
なぜバレー新鍋理沙は「引退」を選んだのか? 今振り返る“決断”に至るまでの胸中
女子バレーボール・新鍋理沙が、6月29日に引退会見を行った。東京五輪を目指す日本代表においても重要な役割を担うと期待されていた彼女の引退は、多くのバレーボール関係者・ファンを驚かせた。東京五輪の1年延期を「絶望」と表現し、「1年後の自分のプレーしているイメージができなくなった」と語る新鍋がその胸中を打ち明けた。
(文=米虫紀子、写真提供=久光スプリングス)
私の中での“この1年”は「すごく長い」
──6月29日に引退会見をされてから1カ月ほど経ちましたが(本インタビューは7月27日に実施)、引退後はどのように過ごされていたんですか?
新鍋:お休みをたくさんもらったので、実家に帰ってのんびりしたり、好きなことをしていました。引退すると決めても、最初は全然想像がつかなかったというか、実感がなかったんですけど、引退会見をした後に、いろんな人に「お疲れさま」と言ってもらったりして、だんだん「本当に引退したんだな」と実感が湧いてきました。
──バレーボールをやりたくはなりませんか?
新鍋:まだなってないです(笑)。こんなに、1カ月以上もボールを触らなかったことは今までなかったですけどね。
──改めて、今、引退を決断された理由を聞かせていただけますか。
新鍋:もともと、今年の東京五輪まで、と決めていました。自分が東京五輪の最終的な12人のメンバーに残れたら、そこで「やりきった」って思えるぐらい頑張って、選手としては終わりたいなという気持ちがありました。でも、新型コロナウイルスの影響で、こういう状況になってしまって、東京五輪が1年延期、となった時に……もう1年後の、自分のプレーしているイメージが、なかなかできなくなってしまって。「1年後にいいプレーができるのか」という不安が最初に出てきて、それがだんだん大きくなってしまって、それがマイナスなイメージにつながって、どうしてもいいイメージをしづらくなってしまったのが大きかったです。
4月に右手の手術もして、そこから元通りというか、今まで以上のパフォーマンスができるようになるのかというのも、あまり自信を持てなかった。1年って、あっという間だとは思うんですけど、私の中でのこの1年は、「すごく長いな、、、」と思ってしまいました。
──3月24日に五輪延期が決まり、4月23日に痛めていた右手人差し指の手術をされたそうですが、その手術までは1年後を目指そうと考えていたのですか?
新鍋:半分半分でした。右手の指は3、4年前から痛めていたんですが、今年の合宿でひどくなってしまって。手術をすると復帰まで3カ月ぐらいかかると言われていたので、今年オリンピックが行われていたら、手術はせずに、どうしても痛い時は注射でどうにかしようと思っていました。
でもオリンピックが延期になり、ドクターに手術を勧められましたし、手術してちょっとでも良くなるならと思って、(手術することを)決めました。ただ、手術をするほどのケガは初めてだったので、本当に元に戻せるのか、またオーバー(ハンドパス)ができるようになるのかなといった不安が大きくなりました。
ここでやめるのは無責任なことなのかなとか、いろいろと考えて、悩みました。今年も代表に選んでいただいていましたし。でもオリンピックに臨むにあたっては、やっぱりパフォーマンスもモチベーションも今以上に上げなきゃいけない。それは難しいかなという気持ちが、ちょっとでも出てしまったら、やっぱり難しいと思いました。
「もう体しんどいな」と思うことが増えて……
──引退会見では、東京五輪の1年延期が決まった時のことを「絶望」と表現されていましたね。
新鍋:本当に、オリンピックという大会が目の前にあって、私だけじゃなく、他の競技の選手たちも、そこに向かってやっていたと思うんですが、それが1年延期となった時に、私にとってはすごくしんどい判断でした。しょうがないことだとはわかっているんですけど。それが良かったなと思う選手もいれば、残念だなと思う選手もいて、それぞれだと思いますが、私にはショックのほうが大きかったです。
たぶん、もうちょっと若かったら……。年齢の問題じゃないとは思うんですけど、もう少し若ければ、たぶん1年というのはここまで大きくは気にならなかったと思いますし、もうちょっと頑張ろうと思えたかもしれません。でも年々、痛いところも増えてきていて、3年ぐらい前からは股関節も痛めていて、月に1回注射を打ちながらやっていました。そうしたいろんなことと向き合いながらなんとかやってきてはいたけど、やっぱり「もう体しんどいな」と思うことが、前よりすごく増えていて、その分、いいイメージがしづらくなっちゃったなと思います。
──会見では、「年々コンディションもパフォーマンスも落ちていると感じていた」とおっしゃっていました。
新鍋:はい。特に昨シーズン(2019-20シーズン)のVリーグでは、チームとしての結果(7位)もそうですし、個人的なパフォーマンスもよくなかったので、チームに貢献できなかったという思いがすごくありました。それまでは決勝に行くのが、当たり前ではないですけど、結果を残さなきゃいけないという中でずっとやっていて、昨シーズンあの結果だったので、すごく責任を感じました。もしかしたら私じゃなくて若い選手が出ていたほうが、結果がもうちょっとよかったのかなとか、そういうこともすごく考えました。
──どのあたりのパフォーマンスが特に思い通りにいかなかったのでしょうか?
