメンタリーで実家に近い居酒屋で家族が集う場面があった。個人的には、最初の指導者であり、現在もコーチを務める父・新に対して「なぜ(自分がケガをした時に)止めてくれなかったのか?」と詰め寄るシーンが印象的だった。新もまた痛みの先には栄光があると教えられてきた世代だったのか。
月井は「子どもの時は父が厳しかったので、行きたくない時でも練習に行っていた」と思い返す。「でも、大学生の時、自分なりに考え、選手として立ち直ることができた。そして3年前、フィリピンに渡ってからは父から指導してもらう機会も減ったので、また違った世界を見ることができた」。
離れ離れになることで、娘と父は新しい距離を築けるようになった。
「今までは父は甘えさせないし、私は甘えないというのがあった。父の下で厳しく接してもらうことが愛と考えていましたからね」
父と同じように、かつて月井に厳しい言葉を投げかけた指導者に対しての感情も大きく変化した。
「言葉は残っているけど、その人に恨みはない。当時は先生たちもそれが最善だと思ってやっていたと思う。ただ、知識がなかっただけ。だからこそ私はケガのケアについてもっともっと勉強したい」
去る9月30日、29歳になった月井は冷静に人生を揺さぶった「根性」という言葉と向き合う。
「根性をいつ使うのかといったら、やることをやって最後によしという気持ちになった時だと思っています。根性というのは最後に力を出してくれるもの。いつもの練習で『根性がない』という感じで使うのは軽率だし、その人のことをちゃんと見ていない。失礼だと思う。そもそも根性というものは、その人の心の中にあるものじゃないですか。周りが勝手に評価するものではない」
生きていく中でアスリートは何を優先させなければいけないのか。月井は「幸せしかない」と訴える。
「仮にオリンピックで金メダルを取ったら、成功したアスリートというふうに表向きは見える。でも、そのあとどれだけ後遺症を抱え、『あの時無理しなければ……』と悩んでいる選手がいるとしたら、幸せだと思いますか?」
返す言葉は見つからなかった。根性の先に幸せはあるのか。
<了>
前編はこちら⇒「根性って何だろう?」空手家・月井隼南が後悔する、ケガにつながる行き過ぎた根性論とは
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PROFILE
月井隼南(つきい・じゅんな)
1991年9月30日生まれ、フィリピン出身。空手家。空手師範の日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれ、3歳までフィリピンで育ち、その後日本へ。小学6年、中学、高校の全国大会、インターハイ、新潟国体でそれぞれ優勝。幼少期より数々の大会で活躍するも、学生時代はケガに悩まされる。ケガからの復帰後、2017年より単身フィリピンへ移住。来年に延期された東京五輪より正式種目になる空手で、フィリピン代表の一員として出場を目指している。
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