トゥヘル率いるイングランドがW杯「優勝候補」と言い切れない理由。完璧な予選の違和感、そして“10番”の不在
8戦全勝、22得点無失点――。ワールドカップ欧州予選の数字だけを見れば、トーマス・トゥヘル率いるイングランド代表の残した結果は“完璧”だ。だが、その強さを手放しで信じていいのか。試合内容、チーム構造、そして「10番」の不在。そこには、優勝候補と断言するには拭いきれない違和感が残っている。本稿では“結果は出ているのに評価が定まらない理由”を、戦術とチーム設計の視点から読み解く。
(文=田嶋コウスケ、写真=ロイター/アフロ)
トゥヘルは何を変えたのか? “結果以上に問われたもの”
トーマス・トゥヘルがイングランド代表監督に就任し、本格始動した2025年1月以降の歩みを振り返ると、まず目に入るのは結果の安定感だ。FIFAワールドカップ欧州予選を8戦全勝、22得点・無失点で駆け抜けた事実は、数字だけを見れば文句のつけようがない。
ラトビアに5-0で勝利し、本大会行きを決めた2025年10月、英メディアもその記録自体には高い評価を与えた。ただし、評価は手放しの賛辞ではなかった。例えば英衛星放送『スカイ・スポーツ』が繰り返し指摘していたのは、この予選は「成功」というより「前提クリア」に近いという見方である。グループの顔ぶれを考えれば突破は既定路線であり、真に問われていたのは結果そのものではなく、「トゥヘルがどこまで自分のチームを形にできたか」だった。
その意味で、今回の予選は「強かったかどうか?」を測る場ではなく、「どんなチームに変わろうとしているのか?」を確認する時間だったと言える。
トゥヘル体制の本質は、まさにそこにある。ギャレス・サウスゲート前監督のもとでのイングランドは、大会上位に進む力を持ちながら、最後の一歩で勝ち切れないチームでもあった。タレントの総量は世界屈指。だがそれを勝利に直結させる組織的な完成度に課題が残っていた。
だからこそトゥヘルに託された役割は明確だ。スター選手を並べるチームではなく、役割が整理され、連動して機能するチームへと作り替えること。その方向性は、すでにピッチ上にも表れている。セルビア戦後にトゥヘル自身が口にした「intense(強度が高い)」「tight(引き締まった)」という言葉が象徴するように、現在のイングランドはプレー強度を高め、全体をコンパクトに保ちながら戦うチームになった。
ロジャーズ、ベリンガム。フォーデン…誰が10番になるのか?
トゥヘル体制は、選手選考の基準も明確だ。名前ではなく役割。実績ではなく機能。どれだけ才能があっても、チームの中での役割が定まらなければポジションは保証されない。これはサウスゲート時代の「安定」とは対照的に、トゥヘルが「競争」と「チームのバランス」を重視していることを意味している。その象徴が、トップ下――いわゆるNo.10のポジションをめぐる扱いだろう。
現在のイングランドにおいて、前線の軸は明確だ。ハリー・ケインを中心に、右サイドにはブカヨ・サカがいる。中盤ではセントラルMFのデクラン・ライスとエリオット・アンダーソンの存在も揺るがない。しかし、10番を誰に託すのかという点は、まだ最適解が見つかっていない。
欧州予選で継続して先発したモーガン・ロジャーズを起用するのか。故障がちで予選を離れる機会が多かったジュード・ベリンガムを中央の主役として据えるのか。あるいはコール・パーマーやフィル・フォーデンを含めて再編するのか。このポジションをめぐる試行錯誤は、単なるポジション争いではない。チームの設計思想そのものと言える。
象徴的なのは、やはりベリンガムの扱いだ。能力だけを見れば、彼は間違いなくチームの中心に据えられるべき存在である。それでもトゥヘルは、彼を無条件で固定しない。なぜなら、このチームにおいて重要なのは「誰が一番優れているか?」ではなく、「誰を置くとチームが最も機能するか?」だからだ。
つまり、トゥヘルは個の序列ではなく、全体のバランスから逆算してチームを組み立てている。その思想が最も分かりやすく表れているのが、このNo.10問題と言えよう。