新鍋:数字だけではないんですけど、わかりやすくいうと、スパイク決定率が下がっていたり。点数を取るための技術が、年々落ちているというのは感じました。自分はライト側に入っていて、ライト側にブロックが2枚揃うことはなかなかないんですけど、ブロックが1枚の時にも決めきれないとか、大事な場面で点数が取れないとか、そういうのが多かったですね。
何か1つ誰にも負けないものを
──それでも、サーブレシーブは昨シーズンも1位で、3年連続でトップでした。やはりサーブレシーブに対してはこだわりと自信を持ってプレーされていたんでしょうか。
新鍋:自信がめちゃくちゃあったわけではないんですけど、やっぱり何か1つでも、誰にも負けないものを持ちたいと思ってやってきました。やっぱりこの身長(173cm)だし、そんなに連続してスパイクを打てるわけでもなかったので、何か自分の武器を見つけたいなと思って、私の場合はレシーブを頑張った、というのがありました。自分が自信を持てるプレーが1つでもあれば、それがブレなければ、他のことがちょっと調子が悪くても、なんとか踏ん張れるのかなというのはあります。
──サーブレシーブを武器にしようと思ったのはいつ頃ですか?
新鍋:久光スプリングス(当時は久光製薬スプリングス)に入って練習を見た時に。その頃はテレビで見ていたすごい選手ばかりだったので、その中で自分が生き残るためには何が必要なのかなと考えた時に、そういう答えにたどり着きました。
──久光に入ってからだったんですね。どのようにして武器にしていったんですか?
新鍋:めちゃくちゃ練習しました(笑)。1年目の時の監督が濱田(義弘)さんで、サーブレシーブのコツだったり、いろいろと教えていただきましたし、筒井視穂子さんと一緒に練習させてもらいながらいろいろアドバイスをもらったり、原桂子さんにはセッターのところに立っていてもらったり、本当にいろんな先輩に支えてもらいながらやっていました。でもすごく下手くそで、全然思い通りのボールが返らないので、もうどうしたらいいかわかんなくて、泣きながら練習していましたね(笑)。
──そんな時期もあったんですね。その中で、つかめたものがあったんですか?
新鍋:ミホさん(筒井)に、「横で取ったほうがやりやすいよ」と教えてもらって。以前は、ボールの正面に入るということを第一優先にしていたんですけど、体の横で取るという練習をしていったら、だんだんつかめていきました。横で取ると、ボールに合わせてうまく体を逃がせるし、取ってからスパイクの助走にも入りやすい。ミホさんには感謝しかありません(笑)。
私が1年目の頃は、全体練習の間はボールを触れない選手もすごくたくさんいて、私もその中の1人だったので、みんなの練習が終わった後にやったり、休みの日に(岩坂)名奈と2人で練習したりしていましたね。
──本来なら、今夏の東京五輪でやりきって終わるつもりだったとおっしゃっていました。今、引退されて、やりきったという思いはいかがですか?
新鍋:やめると決めた時は、結構モヤモヤした感情もありました。でも少し時間が経った今、いろんなことを振り返った時に、「あ、もう十分やったかな」というふうに思えるようになりましたね。
【後編はこちら】「3年ぐらいでやめようと思っていた」女子バレーボール新鍋理沙、引退後に語る真実
<了>
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PROFILE
新鍋理沙(しんなべ・りさ)
1990年7月11日生まれ、鹿児島県出身。延岡学園高校から、2009年、久光製薬スプリングス(現:久光スプリングス)に入団。2010-11 Vリーグで最優秀新人賞を受賞したのを皮切りに、以降、5度のリーグ優勝に貢献し、13-14シーズンには最高殊勲選手賞(MVP)を獲得。サーブレシーブ賞は6度受賞した。2011年に日本代表に選ばれ、2012年ロンドン五輪での28年ぶりの銅メダル獲得に貢献。2017年以降も代表の主力として活躍したが、2020年6月に現役を引退。
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