男子バレー、パリ五輪・イタリア戦の真相。日本代表コーチ伊藤健士が語る激闘「もしも最後、石川が後衛にいれば」

Opinion
2024.09.27

パリ五輪に挑んだバレーボール男子日本代表が、イタリア相手に見せた激闘はいまなお鮮烈に記憶に残っている。8月5日に行われた準々決勝のこの試合、日本にとっては「マッチアップが狙い通りだった」試合でもあった。日本代表コーチを務めた伊藤健士が語る、イタリア戦で日本の強みが出せた理由、そして“最後の1点”にあと一歩足りなかったものとは?(取材日:9月5日)

(文=米虫紀子、写真=エンリコ/アフロスポーツ)

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イタリア戦を振り返る「こちらが機能しやすい当たりだった」

――パリ五輪準々決勝・イタリア戦は日本の守備が非常に機能し、それをスパイカー陣が得点につなげて流れをつかみ、1、2セットを連取。第3セットもマッチポイントを握りました。

伊藤:イタリア戦は、いろいろと準備していたことや、ミーティングで伝えたことを選手がうまく表現してくれて、「これ、勝てるんじゃないか」と。東京五輪の時はあそこ(準々決勝)で負けましたが、これはちょっと道が見えたなと、僕はベンチで思っていたんですけどね。

――どのあたりから見えてきましたか?

伊藤:想定していたマッチアップがうまくいっていたので。まず1、2セット目のイタリアのローテーションは読んでいたんです。最近の傾向と、昨年のネーションズリーグ(VNL)のローテーションなどを踏まえて。(フィリップ・)ブラン監督が、その昨年のVNL3位決定戦の(日本が取った)1、2セット目と同じ当たりでやりたいと言っていたので、最近のイタリアの傾向から予想してローテーションを組んだら、狙い通りの当たりになりました。

 3セット目はイタリアがローテーションを変えたんですけど、それも想定してこちらも動かしたので、3セット目もまったく同じ当たりになりました。1、2セット目はその当たりですごくいいパフォーマンスを出していたので、3セット目も同じ当たりになった時点で、これはいけるんじゃないかと僕は1人で思っていました。

――イタリア戦のマッチアップは日本にとって何が良かったのですか?

伊藤:まずはこちらのサーブが機能しやすい当たりだということ。それと(エースのアレッサンドロ・)ミキエレットと関田(誠大)がフロント(前衛)でよく当たっていて、(ミキエレットの対角のダニエレ・)ラビアが西田(有志)と当たるんです。高さを考えると、(身長175cmの)関田に(205cmの)ミキエレットなんてしんどいと思うんですけど、ミキエレットは関田のブロックの上から打ってくることがわかっていたので、逆にディフェンスすべきコースもわかりやすくなり、上から打ってくるスパイクを結構ディフェンスできていました。

 ラビアは西田と当たるとパフォーマンスが出にくいし、西田がフロントの時にミキエレットと当たると、ブロックが高いから少し苦しいので、西田がバックの時に当てたい。他にもいろいろな要素がありました。

――イタリア戦は非常に日本のディフェンスがハマっていました。リベロの山本智大選手が普段と違うコースに入る場面もあったようですね。

伊藤:そうです。あの試合はポジション6(コートを6分割した時のバックセンター)のディフェンスが要になると思っていましたから。特に石川祐希が後ろにいる時は、石川をポジション5(バックレフト)に入れて、(普段はポジション5に入る)山本を6に入れました。(髙橋)藍が後ろにいる時はそのまま6に入れるんですけどね。ディグが山本級にいいので。

 ただ、後半ちょっと想定外だったのが、ハイボールのシチュエーションはたくさん作ったのに、それを結構決められてしまったこと。途中からミキエレットが、関田が前にいても、その上を通さずに、2枚ブロックのクロス側を抜いたり、ブロックにぶつけて飛ばしたりしてきた。ハイボールのシチュエーションのほうが守りにくくなっていました。3枚ブロックに行くのかとか、3枚行かない場合はどこに入ればいいとか、もう少し説明しておけばよかったと、今では思っているんですけど。

タイムアウトを取る?と聞いたら…。あそこで…

――第3セット24-21とマッチポイントを握った時、ベンチはどんな雰囲気でしたか?