アンダードッグ? 「未完成さ」が難しくする評価
だからこそ、この10番のポジションが定まりきっていない現状は、そのままチームの完成度を映している。方向性は固まっているが、最適な形はまだ見つかっていない。
この「未完成さ」が、現在のイングランドに対する評価を難しくしている最大の理由だ。
予選の結果だけを見れば、文句のつけようはない。だが、その強さがそのままワールドカップ本番に通用するかといえば、まだ判断は保留されている。予選では、スコアほどには試合を支配しきれていない時間帯や、攻撃の形が曖昧に見える局面も少なくなかった。結果の安定感に対して、内容の説得力はまだ揺れているのである。
トゥヘル自身がイングランドを「アンダードッグ(=格下だが勝つ可能性を秘めた存在)」と位置づけたのも、そうした現状認識の表れだろう。これは過度な謙遜ではなく、「まだ完成していないチームである」という冷静な自己評価に近い。
さらに言えば、ここまでの戦いでは本当の意味での試金石がまだ訪れていない。欧州予選では、ワールドカップ本番の決勝トーナメントで対峙するような強豪との対戦機会が限られていた。つまり、ここまでの安定感は事実であっても、それが最高レベルの相手にも通用するかどうかは、まだ証明されていないということだ。
W杯優勝の条件は? トゥヘルに託された“最後の仕事”
テスト色の強かったウルグアイ戦(3月27日)が1−1の引き分けに終わったこと自体は悲観すべき材料ではないが、チームとしての完成度を測るには十分な材料とも言い切れなかった。試行錯誤の延長線上にあるチームであることが、改めて浮き彫りになった試合だった。
そして本大会を見据えれば、もう一つ無視できない要素がある。コンディション管理だ。北中米特有の高温、多湿、長距離移動、そしてシーズン終盤から続く過密日程。こうした環境の中で、強度の高いサッカーを維持できるのか。そして不可欠な存在であるケインへの依存をどこまで分散できるのか。選手層の厚さは確かに武器だが、それをどう機能させるかは別の問題である。
結局のところ、現在のイングランドは「評価しやすいが、断言しにくい」チームである。タレントの質は間違いなく優勝候補。一方で、チームとしての完成度はまだ途上にある。
イングランドの基本フォーメーションは4-2-3-1。チームの軸にいるのは、得点源であり主将でもあるハリー・ケインだ。32歳のストライカーはバイエルン・ミュンヘンへの移籍を経てプレーの幅を広げ、より完成度の高いアタッカーへと進化している。
中盤の心臓部を担うのは、デクラン・ライスとエリオット・アンダーソンのセントラルMFコンビだ。攻守両面で高い強度を維持しながら、試合のテンポをコントロールし、チーム全体を中央から動かしている。
一方で、ポジション争いが最も激しいのは2列目だ。ジュード・ベリンガムやコール・パーマーといったタレントは、クラブでは世界的な評価を確立しながらも、トゥヘル体制ではまだ決定的な存在にはなりきれていない。
豊富なタレントをどう整理し、チームとして機能させるのか。誰を軸に据え、どの役割を託すのか。その最適解を見つけることこそ、トゥヘルに求められる最大の仕事と言える。
つまり優勝できる力はある。だが、まだ優勝するチームではない。その差を埋める鍵が、まさにトゥヘルの仕事にある。No.10の最適解を見つけ、チーム全体の組織を完成させられるのか。個の集合を、機能する集団へと昇華できるのか。トゥヘルがその先にどんな答えを用意するのか。
イングランド代表の未来は、そこにかかっている。
<了>
慶應→オランダ→ブンデス。異色の20歳ストライカー塩貝健人が挑む「日本人CFの壁」
三笘薫の数字が伸びない理由。ブライトン不振が変えた、勝てないチームで起きるプレーの変化
クロップの強度、スロットの構造。リバプール戦術転換が変えた遠藤航の現在地
スタメン落ちから3カ月。鈴木唯人が強豪フライブルクで生き残る理由。ブンデスで証明した成長の正体