伊藤:24-21、そこからイタリアがサイドアウトを取って24-22になったところは、やっぱり「あと1点じゃん」「いける」という感じはありました。そのあと、石川のスパイクがアウトになって、チャレンジ(ビデオ判定)を要求して、やはりアウトでしたよね。あの後にすぐタイムを取ればよかったなと、今ではすごく思います。そういうたらればは多いですけどね。

――その24-23になった時、ベンチの中でタイムアウトを取るかどうかのやり取りはあったのですか?

伊藤:タイムアウトを取る?と聞いたら、チャレンジをして間ができたから、タイムアウトみたいなものだろうと、監督がそんな感じで言ったので、取らなかったんですよね。あそこで(タイムを取って)1回水を飲んで、心を落ち着かせてからコートに入っていたら……という思いが今ではあります。(シモーネ・)ジャネッリのサーブもあんなサーブにならなかったかもしれないし。本当にもうあとの祭りですけどね。

――結果的にそのあと、ジャネッリ選手が石川選手と山本選手の間にノータッチエースを決め24-24の同点に。その後逆転を許しました。

伊藤:本当に、あそこまでは何もかもうまくいっていたというか、非常にマッチアップも良かったし、みんなのパフォーマンスも良く、ディフェンスも良かった。日本チームの強みがすごく出せていたんですけどね……。

ただ石川も、急遽コンディションを上げたというか、合わせてきたので、4、5セット目はちょっと疲労感が出てきていました。ジャンプが少し落ちてきて、スパイクの通過点が下がってしまったので、イタリアのブロックにかかってしまうことが増えてきた。3セット目で終わっていれば、というところですね。

――3、4、5セット目のデュースの場面で日本は4本の被ブロックがありました。普段ならリバウンドを取って攻め直したり、うまく対応できる力があるのに、そこもオリンピックの難しさなのでしょうか。

伊藤:第3セットの24-24から西田がブロックを食らってしまったところは、24-22から(セットを)取れなかったショックというか、冷静さを失っていたところがあったと思います。西田は大会を通して非常にいいパフォーマンスをずっと出してくれていて、打てば決まるという場面もありましたが、あの時は結構甘いコースで、1枚ブロックだったと思うので、少し動揺がみられたかなと。

それプラス、リバウンドを取るという冷静さを保てないのがオリンピックなのかなと感じます。一番大事な大会で、負けたら終わりの試合ということで、冷静さを欠いてしまったのかなと。リバウンドを取るのも勇気がいるんですけどね。変なリバウンドだったら相手のチャンスボールになってしまう可能性もありますから。それにやはりオリンピックは、世界中の選手がそこに人生を懸けていますから、本当に雰囲気が違う。目の色が変わっている選手が多かったですね。

フランス代表ガペのような確固たる自信とテクニックを

――準決勝進出まで“あと1点”という、あそこまで行ったからこそ見えたものがあると思いますが、改めて日本がこの先、あのような場面で最後の1点を取るために、メダルに届くために、必要なものはどういうものだと考えますか?

伊藤:“あと1点”という試合が、ここ数年に何回もあったんです。2022年世界選手権のフランス戦だったり。あれから、あの1点を取り切るために、1点を疎かにしないで今までやってきたつもりだったんですけど、やはり練習の中だけではなかなか養えないんですよね。大きな舞台で、ああいう経験をたくさん積むしかないのかなと思ってしまいます。決勝戦やメダルマッチのような試合をたくさん経験する。なおかつ、今回のような場面でもブレないスキルやメンタリティ。

「絶対これなら1点取れる」というものがあれば。例えば石川のパイプだったり。もしも最後、石川が後衛にいるシチュエーションだったら……2回石川がパイプを打っていれば1本は決まっていたんじゃないかと思ったりもしますし。彼のパイプはスイングスピードも球も非常に速く、セリエAでもパイプは非常に決定力が高いですから。

 やっぱり個人の技術力を上げて、さらに強い個を作っていくしかないんじゃないかと思う。とにかく世界トップレベルの技術を身につけること。世界と戦える個の力、揺るぎない技術力を持っていないと、ああいった場面は突破できないと思うんです。少しでもマイナスな考えが脳みそに浮かんでくると、戦えない。