新生イングランド代表・トゥヘル新監督の船出は? 紙飛行機が舞うピッチで垣間見せたW杯優勝への航海図
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
柏レイソル・小泉佳穂はなぜ岩尾憲の名前を口にしたのか。5連敗の夜に語った「腹をくくる」という覚悟
2026.08.21Career -
なぜ日本企業が欧州クラブ経営に挑むのか? 金宝堂によるベールスホット買収、その舞台裏
2026.08.21Business -
「あのベンツは返してこい、クソガキが」恩師トンプソンがアイバーソンをNBAへ送り出した日
2026.08.21Career -
「教えることで自分が学ぶ」選手と大学助教の両立。安藤梢が新天地でも挑戦し続ける理由
2026.08.21Career -
なぜ世界王者スペインはゲームを支配できるのか? 「ポゼッション」の奥にある“ゲームを止めない”技術
2026.08.20Training -
「批判は気にならない」長谷川唯が明かす、評価に振り回されない思考法
2026.08.20Career -
安藤梢はなぜ浦和を離れ、新天地を選んだのか。ベレーザ移籍に懸けた新たな挑戦
2026.08.19Career -
張本美和はどこまで進化するのか? 中国勢を連破した18歳を変えた「立ち位置」
2026.08.17Career -
16歳・三井寺眞が開幕戦で放った「シャペウ」の衝撃。10代が互いに刺激し合う、Jリーグ新時代
2026.08.14Opinion -
コーチを超える選手はどう育つ? 主体性を引き出すためのコーチング実践論
2026.08.10Training -
「友人は次々と死んだ。オレは怒っていた」アイバーソンを全米No.1へ変えた“あの1992年の夏”
2026.08.07Career -
選手を支配せずに、どう伸ばす? スポーツ心理学者に聞く「自立を支えるコーチング」
2026.08.07Training
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
16歳・三井寺眞が開幕戦で放った「シャペウ」の衝撃。10代が互いに刺激し合う、Jリーグ新時代
2026.08.14Opinion -
欧州名門クラブに見るサステナビリティ最前線。人種差別、貧困、就労支援…に挑むマルメFF
2026.08.07Opinion -
“世界一国際的な”育成年代サッカー大会「ゴシアカップ」。なぜ半世紀以上も人々を惹きつけるのか?
2026.08.04Opinion -
3800億円が生んだチェルシーの混沌。前任は「代理教師」と揶揄…。シャビ・アロンソ新監督は名門を変えられるか
2026.08.04Opinion -
「優勝」を掲げた日本代表に何が起きたのか。曖昧なW杯総括で浮かび上がった、選手とJFAのギャップ
2026.08.03Opinion -
日本で“傑物”ストライカーは育成できる? W杯で見えた「日本にまだ足りないもの」
2026.08.03Opinion -
W杯MVPが大卒? 日本サッカーが世界で勝つための「育ち方」考――中西哲生×岩政大樹
2026.07.29Opinion -
欧州女子サッカーは混戦時代へ。RB大宮戦から鮫島彩、岩渕真奈が読み解くバイエルンとUWCLの現在地
2026.07.29Opinion -
なぜ森保監督は「半年だけ」続投するのか。大岩監督への“つなぎ”に不安も…JFA異例人事の舞台裏
2026.07.27Opinion -
「声が出なくなるまで戦った」ケインでも届かなかった。イングランドが世界一を逃した“37分間”の真実
2026.07.23Opinion -
最強中国の敗退、欧州復権の兆し、松島優勝の背景。世界の男子卓球で何が起きている?
2026.07.08Opinion -
優勝を掲げた森保ジャパンは何を残したのか。ブラジル戦の「後出しじゃんけん」と3期目続投の是非
2026.07.07Opinion