 あそこで「俺に上げてきて! 絶対この場面だったらブロックアウト、指先狙って飛ばせるから!」という選手がいれば。五輪連覇したフランス代表のガペ(イアルバン・ヌガペト)みたいに。彼はあれだけのパフォーマンスをオリンピックの決勝で出せる。見ていてもなんか、余裕があったじゃないですか。

――クルクル回りながら背面スパイクを打ったり、好守備を見せたり、自在にプレーしていましたね。

伊藤:本当にクルクル回って(笑)。イマジネーションがすごかったですよね。(日本と対戦した)VNL決勝の時なんて、サングラスかけてスタンドにいたんですよ(笑)。その選手がパリ五輪でMVPになっちゃうんだから。確固たる自信、揺るぎないメンタリティがあるんでしょうね。それに追いついているテクニックもあるし。だから、例えば日本のイタリア戦第3セット24-23からの場面で、石川に「絶対に返せる」というパス(サーブレシーブ)の自信があれば、パスをしてから打ちにいっていたんじゃないかなとも思いますし。

「最後だから胴上げしよう」“日本人だって戦える”と示したブラン監督

――ブラン監督とは8年間共に戦いましたが、イタリア戦後はどんなお話をされましたか。

伊藤:「一緒に戦えて幸せでした」ということは言わせてもらって、お礼を伝えました。あとは、本当に最後なので、胴上げをして。負けたばかりのところで選手たちには本当に申し訳なかったんですけど。みんなにちょっと謝って、「でもここでしかできないから、最後だから、胴上げしようか」と言わせてもらいました。

 胴上げがどういうものなのか、ブランがわかっているのかどうかわからなかったんですけど、とりあえず「日本の伝統だ」と言って(笑)。「メモリアルな時とか、人を送り出す時にやるんだよ」というような話をして。ブランめっちゃ泣いてましたね。あれで泣くってことは、ブランも日本人ってことですね(笑)。

――ブラン監督の一番近くで過ごして、伊藤コーチが影響を受けた部分というのは?

伊藤:日本の、僕らの、頭というか考え方を変えてくれたのがブランだなと思っていて。昔は、高さとパワーで負けたとか、日本人はこんなもんだという考えが強かったし、日本は背が低いから、パワーがないから、特別な戦術やオリジナリティがないと戦えない、みたいな考え方でした。そうじゃなくて、日本人だって世界レベルの技術だったり、世界に通用するものがあれば戦えるんだと、ブランがわからせてくれたし、そのために必要な準備や戦術、システム、そういうものをしっかり日本に浸透させてくれました。非常に考え方も見方も自分の中でレベルアップしたと感じますし、僕にとっては本当に財産になる8年間でしたね。

 あとは、彼は非常に徹底していましたね。日本はサーブが良くないと勝てないからと、サーブ力のある選手を徹底して選考したし、パスについても、普段(所属チームで)やらない選手はなかなか選ばれない。日本人だといろいろなことを考えてしまいそうだけど、彼は一本筋が通っている。“世界で戦える選手”という基準が彼の中にあって、それを貫き通していたと思います。

――ブランさんはパリ五輪後、すでに韓国の現代キャピタルで監督を務めています。伊藤さんの今後は?

伊藤:まったくどうなるか僕自身もわかりません(笑)。代表チームは監督が代わるといろいろ変わりますし。僕はどこかのチームで活動できればいい。新しい監督からオファーがきたら考えようかなと思っていますが、意地でも代表を続けますと言う気はなくて。基本的に必要とされればやるというスタンスなので、新監督次第ですね。誰がやるにせよ、今までのチームのスタッフはみんな適材適所で本当に良かったので、またそういうチームを作ってほしいなと思っています。

<了>

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[PROFILE]
伊藤健士(いとう・けんじ)
1981年9月13日生まれ、東京都出身。バレーボール男子日本代表コーチ。筑波大学大学院を卒業後、東レに入社。東レアローズ男子バレー部でアナリストを務めた。2014年に男子日本代表のアナリストに就任し、その後コーチとして長くチームを支えた。

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